視線と距離と誤解
※この物語はハッピーエンドです
「まぁ、なんだ。こういう奴だが、実力は本物だ。行き先はもう告げてあるから、安心して行ってきなさい」
「はい、それでは行って参ります」
魔物退治は速度が重要だ。
特に人里に近い場所に魔物が現れた場合は、一刻を争う事態になる。
なにせ、魔物に殺された人間の殆どが、魔物に変わってしまうのだ。
対応が遅ければ遅いほど、感染症のように、鼠算式的に魔物の数が増えてしまう。
そうならないように、国民には避難撤退の心得が広く布教されている。
今回ラムセスが討伐に行く場所は、領内の農村の一つの近くにある森だ。
昨日に目撃証言があり、村人達はすでに避難済みだ。
そして一晩で領主であるオリシス家に伝令が入り、今朝レムリットに知らせが届いた。
説明に時間を取られたが、此処からはなるべく迅速な対応が求められる。
ラムセスはホルスを伴って執務室を退室し、そのまま話をしながら準備を進める。
「ホルスさんは」
「ホルス、とお呼びください」
「…………じゃあ、ホルス。貴女は風属性の魔術師ですね?」
「はい、その通りです。よくお分かりになりましたね」
「…………僕の熱探知は、物に触れた魔素が反射し、その魔素を僕自身が取り込むことではじめて機能します。ホルスは風属性の魔術で、魔素の流れを変えていたのでしょう?」
「ええ、ご慧眼に感服いたします」
「…………その言葉遣い、やめませんか? 父上との会話を見た後だと、違和感を感じます」
「いいえ、未来のファラオに対して、無礼を働く事はできません」
「まぁ、そういう事なら構わないですけど…………ハッキリ言っておきますが、貴女は微妙に信用できません」
「あら? 何かお気に障ることをしてしまいましたか?」
「そういう訳ではありませんが…………」
言いにくいのか、ラムセスは言葉を濁す。
そんなラムセスに対して、ホルスは疑問を浮かべ、再び質問をする。
「では、何が気になるのですか?」
「…………ホルス、貴女は僕を通して誰を見ているのですか? 父上ですか? それとも、母上ですか?」
「…………っ」
ラムセスは最初から違和感を感じていた。
このホルスを名乗る女性の事を、ラムセスは知らない。
誰も知らない事だが、ラムセスは赤ん坊の頃から自我を持っており、その頃からの記憶をハッキリと覚えている。
その記憶の中で、ホルスに出会った事は、一度もない。
そう、自分が産まれてから七年の中で、これが始めての出会いなのだ。
それにも関わらず、ホルスはラムセスに対して、やたら親しげな態度を取っている。
少し接しただけなので確証はないが、言葉遣いこそ敬意を感じさせるものの、その内面はもっとずっと近しい関係のように思っている節がある。
レムリットから話を聞き、好印象に思っているだけでは、この様に親近感を得る事はないだろう。
そして極めつけは、その眼だ。
ラムセスはその眼に見覚えがあった。
人に誰かの面影を乗せて、その先の人物を眺めている眼だった。
ラムセス自身が弟と妹に向けていた、今は会うことのできない前世の兄妹を見つめていた時の眼と、同じだったのだ。
ラムセスは一度だけ、その事で弟達を泣かせてしまった事がある。
自分の兄が見ているものが自分達ではないと、アトムとアンナが気がついたのだ。
その二人が泣き出し、その理由を語った事で、ラムセスは自分のした事を恥じるような思いで反省した。
つまり、ラムセスがホルスに対して感じたのは、同族嫌悪だ。
自分がそういう視線を向けられた事で、過去の自分が犯した誤ちがどれだけ愚かな事だったのかを、嫌でも理解せざるを得ないから。
「貴女にどんな理由があって、そんな眼をしているのかは知りません。ですが、一度だけ言わせてもらいます。僕を見てください。貴女の目の前にいるのは、このラムセス・オリシスなのですから」
「…………はい、申し訳ありません」
ラムセスも、何も心の底から信用できないと思っている訳ではない。
レムリットの態度や、ホルスの反応を見る限り、悪い人柄でないのはよく分かる。
ただ、その眼だけがどうしても認められなかったのだ。
ラムセスは生まれ変わってから、誰よりも努力し、そして誰よりも優秀であり続ける事を、自分自身に課している。
そんなラムセスは、それ相応の誇りを持ち、そして人心に敏い。
自分を目の前にして、他の誰かを見ている事が気に障ったのも事実だが、それ以上に許せない事がラムセスにはあった。
ホルスの瞳は、過去を映している。
いや、囚われていると言った方が良いかもしれない。
ラムセスにはそれがすぐに分かった。
何故ならそれは、ファラオを目指そうとする前のラムセスが毎日していた瞳だったからだ。
前世の幻影を映した、今を生きる事に向き合っていない者の眼と同じだったからだ。
過去を忘れられないというのは、悪い事ではない。
ラムセスだって、完全に前世を切り捨てられた訳ではない。
未練だってあるし、後悔を挙げていけばキリがない。
しかし、それでも未来を向いて生きているのだ。
ファラオという雄大な夢を、決意を現実とするために。
ホルスがどんな事情を持っているのかは分からない。
しかし、それが何であれ、人は前を見て生きるべきなのだ。
過去に取り憑かれ、死ぬべきではない。
この生者にも死者にも厳しい世界なら、特に。
ラムセスは装備を整えながら、ホルスの方へチラと視線を向けた。
ホルスは落ち込んでいた。
貴族とはいえ、出会って間もない少年に失礼な事を言われただけなら、こうはならないだろう。
きっと、思い当たる節があるのだ。
ラムセスは少し反省していた。
いくら不快に思ったとはいえ、感情に任せて相手に告げる事でもなかった。
あるいは、もっとやんわりと諌めることも出来ただろう。
これから仕事だというのに、この女性はすっかり気を落としてしまっている。
ラムセスからすれば、出会ったばかりの相手に少し言われただけで、ここまで落ち込むとは思っていなかったのだ。
それなのに、この女性はまるで「自分の親に怒られた」かのように自省している。
その理由は恐らく、この女性が見つめていた過去と関係があるのだろう。
反省しているようだし、普通なら少し放っておくべきだ。
しかし、今は一刻を争う事態の真っ最中。
そんな時間はない。
(仕方がない)
ラムセスは、自分で落ち込ませておきながら、慰める立場になった事へやや不満を覚えながら、ホルスへと声をかけた。
「ホルス、僕はもう気にしていません。少し気に食わないと思いましたが、そんな私情よりも。魔物討伐の方が大事ですから」
「…………はい」
「だから、貴女はただ構えて見ていれば良いのです。僕の戦いを、僕の輝きを」
「…………はい」
未だ俯いたまま顔を上げないホルスに、ラムセスは近づき、そしてその胸元をつかんだ。
驚いているホルスの顔を自分の方へ向け、目を合わせてから、ラムセスは言った。
「僕を見なさい。僕の眼を見なさい。僕の背中を見ていなさい。貴女はそれだけでいい、分かりましたか?」
「は、はい…………」
ホルスは少し顔を赤らめながら、ラムセスの言葉に相槌をうった。
(やはり、妙だ。この反応はなんだ? 距離が近すぎる。まるで昔、僕に会ったことがあるみたいだ。そもそも、ファラオという言葉についても多くの人には告げていない。それにも関わらず、初見で僕をファラオと呼んできた。ホルスという名前も、無関係とは思えない。怪しすぎる、本当に父上から聞いたのか?)
ラムセスは思考を巡らせていた。
レムリットの懇願によって、ラムセスは外に出るときは上着を着ることにしている。
今回は魔物退治であるため、尚更装備は重要だ。
だからこそ、ラムセスは部屋に戻ってから、真っ先に上着を手に取った。
そして、それを着る途中でホルスへ話しかけたため、今のラムセスは服の前が開いた状態で、ホルスの胸元を掴んでいる。
しかも、ホルスの顔に見覚えがないか思い出そうとしているため、顔を覗き込んでいる姿勢だ。
その光景を横から見たら、どう思うだろうか。
そういう知識を持つ者からすれば、ラムセスが女性に迫っているように見えるだろう。
そう、例えば。
種族特有の早い成人を迎え、子供を作る事が出来るようになった、マセた猫の獣人みたいな者には、そういう現場にしか見えないだろう。
至近距離で顔を見つめられているホルスは、生娘のように恥ずかしがり、体を引こうとする。
「あ、あの。ファラオ…………その、顔がちか」
「ラムセス、さま…………?」
その場に金属音が響いた。
ラムセスとホルスが音源へ視線を向けると、そこには地面に落ちて少し欠けた装飾物が。
そしてその前には、ワナワナと震えながら両手を口に当て、目尻に涙を浮かべながら二人を見つめるバステトの姿があった。
そしてその視線を受けて、ラムセスとホルスは初めて、自分達がやや如何わしい状態になっている事に気がついた。
二人の声が、同時に溢れる。
「「あっ」」
バステトは少しずつその場から後ずさり、咄嗟に手を伸ばしたラムセスから逃げるように、その場を走り去った。
「ら、ら、ラムセス様が見た事もないメスと交尾しようとしてるーーーーーーっ! にゃーーーーーーーっ!!!」
大きな声で、とんでも無い事を叫びながら。
「ま、まって! まってバステ……はやっ! ちょ、ちょっと止まって! や、やめろーーー!! そんな言葉を口にするな! やめろーーー!!」
今回のファラオ'sキーワード
「未来の/
/ファラオ」
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ファ ラ オ s ma
…………失礼しました、復元完了です。
「不死王」
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誰よりも死を恐れ、死を遠ざけようとした者が至った、魔物の王。