嵐の前の一幕
瞬く間に時間は過ぎ去り、ついに新年を迎える時が来た。
宴を前にして貴族達はそれぞれ王城へと集い、城下に用意された待合室で身だしなみを整えている。
貴族街の一部が解放され、王都の住民達は屋台を開き、催しを行い、新しい一年を迎える事を待ち望んでいた。
そしてラムセス達もまた、王城へと移動していた。
貴族街から王城へと続く道は渋滞を防ぐためにある程度の交通規制が敷かれており、貴族達は細かに時間を指定され、順番に王城入りを果たしている。
ラムセスはこの日のために用意された服を抱え、気持ち上機嫌に足を進めている。
バステトも同様にやや興奮状態になっているためか、その尻尾をゆらゆらと動かしている。
ホルスは一歩引いたところからその二人を見守っており、どことなく優しい目つきをしている。
そうして三人で歩いている最中、ふと思い出したかのようにラムセスが口を開いた。
「そういえば確認してなかったけど、ホルスは衣装を用意してるの?」
「ええ、勿論です。少しサイズが小さかったので手直ししてもらいましたが、一着だけ相応しい服がありましたので、それを」
「? …………言ってくれれば新しいものを用意したのに。まだ、この服のお礼もしていないし」
「いえ…………大切な人からもらった物ですので。私にはコレでいいのです」
「ふーん、なるほどね…………そういえば、ホルスの話ってあまり聞いた事がないよね。家族とかはどうしてるの?」
ラムセスがそう問いかけた時、ホルスは僅かに動揺し、息を飲んだ。
ラムセスはその変化を敏感に察し、よくない質問をしてしまったのかと、撤回しようとする。
「ごめん、聞いちゃダメな事だったかな? 別に問い正そうって訳じゃないから、忘れてくれてもーーーー」
「いえ、そんなことは…………その、突然でしたから。動揺してしまって…………今まで、私の事を聞かれた事はありませんでしたから…………その、興味がないのかと思っていまして」
「まぁ、流石に数ヶ月も一緒に暮らしてたら興味も出てくるよ。別に何か疑ってる訳じゃなくて、純粋に知りたいと思ったんだ。思えば、出会った時に少し脅かしすぎたかなってね…………お互いの事を知る、いい機会だと思うんだ。よければ、聞かせてくれる?」
ホルスは少しだけ逡巡する姿を見せたが、やがてその顔に決意を乗せると、一つ頷いた。
「はい、覚悟は決まりました。なんでも聞いてください」
「いや、そこまで気負う必要はないよ? …………じゃあ、前から気になってたんだけど、ホルスって愛称に由来とかあるの? 実はその名前は少し聞いた事があってね、因果というか…………なんだろ、縁みたいなものを感じてたんだ」
「これは…………私の拾い親が名付けてくれたのです。私は小さい時に、記憶喪失で発見されまして…………名前も思い出せなかった私に、あの人が…………」
初めから地雷のような話を踏み抜いてしまった事に対して、ラムセスは頬を引きつらせた。
なんとなくだが、その場の雰囲気がやや暗くなった事を彼とバステトは感じ取った。
「へ、へぇー……記憶喪失ね。話には聞いた事はあるけど、始めて見たよ…………大変、だったね」
「いえ、不自由を感じた事はありませんでしたよ。確かに最初は不安でしたが…………その、お父さまが…………大切にしてくれましたから。あ、お父さまというのは……私を拾ってくれた人で。私に名前を付けてくれた上に、色々な事を教えて頂きました」
「それは、良かった」
お父さま。そう口にした時にホルスは感情の篭った瞳をラムセスに向けたが、前を見て歩いている彼は彼女のその様子に気がつく事はなかった。
ラムセスとホルスの二人を交互に見ていたバステトはそれに気がついたが、その意図に察しはつかず、首を傾げる。
ホルスは続ける。
「それで…………お父さまは私に色々なものを…………本当に、色々な…………贈り物をくれまして、手直しした服も、その人から貰った物なのです」
「なるほど…………ホルスは本当に、その人の事が大切なんだね。きっとその人も、娘が立派に育って喜んでいると思うよ。A級冒険者なんて、凄いじゃないか」
「そう…………だと、いいですね…………」
ホルスは話を進めるにつれ、少しずつ声に震えが混じるようになっていた。
彼女の胸中には、在りし日の思い出と、それに対する様々な感情が渦巻いていた。
ホルスはラムセスを見つめる。
かつて見た後ろ姿よりも遥かに小さく、それでいて未熟な体。
それでも、ホルスはその背中に対して、思い出の中の父親を重ねざるを得なかった。
懐かしさと、寂しさが彼女の中を吹き抜ける。
ラムセスの隣に立つバステトの姿が、幼い頃の自分に置き換わり、ラムセスと手を繋いだ。
ああ、今ここで全てを打ち明けられれば、どれだけ楽になるだろうか。
ホルスはそう思い、口を開こうとして。
「それで、その人は共和国に? 連絡は取ってる? ちゃんと元気な顔を見せてあげないと、可哀想だよ?」
ラムセスの言葉によって、理性を取り戻した。
そう、今目の前にいるラムセスは、自分の知る彼とは別人なのだ。
たとえどれだけホルスが父を想っても、既にその存在は時の彼方。
どうやっても再会する可能性など、ありはしない。
愕然とした。
覚悟は出来ている。ホルスは遥か昔に自分をそう定め、ずっとそれを真実だと思って生きてきた。
しかし、今のラムセスの反応によって、嫌でも理解せざるを得なかった。
自分と彼の温度差に。
その間に広がる、大きな認識の違いに。
不自然な間ができそうになるのを全力で阻止するべく、ホルスは急いで口を開いた。
「いえ…………そうですね、暫く会ってないです。お父さまは忙しくて、遠い所に住んでいますから…………どうしても、都合がつかなくて」
「そうなんだ、じゃあ…………そうだね、公爵当主代理の仕事が終わったら、会ってくるといいよ。父上は僕が説得するからさ…………きっと、ホルスのお父さんも喜ぶよ」
「そうですね…………そうしたいと思います」
口から悲鳴が溢れそうになるのを抑え、なるべく自然な会話が出来るように努める。
少しでも気取られるわけにはいかなかった。
きっと今、彼の顔を見てしまったら。
ホルスは自分の感情を抑えきれる自信がなかった。
ラムセスを抱きしめたかった。
その体に触れ、全てを語って心を通じあわせたかった。
たとえ自分の一方通行な愛情であったとしても、それを知ってもらいたかった。
しかし、それは出来ない。
まだやるべき事は終わっていないのだ。
全てを乗り越えた後、その先の未来に辿り着くまで、この想いは秘めていなければならない。
今ここで打ち明けてしまったら、きっともう立ち上がれなくなってしまう。
その精神に寄り添い、自分の足で進めなくなってしまう。
魔法の力を失い、これ以上役に立つ事が出来なくなってしまう。
それだけは嫌だった。
自分が役立たずになってしまう事を、ホルスは何よりも恐れた。
だって、そうだろう。
かつて、彼が一番助けを欲していた時。
魔法のない自分は、何もする事が出来なかったのだから。
「えぇ…………そうですね。役目が終わったのならば、会いに行こうと思います」
「そうした方がいいよ。家族は大事だから…………二度と会えなくなる前に、なるべく沢山、ね」
最後の言葉は隣のバステトにも聞き取れないほど小さな声だったが、風属性の魔術師であるホルスの耳にはしっかりと届いていた。
ホルスは涙を堪えつつ、自然な笑顔を作ることに全力を注いだ。
彼女は孤独なのだ。
この世界において、真の意味での…………ただ一人の「生き残り」。
ホルスは悟った。
たった、数歩。
このラムセスとの間の数歩の距離が、堪らなく遠い事に。
そして同時に、彼女は再確認した。
自分の使命、それを真っ当する事の大切さを。
今目の前にいる彼の未来を切り開く事の、尊さを。
きっとラムセスにとっては、何気ない世間話なのだろう。
しかし、それはホルスにとっては忘れる事のできない、何よりも重い決意を掘り起こす魔法の言葉。
たとえ、自分の命にかえても。
ホルスはそうして、大いなる戦いへの覚悟を手に入れた。
「貴族祭」開始まで、あと少し。




