8.
いつの間にか戻って来ていたブレインは、無様に倒れ血がこびり付き、血泡に沈み、誰からも省みられる事のない憐れな公爵令嬢の元へ歩み寄り、膝を折るとアデライドの損傷のある後頭部を僅かながらに癒し始めた。
「お前っ‼︎何をしている⁉︎その女に癒し等、永久に必要ないぞ‼︎」
熱く激高してレヅィールは叫ぶ。
「私も必要ないと思いますよ。ですが、脳がダメージを負い訳が分からず死なれても許せないんですよ」
「それは……確かにそうだな」
王子が納得し難い、暗く沈んだ声で呟く。
今、誰もが思っている事だ。
誰もに愛され、存在しているだけで優しさと癒しを与え続けた当のリリアナは、癒しの効果を何一つ与えられないまま、精神を擦り減らし、痛みに耐え続け、苦渋の中で死に絶えたのだーー
アデライド公爵令嬢の嫉妬によってーー
リリアナが与えられた以上の屈辱を
精神を苛む痛みを
癒される事のない苦痛を
自らの生まれを蔑まれ、誰にも省みられず
絶望の中で死ねばよいのだ、と。
だが、死んだ所で許せるものではない。
リリアナは戻ってこないのだから。
リリアナと関わり、親しくしていた誰もに等しく地獄をみせる。心に憎しみの煉獄をもたらし、塞がる事のない空虚をもたらし、血の涙を流させるのは他でもない愛してやまなかったリリアナなのだ。
リリアナが喪われてから、リリアナは楔や枷となって権力者の彼等に巣食う。
そんな彼等はアデライドに犯人に狂おしい程の激情をぶつけるのだ。
彼女がぼろぼろになる度、リリアナに顔向け出来る様な気がしてくるからだ。
愛するリリアナを苦しめたアデライドを永劫苦しめなくてはならないーー。
国を担う宰相も、次期宰相と呼び声高い沈着冷静なその子息レヅィールも、若いながら理想に燃え公明正大な優しき王子も、学者一族の頭脳明晰なブレイン、既に軍を掌握しつつある若将軍ライルも、親であるルシー伯爵夫妻もアデライドの父親であるルドー公爵でさえも、目が異様に光り常軌を逸している状態にいるのが、この場にて唯一冷静で寡黙な王には分かっていた。
そしてーー王は、憐れな生贄と化した公爵令嬢が無実であるだろう事も本能的に分かっていたーー
分かっていたが、死罪にせねば終わらないのも理解していたのだ。
一刻も早く死罪にせねば、彼等にとって悪影響で
国に災いをもたらすだろうと。
人心の強い乱れは飛び火してしまうのだ。
憎しみは更なる憎悪を呼び、時として国を滅ぼす。
滅ぼさない為にも生贄の命は早く断たなくてはならないのだ。
彼等は早い死の決着に納得はいかないだろうが、王命で乗り切るしかないだろうと、王は人知れず己の逸る心臓を落ち着かせる為にじっとりと汗ばむ手を強く握り締めた。