第十八話
我に帰った時、すっかり陽が落ちて海岸は闇に包まれていた。
夜の海は先ほどまでの青さを失って漆黒に染まり、不気味さを醸し出している。
時計を見ると七時を回っていて、流石にそろそろ帰らないと何かしら問い詰められることになりそうだ。
「そろそろ、帰るよ」
「……うん」
LINEを交換した後、蒼井に駅前まで送ってもらう。由比ヶ浜で大半のことは話してしまっていたからお互いそれほど口数は多くなかったけれど、沈黙の時間すら俺には心地よかった。
一方で蒼井は何か考え込んでるようで、何を考えているのか俺は少し気になった。
「蒼井?」
そう呼びかけた俺に蒼井はチラリと視線を返してくる。なぜかその表情は少し不満そうだ。
「……どうしたの?」
「いや、なんか考える人みたいになってたから」
「え? いやいやそんなことないでしょ」
「自分の手の位置、見てみ?」
蒼井は慌てて組んでいた両腕を解いて自分の手を見る。彼女の右手は握り拳を固めて顎を支えていた。
それはまさにオーギュスト・ロダンの考える人像そっくりのポーズだった。
「……私、そんなに考え込んでたんだ」
「何について考えてたか、聞いてもいい?」
ここまで来たら聞かない方が不自然だ。
「んー、もうすぐわかるから大丈夫」
けれど蒼井は要領を得ない答えを返すばかりだった。
そうこうしているうちに俺たちは鎌倉駅に到着する。日中と比べると人通りはまばらで、観光地の側面しか知らなかった鎌倉が少し違って見えた。
「じゃあ、また今度」
「うん、またね」
俺は軽い挨拶を交わしてからピッと交通系ICカードをタッチして改札を通過する。
「……」
ホームへ向かう足が、止まる。
連絡先もちゃんと交換したし、もうアクシデントで連絡がつかなくなるなんてことはないだろう。
それでも俺にとって蒼井との別れというのはトラウマに近いものがあった。
これが蒼井と会う最後になるかもしれない。そんな荒唐無稽で根源的な恐怖が俺にはあった。
「ねえ」
どこか弱々しい呼びかけに、振り返る。そこには不安そうに俺を見つめる蒼井の姿があった。
「来週、また会えるよね……?」
不安なのは、俺だけだと思っていた。けれど蒼井も俺のことを想ってくれていて、だからこそ俺と同じような不安を抱えていた。
だから俺は蒼井を安心させるため、声に力を込める。
「うん、絶対会いにくる」
「そっか……よかった」
俺の返答に相好を崩した蒼井は、ホッとした顔をすると最後に俺を真っ直ぐに見つめてこう言う。
「……またね、悠希くん」
蒼井はそう告げるや否や、駆け出していた。
彼女の言葉の意味をワンテンポ遅れて、理解する。そして理解すると同時に俺は改札に駆け戻った。
改札のセンサーに引っかからないギリギリまで体を前のめりにし、遠くなっていく彼女の背中に叫ぶ。
「またね! 穂波!」
去り際の彼女の首筋が真っ赤になっていたのは、多分見間違えじゃないと思う。だって、俺の手のひらも真っ赤になっていたから。
二週間後の土曜日、俺は再び鎌倉駅にやって来ていた。蒼井……穂波の案内で鎌倉を回ることになったからだ。本当はもっと頻繁に来たかったけれど、お互いの予定が合わなかったのと、これは情けない話だが俺のお小遣いでは交通費もばかにならなかったのもあって間が空いてしまった。とはいえ会えない間もLINEでのやり取りはしていたけれど。
土曜日とは言え朝八時にちらほらと観光客らしき人たちがいるのはやはり鎌倉のネームバリューを感じる。
「おはよう……悠希くん」
「おはよう、穂波」
まだぎこちない呼び方に心悶えながら、俺は平静を装う。……たぶん穂波も同じなんだろう。
「じゃあ早速行こうか」
穂波はそんなぎこちなさを振り切るかのように風を切って歩き出す。そんな彼女を追うように俺も歩き始めた。
穂波の軽快な足取りに導かれながら鶴岡八幡宮、建長寺、銭洗弁財天と巡っていく。大仏は少し遠いからまた今度だそうだ。日本史にはあまり詳しくないけれど、開放感のある境内、大きな法堂、静かな水音など、観光名所に感じる風情というのも案外悪くなかった。なにより穂波が楽しそうだったし。
そして十二時を回るかどうかという時間、鎌倉駅周辺に戻ってきた俺は……ヘロヘロになっていた。
「さすがに……疲れたんだけど……」
両ひざに手をつく俺を眺めて穂波は小町通りで購入したソフトクリームを舐めながら一言。
「体力ないなあ」
「いやいやいや朝から歩き通しでそれはないって! 山側は起伏も多いから脚に来るし! 逆に穂波はなんで平気なんだよ」
スマホの万歩計を見ると午前中ですでに一万歩は優に超えていた。インドア気質な俺にはキツイものがある。
「私はまあ歩き慣れてるから」
歩き慣れてるってレベルか? そもそも鎌倉に住んでても鎌倉の観光名所なんてそんなに行かないだろう。駅からも離れてるし。
「まあでもいきなり連れまわした私もよくなかったかな。そろそろ休もっか」
「そうさせてくれ……」
本当に疲労困憊だったのでありがたく穂波の提案に乗る。ただ目下の問題がひとつあった。
「お金そんなにないんだよな……」
歩き疲れて休むとすれば喫茶店なんだろうが、鎌倉周辺はおしゃれなお店が多い分学生が入れそうな廉価なお店はなかなか見つからなさそうだった。鎌倉までやってくる交通費でひーひー言っている俺の懐は寒かった。……バイトでも始めるべきか。
「そうだ」
俺の貧相な財布事情を聞いた穂波は、なにやらいいことを思いついたような顔をして俺の懐に入ってくる。
「……それならさ」
「ん?」
「それなら……私の家、来る?」
上目遣いでそう誘ってくる穂波は恐ろしく可愛く見えた。
ほんと、ずるいよ。俺の彼女は。




