マフちゃん大勝利! 猫の瞳と先約主義
「望まれなくてもどこまでも! 世界を見守るニコニコ子猫、マフデトちゃんただいま参上!!」
そこにいたのは、バステトではなかった。
茶色の髪は黒色へと変わり、背中に掛かる程度の長さは腰下まで伸びていた。
八歳であるバステトと変わらぬ身長でありながら、その顔に浮かび上がる愉悦の情は奇妙な色気を放っており、底が知れない。
ドレスは民族衣装へと置きかわり、露出度が高くなる。
バステトが立っていた場所に、見覚えのある別の女が立っている。
その変化を目にし、ゴルドは動揺を抑えきれなかった。
「テメェ…………猫一族のっ!」
「はいはーい! 呼ばれなくてもやってくる、どこからともなくやってくる! ゴルドくんが気になって気になってしょうがなかった黒幕ちゃんの登場です! びっくりしちゃったかな?」
「なんだ…………どうやって此処へ入ってきやがったんだ!? 外の世界では時間が流れていないはずだ! 干渉する手段なんて、それこそ…………」
「にゃはははは! 君の拙い企み事なんて、マフちゃん全部お見通しだもんね! そう、ずっと前から知っていたともさ! だからこうしてこの子に仕掛けを施しといたんだよね、マフちゃん賢い! 大勝利!」
いつの間にか黄金の拘束は消え、マフデトは自由にその場でポーズを決める。
そんな彼女の言葉を聞き、ゴルドは一瞬で冷静さを取り戻した。
そして、その予想を口にする。
「そうか…………テメェ、自分の妹の体に細工していたんだな? 自分の思惑がバレそうになった時、自動的に体の主導権を奪うように…………口封じのためか? どんな方法を使っているのか見当もつかないが、とんだ外道じゃねぇか…………なぁ、猫一族頭領マフデトさんよぉ!!」
それを耳にしたマフデトはニヤリと口角を上げると、唇を尖らせて否を突きつける。
「ぶっぶー! 残念、それは違いまーす! 惜しいね! 正解は、「バステトがマフちゃんとの約束を破りそうになった時、あらかじめ入力しておいた会話を再生させる」ように仕込んでいただけでした! 本体のマフちゃんは今頃、優雅にお茶を飲んだ姿勢で停止したままなのです! …………っていうか、口封じって発想がドン引きなんですけど?」
煽り混じりに口に出された言葉によって、ゴルドはその思考を停止させる。
つまり、それが意味していることはーーーー。
「君はいま、この私と自分の会話が成り立っている理由について一つの予想に辿り着いたようだね? どんな気持ちかな? 自分の知り得ない力を目の前にするというのは…………どんな気持ちなのかな? 私の妹も、どんな思いで此処に立っていたんだろうね?」
先程までの茶化すような言動ではなく、どこか見通すような静かな彼女の言葉に、ゴルドは自分の想定が確信に変わるのを自覚した。
予想されていたのだ。
バステトを目にしたゴルドがどのような行動に出るのか。
どのような力を用いて、どんな手段を取るのか。
そして、恐らくはゴルドの正体も。
見透かされていたのだ、最初から。
でなければ、この目の前の女がそもそもこの場面に干渉できるという現実に説明がつかない。
ゴルドはマフデトに対する認識を、警戒するべき相手から危険な人物へと格上げする。
戦慄しているゴルドを他所に、マフデトはその場で一回転すると、踵を鳴らした。
ゴルドの空間に、何本もの線が走る。
彼方此方に引かれた線は、一斉に開眼してその真の姿を見せる。
それは、空間に固定された猫の瞳だった。
そのスケールは疎らであったが、最低でもゴルドの頭部程度には大きい瞳が、四方八方からゴルドを見つめている。
その禍々しさに、思わず喉が引きつる。
そんなゴルドを見ていたマフデトは目を細めると、再び口を開く。
「あっ、この眼は特に意味がないから気にしないでね? 所詮、フレーバーエフェクトという奴にゃん。ぶっちゃけ雰囲気作るためだけに出したけど、相手をびっくりさせる以上の効果はありません、にゃんにゃん」
両手を丸めて猫のポーズを取るマフデトの言葉を、ゴルドは一切信用していなかった。
意味がないと言う割には、あまりにも悍ましすぎる。
そもそもこの空間はゴルドの力のみで作られているものであり、本来余人による干渉は不可能なのだ。
本体ではない。
そう口にしたにも関わらず、これだけの現象を起こすマフデトは、ゴルドにとってはまさしく脅威そのものだった。
「テメェ…………何が目的なんだ?」
「にゃ? マフちゃんは愛しの妹ちゃんが、過去を拗らせた面倒くさい男に絡まれているのを可哀想だなって思って出てきただけだしー?」
「白々しいな。そもそも、実の妹を奴隷にしておいてよくそんな事が言えたもんだぜ」
「えへへ、そう? マフちゃんよく言われるんだよね、白々しいってさ!」
「褒めてねぇよ。テメェがどんな目的を持っているかは知らねぇ…………だが、結局のところ、この場所から逃げ出す事は出来ねぇはずだ。テメェはさっき言ったな、「あらかじめ入力された会話」を再生していると…………つまり、俺様がこの先どんな言動を取るのか、ちゃんと理解しているって事だよな?」
もちろん、マフデトはそれもすでに知っている。
全てが既知である彼女にとって、驚愕という感情は無縁のものだ。
しかし、それでも彼女は眉をひそめる。
ゴルドが言おうとしている事を、先んじて口にする。
ふざけた態度をやめ、無感情を装って。
「そうだね、バステトの命を盾に脅迫しようだなんて…………酷い男だ」
全ての選択肢を理解している彼女は、それが脅しでないことを知っていた。
ゴルドは相手が全てを見抜いている事を念頭に置いた上で、本気でなければ脅しにすらならない事を理解しているのだ。
獰猛な素顔を晒し、できる限りの殺意を言葉へ練り込む。
「なんとでも言え。テメェに思惑があるように、俺様にも譲れないものがあるってだけだろうが…………最初はちと動揺しちまったが、黒幕からこっちに会いにきてくれるとはな。逆に好都合だ…………あえて、口にさせてもらうぞ、『妹を殺されたくなかったら、何を考えているのか洗いざらい白状しろ』」
ゴルドの要求を聞き、マフデトはため息を吐いた。
そして冷めた視線を向けつつ、言葉を紡ぐ。
「はぁ…………君はもう少し会話を楽しむ余裕を持った方がいい。この空間では時間は有限ではないと言ったのは君ではないか、全く…………つまらない男だね、早漏。まぁいい、この会話は私にとっては未来の出来事ではあるが、同時に全てが終わった過去の出来事でもある。交渉を始めるとしよう」
「話が早くて助かるぜ、俺様は短気なんだ。手が滑らなかった事を感謝するんだな。あとテメェ今なんつった、早漏? 早漏って言ったのかテメェ」
マフデトはゴルドの追求を無視すると、自分の要求を口にする。
「交渉ごとは簡潔にいこう。察しているとは思うが、私には未来を視る力がある。もちろん、それだけではないが…………とにかく、大前提としてそれを理解してもらいたいね」
「鵜呑みにするわけじゃねぇが、まぁそんなところだろうとは思っていたぜ。ふざけた力だ」
「君がそれを言うかね? まぁ、いいだろう…………私はあまり未来の事を口にする事はないんだ。何故なら、私の言動一つで未来とは変わるものだからね。私が望む未来を手繰り寄せるためには、口を閉じている必要があるのさ。君的に言えば、『沈黙は金』というやつかな?」
「続けろ」
「…………ふむ、私の要求は簡単だ。きたるべき時…………バステトが自分から彼に打ち明ける事ができる日が来るまで、この子の素性については沈黙していてもらいたい」
「だったら簡単だな、テメェとその小娘が誓いを立てればいいだけだ」
マフデトは、その言葉を待っていた。
「私は誓ってもいいが、バステトには無理だ」
「あ? なんでだよ」
「『先約主義』」
「…………は?」
ゴルドは呆気に取られた。
それは、マフデトの言葉の意味が分からなかったからではない。
むしろ、それを理解できてしまった事が、ゴルドにとっては予想外の出来事だったのだ。
「『契約魔法』とは、相互の同意を得た上でお互いの行動を縛るものだ。そのルールは厳密に定められ、例外は存在しない。君には、説明するまでもない事だろうがね?」
「て、テメェ…………まさか! そこまで!」
一呼吸置き、マフデトは結論を口にした。
「悪いけど、バステトは私との『契約魔法』を守る事に精一杯だからね? 『先約主義』のルール通り、先に行使された『契約魔法』に矛盾する契約を新たに結ぶ事は出来ない。残念だが、私一人で妥協してくれたまえ」
そう、ゴルドがバステトに対して保険をかけようとしたのと同じ事を、マフデトも考えていたのだ。
そして、それはゴルドには覆す事の出来ない現実となって立ちはだかる。
『契約魔法』というものは、人間よりも遥かに融通の利かない力だ。
一度結ばれてしまったものは、契約を結んだ者にも決して解く事は出来ない。
この少女の皮を被った怪物が、どれだけ先を見越して行動しているのか。
どれだけの手札を隠し持っているのか。
その一部に触れた事で、ゴルドは一瞬でも『勝てない』と思ってしまった。
そして、それこそがマフデトの狙いだった。
「さて、私は『誓おう』。この先どんな事があったとしても、『王国が不利になる行動を意図的に取る事はない』と…………その代わり、君も誓ってくれ。『私たちのやる事を黙認する』と」
敗北感に苛まれながら、ゴルドは最後の抵抗のつもりで問いかける。
まだ、一番重要な事を本人の口から聞いていないのだから。
「まて、その前に聞かせろ。テメェは一体何を考えている? 未来が見えると言ったな、テメェはその力を使って何をしようとしているんだ? …………それに答えるまでは、たとえどれだけの体感時間が経過しようとも、絶対にこの空間を解除しねぇ。その小娘の精神は未だこの空間に囚われたままだ、俺様には分かる。この世界は俺様の中、欺く事は出来ない」
マフデトにはその問いも予定通りなのだろう。
予め用意していた解答を、なんでもないかのように口にする。
「世界平和」
「は?」
予想もしていなかった言葉に、ゴルドは呆気に取られた。
それだけ、目の前の女とその言葉に縁というものを感じられなかったのだ。
そんなゴルドを笑いながら、マフデトは続ける。
「君が君なりの信念を持って生きているように、私には私なりの正義があって行動しているんだ。力ある者には、それだけの責任があると思わないか? 全てを知る私には、良き未来へと運命を導く使命がある。そうだろう?」
その言葉が決め手となり、ゴルドはマフデトとの契約を結んだ。
全てを信じたわけではなかった。
しかし、それでも良かったのだ。
このゴルドの想像を超えた怪物が、最低でも王国に対して不利益になる事をしないという確約が取れただけで、彼にとっては満足だった。
そして、それはマフデトにとっても同じ事だった。
彼女は満足したように何度も頷くと、猫を被って口を開く。
「ま! 今回はこのくらいが落とし所だよね! マフちゃんはまた勝利してしまった…………敗北を知りたいね!」
「二度とそのツラを俺様に見せるなよ、反射的にぶん殴っちまいそうだ」
「おーおー怖い怖い。ま、いいもんねー! マフちゃんは王様に守ってもらうから!」
ゴルドはその様子に舌打ちを鳴らした。
そして、世界が崩壊を始める。
全ての金貨が融解し、液体となって何処へと流れてゆく。
何度も見たその景色を眺めながら、ゴルドはため息をついた。
最低限の課題は達成した、後は「貴族祭」を楽しんで、それからーーーー。
「あっ、そうだ。言うの忘れてた」
ゴルドはマフデトのその言葉に、今日一番の悪寒を得た。
視線が釘付けとなり、マフデトから目を話す事ができない。
マフデトはニヤリと笑うと、警戒するゴルドに対して致命的な一言を放っていった。
「今の王都…………魔物と魔人が入り込んでるから、気をつけてね?」
「……………………は?」
再び呆気に取られるゴルドを他所に、世界は崩壊し、マフデトの姿も金に飲み込まれて消える。
「じゃ、頑張ってね! マフちゃんは安全なところから見守ってるから!!」
憎たらしい言葉を最後に、ゴルドの意識は現実へと引き戻された。




