番外編四 ハルの陽射し
オリシス家の屋敷の裏庭で、ハルは剣の素振りをしていた。
ハルの両親は、冒険者だった。
国から報酬を貰い、魔物と戦う。
元々田舎で幼馴染として育った二人は、代わり映えのしない日常に辟易としていた。
父は他の村人達よりも恵まれた肉体を持ち、母は魔術の才能を持っていた。
村に役人が訪れ、母の才能が発覚した時、二人は村を飛び出し、冒険者として生きる事にしたのだ。
幸いにも二人は大きな怪我を負うこともなく、順調に実績を重ねて行った。
前衛として優秀だった父を、母が水属性の魔術で支援する。
二人はそうして戦い、やがて結ばれた。
子供が出来た時、つまりハルの兄が産まれた時は、二人は一度冒険者稼業から離れ、元いた村へと戻って、貯蓄を使いながら村人としての生活をし始めた。
村を出る前よりも立派になった二人を、村人達は盛大に歓迎した。
この世界の人々は、生来穏和な性格である事が多い。
それには、魔物という存在が大きく関与している。
魔物が現れ始めてから、既に数世紀の時間が流れている。
その間人類は、より魔物から遠ざかるように成長してきた。
つまり、より他者との繋がりを強くし、負の感情から遠ざかるようになっていったのだ。
悪感情は魔物が産まれるキッカケとなり、そして悲劇を通して伝播し、負の連鎖を引き起こす。
人類はそれを本能で察し、避けるために友愛を強めた。
とはいえ、それは完璧な進化とはいえず、どちらかというとその傾向がある、というだけの話だ。
だがそのお陰で、村などの閉鎖社会特有の、コミュニティから一度外れたものに対する拒絶感などは、現代においては殆ど無くなっている。
ハルの両親は村人達から祝福され、村八分になる事もなく、家庭を育んだ。
そしてハルの兄が戦える年齢になると、ハルの両親は二人目の子供を産んだ。
それが、ハルだ。
二人は兄と同じようにハルへ愛情を持って接し、そして彼女が五歳の時、つまり一昨年、国から受けた魔物討伐に失敗し、帰らぬ人となった。
それから二年間、ハルは年の離れた兄とともに生きてきた。
ハルの兄は両親から、戦う者としての教育を受けていたが、冒険者になる事はなく、村で狩人として生きる道を選んだ。
それは、魔物によって両親を殺された事で心が傷ついたハルに対する、兄なりの思いやりだった。
もし自分が魔物に殺されたとしたら、ハルは一人になってしまう。
そして、より深く心にトラウマを刻み込む事になるだろう。
ハルの兄は、そう思っていたのだ。
ハルが森に行ったのは、そんな兄のためだった。
ハルの両親はそれなりに名のある冒険者だったらしく、ハル達は生活に困らない程度の遺産を得ていた。
しかし、金はいずれ無くなるもの。
ハルの兄はそこをしっかりと理解していた。
だからこそ、彼は身を粉にして働き、生活のために金を稼いだ。
そんな兄は、いつもハルの事ばかりを考えていた。
それはハルから見れば、無理をしているようにしか思えなかった。
だから、あの日。
兄のために森へ行き、村の老婆から教えてもらった薬草を採取しようとしたのだ。
ハルは七歳だ。
自分が兄の重荷にならないように、自立するために、薬師になろうと考えたのだ。
そうすれば、兄が怪我をした時にも、自分が治す事ができる。
その為にハルは老婆の元で勉強し、初めての薬草採取へと向かった。
その結果が、魔物による兄の死去だった。
村の老婆は責任感で涙を流しながら、ハルを引き取ろうとした。
しかし、ハルはそれを断った。
兄が居なくなってしまった以上、自分が強くならなければならない。
兄の代わりに、戦って行かねばならない。
そう考えたのだ。
きっと兄が聞いたら、反対するだろう。
しかし、これはハル自身が決めた事だ。
あの日、兄が死んだ日。
ハルは一人の少年の中に、太陽の輝きを見つけた。
近づけば目を焼かれてしまいそうな程の、強烈な魂の輝き。
それにハルは、心を奪われてしまったのだ。
だからこそ、ハルはこうして自分を高める為に、毎日剣を振り続けている。
誰も望まない事だとしても、誰が止めようとも。
兄の代わりに戦い、兄の分も生き続ける。
この身の許す限り強くなり続け、輝きたい。
それが一時の気の迷いだとしても、自分で決めた事だから。
だからハルは、こうして剣を振るうのだ。
「感心だね。でも、少し休んだらどうかな」
そんなハルの耳が、ある少年の声を拾った。
剣を振るう手を下ろし、声の聞こえた方へ振り返る。
「ラムセス様、どうしましたか?」
その先には、自分を救ってくれた貴族の子供が立っていた。
ラムセス・オリシス。ハルの暮らしていた村を含めた、ここら一帯の領主だ。
ハルと同い年だというのに、既に魔術を巧みに使いこなしており、身長もハルより頭一つ分は高い。
水属性の名家に産まれたにも関わらず、卓越した火属性の才能を併せ持つ、麒麟児。
田舎の出身とはいえ、その噂だけは聞いていた。
ハル達には想像のつかない、遥か雲の上の人。
なんの因果か、そんな存在が今、ハルの目の前に立っている。
何故か上半身には何も衣類を身につけずに、立っている。
首から下げているネックレスが、光を反射して輝いている。
ハルはラムセスへ最初、複雑な気持ちを抱えていた。
「もう少し、はやく来てくれれば」
そう考えなかったと言えば、嘘になる。
しかし、ラムセスは命の恩人であり、そして兄を弔ってくれた人でもある。
とてもじゃないが、そんな事は言えなかった。恥知らずにも、程があるから。
ラムセスは心が傷ついたハルの事を、出来る限り気にかけていた。
ハルはその時こそ、ラムセスの考えに気がつく事が出来なかった。
しかしやがて、それは彼なりに責任を感じているからこそなのだと、幼い精神ながらも悟った。
それ以来ハルは、憑き物が落ちたかのように、素直な心でラムセスに接している。
穏やかな気持ちで感謝する事が、できている。
ラムセスがハルへと、口を開く。
「屋敷の上から見てたんだけど、もう何時間も素振りしっぱなしだったからね。流石に過剰に動きすぎだと思って、止めにきたんだ」
「あっ…………俺……すみません、その、わざわざ…………」
「ああ、そんなに畏まらないで。僕が勝手に来ただけだから…………それと、ちょっと気になった事があってね」
「? …………気になった事、ですか」
ラムセスはハルへと近づき、その肩に手を置いて魔術を発動させる。
ハルは気が付いていなかったが、今の彼女は全身から汗を流しており、軽く脱水症状を起こしていた。
ラムセスは水属性魔術で汗を飛ばし、それと同時に肉体に水分を送る事で、ハルの体調を整えたのだ。
魔術を使われた事で健康状態が良くなったハルは、それに気がついて慌てて感謝の言葉を口にする。
「あっ、ありがとう…………ございます」
「どういたしまして。体は大切にね」
その場に、少しの静寂が訪れた。
ラムセスは、この家族を失った子供に対して、なんと言えば良いのか分からない。
ハルは、ラムセスという目上の存在に対して、どう会話すれば無礼にならないか、考えている。
そしてその雰囲気を破ったのは、何時ものように、ハルだった。
「あ、あの…………」
「ん、どうしたの?」
「い、いつものやつ…………お、お願いしても、いいですか?」
そこまで言われて、ラムセスは目の前の子供が、モジモジと落ち着きなく体を揺らしている事に気がついた。
ラムセスは内心で「よく飽きないな」と思ったが、徐にその場に座ると、両手をハルへと差し出した。
ハルは恥ずかしがるように目を伏せ、顔を真っ赤にしていたが、剣をその場に置くと、ラムセスの方へと近づいた。
そして、ラムセスのお腹に顔を埋めるように、抱きつく。
ハルは両手をラムセスの背中へ回し、強くなりすぎない程度に力をこめた。
ラムセスも、そんなハルを両手で抱え、頭を抱きすくめる。
ハルは時折こうして、ラムセスに家族のように甘えるようになっていた。
きっかけは、ハルが陰で泣いていたところを、ラムセスに見つけられた事だ。
家族を失った悲しみは、簡単に癒える事はない。
それを真に理解できていなかったことに、ラムセスは衝撃を受けた。
そしてラムセスは、殆ど衝動的にハルを抱きしめ、胸の中で彼女の嘆きを受け入れた。
ハルも最初こそ驚いていたものの、ラムセスの持つ不思議な包容力に満たされ、最終的には声をあげてその悲しみ全てを曝け出した。
なんで、どうして。兄が、自分が。
こんな目に遭わなければいけなかったのか。
心に沈殿していた不満や、鬱蒼とした感情全てを、ハルはラムセスへと叩きつけた。
ラムセスはそれを受け入れ、只ひたすらに話を聞き続けた。
そして、それからだった。
ハルがラムセスに真の意味で心を許し、身を預けたのは。
癖になってしまったのだ。
その暖かさと、感触が。
こうしてラムセスとハルが二人きりになった時、消極的にハルがラムセスに甘え、そしてラムセスがそれを許すようになった。
勿論、これは純粋な好意から来ているものであり、思春期特有の甘酸っぱい感情は発生していない。
少なくとも、ラムセスはそう思っている。
しかし、周りはそう思っていなかった。
特に、ラムセス達の様子を屋敷の窓から眺めている、この双子にとっては。
「ああああああ! また兄様にあんな風に…………あああああああ!!」
「ちょっと、アンナ。少し煩いよ」
「アトムはアレを見て何も思わないの? 私達の兄妹としての立ち位置が脅かされそうになっているのよ!? 何よあの女! ポッと出のくせにあんな風に…………羨ましいったらないわ!」
妹であるアンナは特に必死だ。
最初は男の子だと思われていたハルだったが、屋敷に帰還してすぐに身体検査を受け、その時女の子である事が明らかになっていた。
そう、女の子だという事が判明していたのだ。
「や、だって僕は弟だし。立場が被りそうになっているのは妹のアンナだけでしょ? 羨ましいのは事実だけど」
「はあああああ!? 兄様があの子を男の子だと思っていた時は、牙を剥いた猟犬みたいになってた癖に!」
「うーん、だってアレは…………多分、うん。心配ないと思うけどなぁ」
興奮を抑えられないアンナを、アトムが嗜める。
いつもはアトムも一緒に暴走しているため、珍しい光景だった。
アトムの思わせぶりな言葉に、アンナは落ち着きを取り戻し、不思議そうな顔で意図を訪ねる。
「え? どういうこと?」
「多分あの子、普通に女の子として兄様の事が好きなんじゃない? 家族愛と恋愛は別だし、気にする事ないと思うよ。それはそれとして、羨ましいけど」
「ははぁん、なるほどね。じゃあ安心……出来るわけないでしょ! 私達の兄様が取られたら如何するのよ!」
「まぁまぁ、落ち着いてよ。兄様も言っていたじゃないか。傷ついた人の心を癒すのも、貴族の務めだって。慈愛の笑顔を浮かべた兄様も、とても素敵だよ。羨ましけど」
「…………? アトム、貴方今日はやけに落ち着いているわね…………何かあったの?」
流石にアンナも、今日のアトムは様子がおかしいという事に気がついた。
その事を直接尋ねられたアトムは、恥ずかしそうに頬を掻きながら、顔を赤くしてアンナへと打ち明ける。
「あ、分かる? 実はね……えへへ、我慢できなかったから、さっき兄様のベッドに忍び込んで、兄様の匂いに包まれて来ちゃいました。今の僕は全てを許せるのです」
「はあああああああああ!? さっきからいい匂いがすると思ったら、そんな事をしていたのね! はしたないわ! 羨ましい! 私にも寄越しなさいよ!!」
「え? うわああああああ! やめろぉ! 僕から兄様の匂いを奪おうとするんじゃない! やめ…………やめろって言ってるだろうが!!」
部屋の中でドタバタ騒ぎ始めた双子は、すぐに教育係に叱られ、二人して正座をする事になる。
そんな二人を他所に、ラムセスとハルの時間は、安らかに過ぎ去っていった。
ラムセスを探していたバステトがその景色を見た時、また一悶着起きるのだが、ラムセスはまだその事は知らない。
今回のファラオ'sキーワード
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