扉を叩く者
先導する使者を視界に入れながら、ラムセスはこの先の事へ想いを馳せていた。
ラムセスを呼び出してきた第一王女ネフェリはラムセスの婚約者だ。
昨年の「貴族祭」の時に初めて謁見し、それ以来文通を通して交流を深めている。
可憐ではあるが、どこか得体の知れない少女。
それが、ラムセスからネフェリへの評価だった。
ラムセスは元々、この婚約にあまり乗り気ではなかった。
初対面のラムセスを気に入ったネフェリが、殆ど無理やりに近い形で結んだものだからだ。
一年前の事を思い出したラムセスは、思わずため息をついた。
正直に言えば、ラムセスはネフェリの事が少しだけ苦手だった。
意味深な言動に、不可思議な雰囲気。
それに加えて、ラムセスに対する不自然な好意を示す彼女は、ラムセスが理解できない存在だった。
その好意自体は嬉しいものだが、どこか近寄りがたい。
しかし、相手は敬うべき王族である。
もとよりそんな気はないが、無碍に扱う事も出来ない。
嫌いではないが、同じ空間にいるのはなんとなく気が進まない。
そんな相手が、自分と二人きりになりたいと主張している事を思えば、ラムセスも自然とため息が出るというものだった。
ラムセスがバステトを連れて行こうとしたのは、心配が八割ほど理由に含まれるが、残りの二割はラムセス自身が一緒にいて欲しかったからだ。
バステトが見せた健気な態度に、気がつけば首を縦に振っていたのだが。
そんな事を考えていたラムセスへ、使者の少女が話しかけてくる。
「ラムセス様、どうかなさいましたか? 気分が優れないようですが…………お連れの方が心配ですか?」
ラムセスは首を傾げた。
この少女は王女の使いだ。ならば、それなりの身分の者が選ばれているのだろう。
しかし、ラムセスは公爵の長男だ。
そのラムセスよりも位が高いかというと、そんな事は考えられない。
基本的には、身分が低い者から高い者へと声をかける事は、マナー違反という事になっている。
普通であれば、この少女が自分から話しかけてくる事など、殆どありえないと言ってもいいだろう。
そう考えれば、先ほどはやや動揺していたため気にならなかったが、ラムセスとゴルドが会話している中に割って入って来たことも、やや不自然に思えてくる。
しかし、今日は「貴族祭」だ。
無礼講という文化があり、それに則っていると考えればおかしくはない。
第一王女の呼び出しならば、優先度も高い。
もとより、身分の遵守とはあくまで作法の一環であり、ラムセスはそこまで気にする方ではない。
頭をよぎった疑問に蓋をして、ごく普通の返答をする。
「えぇ……まぁ、それなりに。僕は今回が初めての「貴族祭」なので、従者を同伴させたのですが……彼女も緊張していたようですし、やっぱり一人にするのはどうも。せめてホルスがいてくれれば良かったのですが…………あぁ、ホルスというのはうちで雇っている冒険者のことです」
「存じております。しかし、どうしても二人きりという事でしたので…………ご容赦を」
「彼女の言い出しそうな事ですね」
二人の足音が、通路に響く。
先導する少女の背中を見ながら、ラムセスは足を進める。
それから少しの時間が経ち、少女が一つの扉の前で足を止めた。
そしてコンコンと、右手で二回ノックする。
一拍おいて、扉の奥からラムセスの耳へと声が届く。
「だれ?」
「ネフェリ王女殿下、ラムセス様をお連れしました」
「! …………入って!」
記憶の中にある婚約者のものと同じ声を聞き、ラムセスは覚悟を決めた。
相手は王族であり、婚約者であり、その前に一人の少女でもある。
普通に接していれば、何の問題もないだろう。
そもそも、第一印象に引っ張られすぎなのだ。
ここで一度、お互いの事をよく理解し合えばいい。
そう思ったラムセスは、これをいい機会だと判断し、自分の背中を押した。
今までが、相手のことを知らなさすぎだったのだ。
一年前に数日だけ接し、それ以降は月に数度の文通のみでしか相手と交流することがなかった。
表面上は穏やかなやり取りではあったものの、その裏には常に相手に対する不信を感じていた。
単純に時間が足りなかったのだ。
お互いを知るための時間が。
使者の少女に促され、扉の取手に手をかける。
だから、ラムセスはその扉を開くまで気がつかなかった。
自分が既に罠に嵌められていた事に。
第三者の思惑によって、意図せぬ争いに巻き込まれている事に。
ラムセスの背後に立った使者の少女の瞳孔が、その内心を表すかの如く激しい伸縮を繰り返している事に。
「…………えっ?」
扉を開けたラムセスは、その先にある風景に目を疑った。
ここは間違いなく、城の中だった。
少女に連れられ、見覚えのある場所を通り、かつて一度だけ訪れた婚約者の私室まで辿り着いた。
それは間違いのない事だった。
しかしラムセスの目の前にあるのは、少女の部屋などではなかった。
そもそも、室内ですらなかった。
そこは、つい数日前に訪れた筈の場所。
そして此処からはそれなりの距離が離れている筈の、今は全く無縁の場所。
円型闘技場、「クライレンツ・コロッセオ」。
ラムセスとベンニーアが決闘を起こし、そして彼が勝利した場所。
その闘技場の広場が、ラムセスの目の前に存在していた。
呆けていたのは、一瞬だった。
「…………っ!」
明らかな異常事態を前にして、ラムセスは咄嗟に戦闘態勢に入る。
そして彼の魔術師としての感覚が、自らに迫る脅威を敏感に察知する。
一瞬の逡巡を経て、ラムセスは扉の奥へと身を投げ出した。
それが相手の思惑通りである事を理解していたとしても。
そう行動せざるを得なかったのだ。
背後にいた少女が、ラムセスへと襲い掛かってきていた。
ラムセスは落ち着いて魔術を行使し、二人の間に水の壁を作る。
稼いだ時間を使い、炎の噴射で推進力を発生させて、その場から距離を取る。
扉があった筈の場所から眼を離さないまま、温度を感知して周囲の気配を探る。
そこには誰もいなかった。
ラムセスと襲撃者の二人を除いては、誰も。
水壁の向こう側の気配が、激しく変化を起こす。
人間の体温程度だった襲撃者の温度は、人ではありえない挙動で高低の変動を繰り返し、その形を変えていく。
炎の波が、水壁を吹き飛ばした。
ラムセスはその熱を肌で感じ取り、そして悟る。
この炎は、魔術ではないと。
水蒸気が眼前を覆い、ラムセスは更に警戒を高める。
そんなラムセスの元へ、彼の知らない声が届く。
「やっと、二人っきりになれたね」
甘ったるい声だった。
まるで媚びるような、それでいて相手を不快にさせるような、無自覚な悪意のこもった声音。
ラムセスは眉を顰め、不機嫌さを露わに問いかけた。
「君は何者だ、どうして僕を襲う」
その言葉に対応するように水蒸気が晴れ、襲撃者の姿が現れる。
フリルのついたゴシックロリータの服装、黒いショートの髪型と異端の瞳。
目の下に刻まれた菱形の紋様が眼を惹く。
見た目は貴族の少女のようであるが、それはあくまで見た目だけの話。
その隠しきれない悪意と、全面に押し出された人外の気配を、否が応でも感じ取る。
ラムセスは目の前の少女の体温が、絶えず不規則に変動し続けているのを見抜いていた。
それはまるで、一分一秒ごとに全く別の生命に変異しているかのようで。
だからこそ、ラムセスは確信を抱いた。
少女がその美しい顔に喜色を浮かべ、口を開く。
「はじめまして、おうさま」
この少女は、人間ではない。




