ホルスの魔術、決戦前のひと時
バステトはラムセスによって捕らえられ、誤解を解く時間も勿体無いからと、魔物討伐に強制的に同行させられていた。
とはいえ、元々ラムセスはバステトにも魔物を見せるつもりだったため、ある意味予定通りだ。
ラムセスは、移動しながらバステトに訳を話していた。
「だからね、あれは別に性的な意味があった訳じゃなくて、ただ相手の顔に見覚えがないかどうか近くで見ていただけで」
「にゃぁあああああああ!」
「だからバステトが思ったような事は起きてなくて、というか女の子があんな言葉使っちゃダメでしょう」
「にゃぁあああああああ!!」
「ねぇ、バステト。聞いてる?」
「そ、そ、そ、そそ」
「そ?」
「空! 空飛んでます! にゃーーーっ!!!」
「あら、少し刺激が強かったみたいですね」
「説明している時間も、なかったからね」
「お、落ち、落ちる落ちる! 死んじゃいます、にゃ!!」
「落としませんよ、慣れていますから」
ラムセス、バステト、そしてホルスは今、空を飛んで移動していた。
ホルスが側頭部の羽を広げて飛翔し、その後ろをラムセスとバステトが追随している。
バステトは高所に恐怖感があるのか、先ほどとは違う理由で目尻に涙を浮かべている。
これは、ホルスの風属性魔術による空中飛行だ。
風属性魔術とは、『流れを自在に操る』事ができる才能を指す。
大気の流れを掌握し、その強弱や方向を操る事で、肉体を持ち上げ、飛行を可能としているのだ。
「それにしても、随分と速度が出ますね。前に一度だけ風属性の魔術で空を飛ぶ機会があったのですが、二倍くらい速いですよ、これ」
「ふふ、私は鳥類の獣人ですからね。この羽で自前で飛行できますし、羽によって上昇気流が生まれるので、より速く、より安定して他人を運ぶ事が出来るのです」
「ああ、なるほど。そういった部分では、獣人は人間以上に魔術を使いこなしていますね」
ホルスの羽は畳んだ状態で膝ほどまでの長さがあり、長く伸ばした髪の毛のようにすら見えていた。
それが大きく広げられた事で、飛行時に気流が発生している。
渡り鳥がV字になって飛ぶ理由は、後続の鳥がその上昇気流に乗り、より楽に空を飛ぶためだ。
それと同じ理屈で生み出した気流を、魔術で制御する事で、他の風属性魔術師よりも簡単に風の流れを掴んでいるのだ。
そして、その分だけ思考に余裕ができるので、風を制御できる範囲も広がり、速度と安定性を両立させている。
人間の魔術師ならば、空を飛ぶ為には、まず遠くの気流を捕まえるか、近くの大気を循環させて大きくするところから始めなくてはならない。
まさに、獣人である事を活かした魔術行使だ。
肉体的なアドバンテージを利用しているため、並みの魔術師を超えた範疇の魔術を利用できる。
獣人が魔術を覚える事を推奨している理由の一端が、ここにあった。
「単独ならば、お二人にかけている分の魔術を自分に行使して、誰よりも速く空を飛ぶ事ができます。どうですか? 凄いでしょう?」
「うん、すごいすごい」
「えへへ…………そんな事、ありますよぉ」
ラムセスは呆れていた。
ラムセスがホルスに抱いていた印象は、もっと謎めいていて、掴み所のない、そんな性格像であった。
しかしそれは間違いだと、この飛行中の短時間で気が付かざるを得なかった。
ホルスはラムセスへ、事ある毎に「褒めて褒めて」とアピールをしていた。
まるで、父親に構ってもらいたい子供そのものだ。
飛行速度の話を切り出したのはラムセスからだが、それだってチラチラアピールをしてくるホルスに根負けした結果にすぎない。
(妙に懐かれてるな。本当に、なんなんだろう)
ラムセスはホルスに対して警戒心を抱いていた。
しかし、この様子を見ているとそれもバカらしくなってくる。
緊張が続かないのだ。
これを意図的にやっているなら、中々の策士と言わざるを得ないだろう。
しかし、ラムセスのぞんざいな賛辞を受けて、鼻唄を歌いながらアクロバット飛行を始めた様子を見るに、それは考えられない。
きっと、本当にラムセスに対して好意を抱いているのだ。
しかも、肉親に対するものに近い好意を。
ラムセスにはそれが理解できなかった。
しかし、聡明なラムセスはある程度原因に当たりを付けていた。
前提として、ラムセスとホルスはあった事がない。
そして恐らくだが、レムリットからラムセスの話を聞いたというのは嘘だろう。
そもそもレムリットが相手に話した事を忘れるなどというのは、あり得ない。
レムリットは貴族の当主だ。
人間同士の争い事はなるべく起きないようになっているとはいえ、貴族というのは自分の領地の利益を追求する生き物だ。
口にした事を忘れてしまうような人間は、貴族社会でやっていくことは出来ないだろう。
そのレムリットが「言ったかな?」などと疑問に思っているという事は、どちらかというと「言ってない」という意思表明に近い。
よって、ホルスは「知らないはずの事を知っている」という事になる。
つまり、この時点でホルスは嘘をついている事になるのだ。
しかし、ホルスが「ラムセスはファラオを目指している」という事を知っていたのは、間違いなく事実だ。
という事は、三つの可能性が生まれてくる。
一つ目は、「風属性魔術で盗み聞きしていた」という可能性。
風属性は声という「波」の流れを操ることも出来る。
これだけ熟練した使い手である以上、それが可能か不可能がでいったら、可能である。
それも、あの親近感の持ちようから、一日二日ではなく、それなりの期間ずっと盗み聞きしていた事になるだろう。
ラムセスからすれば、ゾッとしない話だ。
二つ目は、「レムリット以外からの誰かに聞いた」という可能性。
これが一番現実的だ。
しかし、これが真実だった場合、わざわざ嘘をついたのが不自然になる。
なにせ、ラムセスはまだ家族や使用人以外には、たった二人にしかファラオという言葉を聞かせていない。
奴隷にして従者であるバステトと、婚約者にして第一王女のネフェリだ。
前者はそもそも初対面だし、あり得ない。
後者の場合は、わざわざ隠す必要がない。
強いていうなら、ネフェリがホルスを利用してラムセスの事を監視していて、それを悟られたくない場合は、辻褄があう。
しかし、ネフェリはそもそも純粋な少女であり、婚約者を監視しようなんて事は考えないだろう。
それに、ホルスがラムセスに異常に親しげな理由にはならない。
そして、三つ目。
ラムセスは正直なところ、これは一番可能性が低いと思っている。
しかし、これが理由だとするならば、一番辻褄があうのだ。
そう、「ホルスが魔法使い」という可能性だ。
知らないはずの事を知っているとなれば、超常の力が働いていてもおかしくない。
説明のつかない現象のほとんどは、魔法か魔物によって起きているのだ。
例えば、思考や記憶を読み取る魔法。
これならば、ラムセスの今までの人生を覗くことができるし、それを見て親しみを感じたというのも、なくはない。
ラムセスはいつ何処で他人に見られても、恥ずかしくない人生を送ろうと心掛けている。
自分で言うのもなんだが、そのカリスマ性に捕らわれたというのも、有りうる話だ。
あるいは、過去視や未来視のような魔法。
これならば、「未来のファラオ」と話しかけてきた事にも、説明がつく。
ラムセスが未来でファラオとして君臨し、人々を導いているのは必然。
その姿を見たのであれば、従者になりたいと思っても仕方がないだろう。
この正直鬱陶しいアピールも、人材として雇ってもらうためのソレだというなら、受け入れられる。
足が地面についていない事に怯えるバステトに抱きしめられながら、ラムセスは真顔でそんな事を考えていた。
しかし、どれだけ考えたところで、ラムセスが真実にたどり着く事はないだろう。
そもそも、ホルス自身が理由を説明しなければ、判断しようがない。
結局のところ、これらの思考はラムセスの暇つぶしなのだ。
ラムセスは、空を飛ぶホルスの後ろ姿を見ていた。
(この不審な態度さえなければ、従者にしたいんだけどなぁ)
前世の世界の電車よりも速く空を飛びながら、全く空気の抵抗を感じさせない力量を持つ魔術師だ。
A級という評価も頷けるというもの。
見た目も悪くない。寧ろ、ファラオたるラムセスの側に置くに相応しいだろう。
ホルスという名前にも、運命を感じる。
そんなラムセスの考えを敏感に察したのか、バステトが目を丸くしてラムセスを見つめていた。
そして、ホルスへ視線を向け、再びラムセスへ視線を戻し。
それを何回か繰り返した後、小さく唸り声をあげながら、ラムセスを抱きしめる力を強めた。
ラムセスの肩に、顔を埋めながら。
「えっ、何? バステト? そんなに飛ぶのが怖いの? ちょ、ちょっと待って? 痛い、若干痛いから。ってか力強いって! ちょっと!? 聞いてる!?」
「ぐるるるるるる」
「落ち着いて、ほら! 落ち着いてって! えっ? 僕何か悪い事した?」
「ファラオ、バステトさん。あまり暴れないようにお願いしても…………」
「フシャーーーーーッ!!!」
「えっ、私何か悪い事しましたか?」
「ギブ! ギブギブ!」
ホルスに威嚇するバステト、それに戸惑うホルス、そして獣人の身体能力の高さに驚きつつもそれどころじゃないラムセス。
これから魔獣討伐に行く事を感じさせないほど、長閑に時間は過ぎて行く。
しかし、その時は刻一刻と迫ってきている。
ラムセスにとって、一生忘れられなくなる一日は、既に始まりを告げていたのだった。
今回のファラオ'sキーワード
「魔法」
魔術が学問として整えられた技術ならば、魔法は選ばれし者にしか使えない固有の異能。
「契約王」が使用していた「契約魔法」など、その代表例である。
また、初代聖王である「契約王」が魔法使いであったため、聖教国は魔法使いを重要視しており、何らかの手段を用いて居場所を特定、保護している。




