渇きは癒される
登場人物
松崎ゆうこ
松崎壮四郎(ゆうこの父)
松崎怜子 (ゆうこの母)
竹内三子 (ゆうこの母方の祖母)
竹内漱石 (ゆうこの母方の祖父)
坂田 (研究所の主席研究員)
志田 (坂田の在籍する研究所の研究員)
それは突然のことであった。私の手の皺が巨大な回路のように光り出す。そして希望に燃えるように熱を帯びて耐えがたい痛みに変わる。体が震え冷や汗が止まらない。ただの光には思えないそれは、確実に私の内から絶え間なく放出されており、まさしく一年前に経験した輝きと似ていた。
「やっと、辿り着けるかもしれない。」
光が肉体の中に入り込み、血管を通っていくのが見える。それでも光が衰えることはなく、熱に耐えることもできなくなってきた。廊下の板が壊れるほどの大きな音をたてながら、力強く駆けて洗い場へと向かう。蛇口を思い切りひねって大量の水を出す私の必死さは、蛇口の反射にまんまと映っている。ぐにゃぐにゃに曲がる顔がとても異様であっただろう。
「呪いだ。」
その熱が冷水で癒されることはなかった。手に火傷や切り傷はできていないけれど、熱を抑えることはできない。その違和感を感じ取ってか、母と祖父母たちが駆け寄ってきた。
「ゆうこ。」
「どうしよう。」
怖くて泣きそうになった。これでも中学二年生なのだ。大人たちは心配そうに見守りつつも、どこか解決方法を知っているような顔でいた。過去にも同じようなことがあったような気分でいるように見えたので
「死なないよね。」
と恐る恐る聞いた。
「選ばれたんは、あんたやったか。」
おばあちゃんは、しみじみとした顔で感傷に浸っている。私の手の心配は誰がしてくれるのだろう。
「ゆうちゃんな、大丈夫や。死ぬことはない。」
おじいちゃんは安心させようとしたのか軽やかに言って、何かを取りに別室に行ってしまった。その間、意識が手から離れていると痛みがなくなっていたが、気づいた時には再び熱を帯びている。
「ゆうこ、手のひらを合わせて。合掌のポーズ。」
祈ることで癒されることがあるとすれば、自分自身だけだろう。しかしそれは不安の処理であって、不安そのものの解決ではない。解決したいかどうか、という選択の前段階にあって時間猶予を作り出せる。自分で自分を癒すという最も生き物らしい仕草こそ、最も命を感じさせる瞬間だろう。傷口を舌で舐める姿はなんとも切ないが、濃厚な血の味を確かめることができる。それは、確実に自分の味であろう。そして、この祈りも私は不安を解消するために、母が言ってくれたのだと思っていた。不思議なことに、ただ手を合わせただけで熱が落ち着いてくる。なにかしらの願いや祈りを唱えることもなく、心で思うこともなかったが、それでも穏やかに元の体温に戻っていく。
祖父がドタドタと走って持ってきたのは、晩御飯の大皿を並べたあの部屋に飾ってあった『幸福寺の美人図』であった。
「これをな。」
おじいさんは、その掛け軸で私の手を包む。低体温症を防ぐために包むようにグルグルとしてはくれたが、これで効果があるとは思えない。
「ゆうちゃんまずはごめんな、嘘をついた。これは美人画でもなんでもない。」
ただの紙を巻き付けたわけではないと、安心した。
「あともう一つ、この掛け軸にはご先祖様の返り血がついとる。気味が悪いと思うだろうが、これしか手立てがないんや。」
「ううん、もう何でも来いって感じ。」
今さら返り血ごときにたじろぐ私ではない。とにかく、この痛みや不可思議を一刻も早く抑えることができればよかった。
少しづつではあるが、落ち着いてきた。歯の痛みが明確に収まっていく解放感や希望のようなものを感じた。
「これはな。」
祖父はなるべく不安にさせないように気を付けながら語る。
「ゆうちゃんを守るために光っておる。」
黙ったままで、言葉を語ることが難しかった。
「身の危険が起きそうなときに、ゆうちゃんに危害が及ばないよう守ってくれるものじゃ。だから恐れる必要はないし、すまんが我慢な。」
それが初めてではないような対応の仕方であったから、自然と言葉が出た。
「私が初めてじゃないんだよね。」
「ああ、前任者をこの目で見たわけではないから、どうとも言えない。記録にあるだけで、どうやって静めたかは、、、。」
祖父は本当に知らないようである。けれど、側で支える祖母は何かを心得ているような面持ちで、いつ話そうかを迷っている状態だった。
「おばあちゃん。」
私の声に答えるように、だんだんと表情が和らいで息を大きく吸った。大事なことを話し始める用意を終えて、その声を聞こうと私たちも用意ができている。
「今から、とても大切な話をする。よく聞いておいてね。怜子もおじいさんも知らない、あたしだけが知っていることよ。」
祖父と母はなぜ、と口をはさみたいところであったが、一端飲み込んでより耳を傾ける。
「私はこの家で生まれ、この家で育った。ここから離れず、ずっと秘密を守ってきたのよ。おじいさんは優しいから、私の我儘にも付き合ってくれてこの家に住んでくれている。この家に生まれたものは、代々初代当主の話を口伝に受け継いでいるの。文字で残すことは考えたらしいのだけれど、ことごとく破壊されたり燃えたりで失敗した。それが1000年以上前からだから、相当数の試みもうまくいかず、結局は口から口へと受け継ぐことしかできなかった。その秘密は、3人以上の子供に分担して受け継ぐことで守ろうとしたのだけれど、私の母、ゆうちゃんのひいおばあちゃんがね子供に恵まれなくて、やっとのことでできた私を愛してくれたのだけど、呪われた子だと親戚からは言われてね。」
しだいに空が曇りはじめ、今か今かと雨粒が窺っている。ここだけ空気感が違っていて、体がふわふわするような。
「しかたなく、私一人が全ての秘密を受け継いだの。ここから離れられない理由でもあるけれど、外に漏らすわけにはいかない。」
「私たちに話しちゃって大丈夫なの?」
「そこからよ、、。」
祖母は語ることに夢中になって声が聞こえなくなっていた。まるで、聞こえないように何者かの手で耳を塞がれているような。
「親戚が相次いで亡くなり始めたの。最初は偶然と思われていたのだけれど、1年以内に3人も立て続けに亡くなった時には疑い始めたわ。これは、呪いだって。私しか生まれなかった、産ませなかったからだって。秘密を受け継げないのなら、全てを消してしまおうとご先祖様が怒っている、と。」
祖母の顔は、今まで見たことの無いような真剣な眼差しであったが、どこか本人ではない何かが語っているような異質さがある。その異様さを私だけが気づいていて、二人はのめりこんでいるのか姿勢が少しづつ前屈みになっている。
「おばあちゃん、その秘密は言わない方が良いかもしれないよ。」
静止する声を聞く耳はなかった。かすかに見える透明な悪意が、祖母の耳を完全に塞いでいる。そればかりか、祖父と母の背中を押すような不自然な影も見受けられた。勘の良い方ではなかったが、何者かの悪意によって、祖母が話そうとしている内容の口封じをしようとしているのが分かる。しかし、中学2年生の私の力では、二人を止めることができない。
「お母さん、その秘密ってなんなの。」
母ではない低く醜い声が私にだけは耳障りで、祖母はその声に魅了されている。
「秘密というのはね、古代の板が鎮座されている場所で、、、。」
祖父の手がためらいもなく祖母の首にぐっと近づき、その先を言わせまいと息の根を止めようとしている。母は、私の方に向かってその先を聞かせまいと頭を掴んで揺すってきた。そのまま床に伏して抵抗させないようにしているけれど、じわじわと手が熱を帯びてきた。
「期待してもいいのか。」
突然降りかかった呪いのような輝きを、いざ自分の意志で操作しようとすることは、もしかすれば罠なのかもしれない。変わりたいと思ってこの地にやってきたが、元に戻ることができなくなるほどの経験をしたいわけではない。もっと言えば、畏れている。
であったとしても、この状況を打開して何よりも助けなければならない。私にしかその力がないのであれば、罠であったとしてもやるしかない。
「目を覚まして。」
母の顔に右手を当てて、元に戻ってと祈る。その願いにこたえるように、少し力が抜けた気がした。すかさず左手も頭に近づけて、母を落ち着かせようとなだめる。
「お母さん、、、。」
自分の母親がそう呟いたと同時に、祖父が私の方へ襲いかかってきた。この手を掴み折ろうと飛びかかってくる。後ろで倒れている祖母はゲホゲホと咳をしているが、別状はない様子だった。それに一瞬気を緩ませたばかりに、目の前まで祖父の手が伸びていた。
「ゆうこ。」
母が祖父の足を掴み、見事と言えるような滑りをかまして、床にドタンッと転げる。その頭を心を開かせるような優しい手つきで撫でた。
「ああ、、、。」
手の熱が奪われるような感覚がして、祖父の冷たい頭が温かさを取り戻していく。その様子を見て、ゆっくりと立ち上がった祖母がゆらりゆらりと足を運んで、私のてにすがってきた。
「ゆうちゃん、ばあばの頭も撫でてくれ。」
「わかった。」
幼き日の、あの軒下で母が膝枕をしてくれていた。お前は清い心でたくましく生きていけよ、と畑の匂いのする小麦色の手が甦る。あの日も夏だった。あの日も、この手だった。
一筋の涙を流し、それがすぐに乾いてしまうほどの熱気があった。ほどなく手の熱も輝きも失われて元に戻った。
「みんな大丈夫。」
お互いに顔を見合わせて、今起きた不思議な体験を嚙みしめていた。実際に体験してみると感情を整理するのが精一杯で、考えることができない。
「ゆうちゃん、ありがとね。」
「ゆうこは、人のために動けるようになって成長したわね。」
「じいちゃんもうれしいよ。」
そうやって三人が褒めるので、顔が熱くなってきた。




