渇望のベンニーア
ベンニーア・フランベリックは父親に愛されていなかった。
いや、事実は少し違う。
父親は娘としてベンニーアを愛したが、ベンニーアは魔術師として愛される事を願っていた。
その認識の差によって、ベンニーアは父親の愛を実感できなくなっていたのだ。
魔術師の女というものは、男よりも重要な役割を持っている。
血統を継いだ、次代を担う魔術師を産むこと。
すなわち、子を成す事だ。
王国の貴族は、十九歳から二十二歳までの三年間を、国への奉仕活動の時間として徴兵されることが決まっている。
それは今後魔術師としてどういう役割を果たすのかを見極めるための期間であり、同時に最低限の実績を積むための大切な時間だ。
そして、任期を終えたものはそのまま専門分野の研究をしたり、婚姻を結んで家庭に入ったりする。
ベンニーアの父親は、娘が結婚して世継ぎを産むことを期待していた。
そして、それ故に魔術師としての役割を果たすのは最低限でいいと思っていたのだ。
ベンニーアが父親に直接魔術を習ったのは、最初の一度のみだった。
それ以降は教育係が彼女に教鞭を振るい、父親がベンニーアの様子を見に行くことは一度もなかった。
彼女に二歳年下の弟がいたことも、原因の一つといえるだろう。
ベンニーアの才能の有無に関わらず、父親は彼女に「戦う者」としての力を求めていなかったのだ。
その代わり、弟がその役割を期待されるようになった。
火属性の魔術師は、昔から戦う事を至上の義務だと定められてきた。
それは王国のみならず、国境を跨いで東奔西走し、魔物という脅威から人類を守るという崇高な役割であり、軽視できるものではない。
火属性魔術師は、常在戦場を心の中に置いているのだ。
女であるベンニーアは、戦い続けることはできない。
国が貴族の子孫を求めている以上、いつかは家を守り、子を成す必要がある。
だからこそ、彼女の父親は魔術師としての期待を、ベンニーアに押し付けることはなかった。
父親を責めることはできない。
彼は国でも高名な公爵家の当主にして、魔術師団の高官なのだ。
自由にできる時間は限られているし、それを自分の「後継者」の育成に注ぐのも、当たり前のことだ。
貴族としての義務に忠実で、国に対して実直な男。
それが彼女の父親だった。
しかし、だからといってベンニーアが手を抜く理由にはならなかった。
彼女は父親を尊敬しているし、その在り方に憧れを抱いている。
ベンニーアは自分の自由になる時間の全てを、魔術の訓練に注いだ。
しかし、それでも。
父親が彼女の頑張りを認めることはなかった。
認めない、といってしまえば語弊があるかもしれない。
単純に、どちらでも良いと考えていたのだ。
ベンニーアの才能があろうと、なかろうと。
女性である以上、子供を産めればそれだけでいい。
彼女の父親は、なにも女性を軽視しているわけではない。
自分にできない役割を立派に果たす事を、素晴らしい事だと思っている。
むしろ、尊敬すらしていた。
だからこそ、それ以外に何かを求める事に抵抗を持っている。
いずれ家庭に縛られることになる娘には、せめて今だけでも自由を与えたい。
そう考えた彼は、ベンニーアにも何かを求めるつもりはなかった。
それが、不器用なりの彼の愛し方だったのだ。
だが、ベンニーアはそれに納得がいかなかった。
彼女は父のようになりたかった。
昔一度だけ見せてもらえた父親の魔術が、瞳の奥から消えなかった。
寝る前に語って聞かせてくれた武勇伝に、心から憧れた。
初めて魔術を成功させた時のように、もう一度褒めてもらいたかった。
弟のように、対等な貴族としての教育を受けたかった。
ただ我武者羅に走った。
誰よりも強く、誰よりも高みへ。
そしていつの日か、父の隣で戦う事を夢見て。
だから、両親の会話を耳にした時、今しかないと思ったのだ。
『最低でも二年は戻れない。あの子達を、頼んだぞ』
『任せてください。私が、貴方のいない家を守ります』
彼女の父親は凄腕の魔術師にして、現場指揮官としても有能だった。
国中を周り、悪名高い魔物達と戦う『遠征』。
それに参加する事が、決まっていたのだ。
それを聞いた時、彼女は恐怖した。
まだ、認めてもらっていないというのに。
自分の活躍する姿を、見せてすらいないというのに。
二年、二年だ。
未だ八歳の子供にとって、それは永遠とも言える別離のようにすら感じられた。
ベンニーアは考えた。
自分の魔術を見てもらうためには、どうすればいいのか。
せめて一言だけでも、旅立つ前に聞きたかった。
『よく頑張った。お前は自慢の娘だ』
そう言ってもらいたかった。
魔術には自信があった。
五歳の頃から修行し、僅か三年間。
しかし、己の全てを注ぎ込んできた三年間だった。
だからこそ、ベンニーアはこの決闘に全てを賭けるつもりだった。
ベンニーアの父親とラムセスの父親は、学生時代にライバル関係にあったと、彼は語っていた。
そのライバルの息子であるラムセスが才能のある魔術師であると褒めていたのも、彼女は覚えていた。
決闘。
自分の娘がそれを行うとなれば、父親も必ず見に来るだろう。
そこで自分の成長を見せ、力を認めてもらう。
もちろん、自分が不利な戦いであるということは、百も承知だった。
切れる手札に差があり、年齢が同じであるならば、ラムセスの方が有利であると考える方が自然だ。
勝敗は二の次だ。
父親も若い頃は何度も決闘を行い、勝ち負けを競ってきたという。
ならば、勝ち負けに関係なく、今の自分の持てる全てをぶつけ、それを見てもらえればいい。
あわよくば勝利し、その栄光を捧げる事ができれば上出来だ。
そう考えていた。
そう、考えていたのだ。
ならばーーーー。
涙で視界がぼやけるのは、何故だろうか。
充満した熱に倒れそうになりながら、無理をしてまで魔力を絞り出して戦い続けている事の、意味はなんだ。
通じない攻撃を繰り返し折れそうな心を、奮い立たせて前を見ているのは、いったいどうしてーーーー。
ベンニーアには、もう何も分からなかった。
いや、本当は全部分かっていたのだ。
初めて見た時に、その内包された力を感じ取った。
自分とは比べ物にならない濃い火の気配に、心を打ち砕かれそうになった。
競技場に現れた時、その姿にバカにされているのかと憤った。
察していたのだ、勝てないと。
今の自分では、届かないと。
それでも、心の奥底で期待していたのだ。
自分の魔術が通じる事を、これまでの全てが無駄ではなかったという事を。
それをここで、証明できる可能性を。
魔術とは、才能の上に技術を重ねるものだ。
才能という土台に差がある以上、ちょっとやそっとの技巧では覆す事はできない。
もう、十分ではないか。
宙に散った涙が、炎で蒸発する。
ベンニーアは涙を拭い、観客席にいるはずの父親を探した。
すぐに見つかった。
父親は、王の隣に座っていた。
遠くて顔が見えない筈なのに、父親が心配している事がベンニーアに伝わった。
心配している。
誰を? もちろん、ベンニーアを。
それを理解したベンニーアは、カッとなって慟哭した。
「…………しがっ!」
ベンニーアの魔力が燃え上がり、魔術となって火花を散らす。
「わたしがっ!」
火の海となった競技場からかき集めた熱を束ねて、炎の大蛇を作り上げる。
「わたしが勝たないと!」
一匹だけではない。
大蛇はその数を増やし、二頭、三頭と塒を巻く。
「わたしが勝たないと、お父さまが安心できないのです!!」
ベンニーアは父親を愛していた。
その姿を目で追い、記憶に焼き付けていた。
そしてベンニーアはその中で、不安そうに頭を悩ます父親の事を、見逃さなかった。
それは、ラムセスが原因だった。
ベンニーアの父親とラムセスの父親は、ライバル関係にあった。
若い頃は決闘騒ぎを起こし、今でも意識しているほどに。
そのレムリットが作った子供が、自分の子供よりも優秀な上に、火属性の才能を持っていた。
ベンニーアの父親は、内心でその事を不安に思っていたのだ。
子供は親の道具ではない。
それを理解していた彼は、決して子供達を比較する事はなかった。
ただ、当人の感情は別の話だ。
彼は自分の方針に不安を抱いていたのだ。
自分の教育方法は、間違っていたのかと。
彼は怖かったのだ。
ベンニーアとラムセスは同い年であり、魔術学園に同時に入学することになる。
だから、怖くなってしまった。
自分の娘が将来ラムセスという存在と比較され、そして勝手に見限られるのが。
それによって、彼女に悲しい思いをさせてしまう事が。
自分のやり方が間違っていたのだと、正面から責められる事が、怖くて仕方がなかったのだ。
親が不安に思っているという事を、子供は鋭く察するものだ。
だから、ベンニーアは本当は勝ちたかった。
自分が認められるだけではなく、父親が間違っていなかった事を証明したかった。
たとえ、それが自分の願いと矛盾する事だとしても。
魔術師として目を掛けてもらえなかった事を、正しいと認める事になっても。
ただ一心に、父親に喜んでもらいたかったから。
「ああああああああっ!!」
全身全霊をかけた攻撃を、放った。
炎の大蛇が、ラムセスへと三方向から同時に迫る。
「そう、それが君の本心だったんだね」
この決闘が始まってから、初めてラムセスが動いた。
競技場の其処彼処に散った魔素をかき集め、水属性の魔術を行使する。
大瀑布の如き水柱が降り注ぎ、競技場内の全ての炎をかき消した。
ベンニーアは魔力切れでその場に倒れこみ、ラムセスは無傷でその場に佇む。
「よく頑張ったね」
ラムセスはベンニーアに近づくと、その体に触れる。
軽く脱水症状に陥っていたベンニーアの状態を回復させ、その体に魔力を吹き込む。
血行が良くなったのを確認し、安堵のため息を吐き出した。
そしてそのままベンニーアに手を貸し、立ち上がらせる。
「大丈夫、きっと君の気持ちは届いてるよ」
「…………っ!」
最後の叫び声を上げた時、ベンニーアは既に意識が朦朧としていた。
自分が口走った事を思い出した彼女は、目尻に涙を浮かべ、その場から立ち去る。
ラムセスは追いかけようとはしなかった。
観客席に座る、王の元へと視線を向ける。
そこに居たはずの一人の男の姿が、無くなっていた。
ラムセスと王の視線が合わさったのを、ラムセスは悟った。
その場で一度、頭を下げる。
勝者が敗者に何を言ったとしても、慰めになる事はない。
ラムセスはそれを理解していながらも、ああ言う他なかった。
まばらな拍手を受けながらも、ラムセスの胸中はベンニーアを泣かせた事への漠然とした罪悪感で満たされたままだった。
そして、この時ラムセスが彼女を追いかけていたのならば、あるいは。
また違った結末になった事だろう。
「みつけた」




