柔らかく押し寄せてくる世界
柔らかく押し寄せてくる世界
とある場所で、とあるできごとについて、私は誰かと会話していた。
「ご協力していただけますか?」
私に投げかけられたその言葉に私が返したのは
「それはつまり、強制ということですか?」
という言葉だった。
「とんでもございません!」
相手はすぐに私の認識が誤りであることを示した。
私は自分の返答に驚いた。
「ご協力していただけますか?」
この言葉が私にはその時、本当に
「それはつまり、強制ということなのか?」
と思えたからだ。
だから私は
「それはつまり、強制ということですか?」
と何も特別な感情を抱くこともなく、反射的に返してしまっていた。
私がいままで交わしてきた会話の中で、このようなやりとりが過去にあっただろうか?
私は自分の記憶と思い出を振り返った。
結果はそんな会話を交わしたことはない。
私はよくものを忘れる。それでも、このような印象的な会話があれば、それは覚えている自信がある。
だが、過去にそんな会話を交わした記憶も思い出も私にはなかった。
そして、過去に
「ご協力していただけますか?」
という言葉を投げかけられたことは無数にあるような気はする。
しかし、その言葉を
「それはつまり強制なのか?」
と過去に思ったことはない。ということだ。
私はゾクリとした。
つまり、私の中では
「ご協力していただけますか?」
この言葉がもつ意味合いが、いつの間にか変化していたということだ。
言葉は変化するものだ。
だが、
「ご協力していただけますか?」
という言葉には一切の変化がない。字面としてはだ。
なのに、私の中ではこの言葉が持つ意味が、すでに変化しているのだ。
それも、私が意識もしないうちに。
なぜ、
「ご協力していただけますか?」
という柔らかく質問するこの言葉が、私には強制を暗示させる言葉に変わってしまったのだろうか。
その理由について、私には思い当たることがいくつかあるのだけど、あえて私はひとつもあげない。
なぜ私がその言葉を、強制と感じ取ったのか?
あなたがそれにもしも興味があったり、または暇でたまらないのなら、ほんのちょっと考えてみてくれたら私はうれしい。
そう書くと聞こえがいいけれど、私は某所で悪魔なんて名乗っている奴だ。だからちょっと意地悪をしてみようと思う。
「なぜ私がその言葉を強制と受け取ったのか? ほんのちょっと考えてみることにご協力していただけますか?」
さて、あなたはこの言葉に、いったい何を感じ取っただろう。
2026年、おまけの追記
2026年の今現在、「柔らかく押し寄せてくる世界」を書く元になったできごとを、私は一切覚えていない。
それでも、あの時たしかに感じた、やわらかく押し寄せてくる世界の感触を、私は今でもはっきりと覚えている。
2021年に柔らかく押し寄せてきた世界は、今や濁流みたいになって人を飲み込み、私までもを飲み込もうとしているように思える。
それは不可視の怪物であり、不可視であるからこそ誰もその存在を認識せず、次から次に食われていくという最悪の恐怖だ。
君は感じないだろうか? 2026年の言葉の端々に、あそこに、ここに、柔らかく押し寄せてくるを越えた、不可視の怪物が襲いかかってきている恐怖を。




