さゆりお嬢さま救出作戦・Phase.1
さゆりは殺風景な部屋に閉じ込められていた。昔観た、刑事ドラマの一場面、拘置所の面会室にそっくりだ。部屋の中央が、鉄板と強化ガラスかアクリルでできた壁で仕切られていて、それぞれに椅子が一脚ずつおいてある。さゆりは手足に直接の拘束をされてはいなかったが、部屋の向こうに見えるケイは椅子に縛りつけられている上に、口に轡まで嵌められていた。まだ意識を取り戻していないようだ。
外部からコントロールを奪われた電気自動車は大きなトレーラーの荷台に勝手に乗りあげ、そのままトレーラーが発進してさらにどこかへ運ばれてしまった。どの程度移動したのかは、ちょっとよくわからない。時間感覚としては、普段屋敷から学校へ通うよりは長く、この前にケイのマスターがいるという市の東はずれへ行ったさいよりは短かった。
……パニックに陥ったシャーロットの姉が射殺され、その銃を突きつけられていたので、時間感覚は正確でないかもしれないが。
ケイが倒れたとき、彼女の持っていた携帯端末の画面には稲妻型のアイコンが表示されていた。侍女がなにをしようとしていたのか理解して、さゆりはアイコンをタップするべく手を伸ばそうとし――そこで。
「動かないで、さゆりさま」
助手席から半身になって銃を向けてきたのはウェンディだった。脅されたからではなく、おどろいて硬直したさゆりの手を押しのけ、ケイの端末から伸びていたケーブルをむしり取る。
「――な、なんなの! 私は関係ないわよね?!」
半狂乱になって甲高い叫び声をあげたエレミアに対し、ウェンディは笑みすら浮かべ、
「ええ、あなたは関係ない、必要もないわ」
そういうとともに、さゆりに擬していた銃口を彼女のほうへ移し、ごく当然のように引き金を四度絞った。エレミアが動かなくなると、拍子抜けしたようにひとりごちる。
「はじめてだったけど、簡単なのね、人を殺すのって」
「ウェンディ、あなたは……」
「やっと名前で呼んでくれたのね、さゆりさま。人殺しという意味では、さゆりさまも私とあまり変わらないでしょう? 財閥ご令嬢のために、これまで何人死んだのか、たしかな数を答えられるんですか?」
ウェンディに揶揄や皮肉の調子はなかった。素朴な疑問、といった感じでいる。財閥に対する敵意や、思想的な背景があってやっているわけではないようだ。
「最初からこうするつもりでわたしたちに近寄ってきたのね」
「あなたたちと仲良くなりたかった、その気持ちに詐りはないわ、さゆりさま。F財閥の令嬢とその侍女でさえなかったら」
「だから、ケイも欺かれたのかしら」
ウェンディの行動は悪意に基づいてはおらず、ゆえにケイの本能的な警戒をすり抜けたということらしい。
人があたりまえのように死んでいくテレシナ混迷期に育ち、その後乗り込んできた財閥が超国家権力を振るっている様をずっと見てきたウェンディは、善悪という観点から物事を考えなくなったのだろうか。先日にウェンディと倫理に関する議論を交わしていたケイなら、思いとどまるように説得できた可能性もあったが、このときは昏倒していたし、さゆりはそんな会話のことは知らなかった。
さゆりは自身も感情というものをしばらく忘れてしまっていた経験があったので、ウェンディをことさらに異常者だと糾弾する気分にはなれず、ただシャーロットの姉を気の毒に思い、ケイの体調を心配しながら、その後の運命の展開を受け身で待ちかまえるばかりとなった。
……この部屋へ連れてこられるまで引っかかった点といえば、ケイを縛りあげるときに、傷をつけるな、と司令役らしい男が注意をしていたことだ。誘拐犯たちは、ケイに怪我をさせたら厄介な事態になるとわかっている。
口に轡をかませたのも、ケイが自分で舌を噛む可能性を見越してだろう。彼女が銀狼に変身する場面を見ていたテロリストたちは、ひとり残らずこの世から退場しているはずなのだが。もちろん、モニター映像を入手している可能性はあるのだろうけれど。
まず間違いなく、救出部隊はやってくる。財閥の手が異様に長く、その爪が鋭いことをさゆりは身をもって知っていた。従う者に対してフランツはそのへんの国家主席よりはよほど寛容なのだから、好き好んで血を流すこともないだろうにとすら思う。
おそれていることはただひとつ。また、たったひとりでベッドの上で眼を醒まし、かたわらにはだれもいないのではないか――それだけだ。
****
テレシナの位置する平野を形成した、黄金の川と支流のひとつが交わる地点を見下ろす小高い丘に、音もなく青黒い夜間迷彩を施されたヘリコプターが舞い降りた。
完全に着地はせず、人の腰程度の高さでホバリングする機体から、一二個の人影が飛び出す。声もなく身振り手振りだけで整然とふた組に別れ、大河であるラ・オロー川に較べれば流れが細く、歩いて渡渉可能な支流へと向かっていく。五人はほぼ丘をそのまま下り、六人はより上流側からまわり込むため、熱帯のジャングルほどではないが稠密な森の中を進む。
ひとり丘の上に残ったクレス=カガミは、暗視装置を兼ねた双眼鏡で合流点の陸地側を走査していた。もちろん、手もとには愛用の「骨董品」がある。
「こちらぼっち、第一群隊長へ、目標周辺に動きなし。灯りはついてるようだが見張りの姿がない」
アルファ、ブラヴォー、チャーリーでいいだろうに、ふざけた符号名だと思いながら、クレスは観測の結果を無線で伝えた。人が足りなすぎるので、今日はひとりふた役をこなさなければならない。ラッツ主任から通信が返ってくる。
『こちら第一群隊長、了解。ぼっち、そのまま監視をつづけろ。第二群、配置完了までの所要時間は?』
『こちら第二群、川はほとんど障害になりません。今年は雨がすくないですからね。渡るだけですから、三分もかかりません』
『第一群了解。川で時間を取られないなら、こっちが配置につくにはあと一〇分というところだ。目標に動きがあっても、向こうに気づかれない限りこちらからはしかけるな』
『第二群了解』
「ぼっち了解」
交信が終わり、クレスは双眼鏡の倍率をやや下げて視野を広くした。目の前にあるのは、古びた三棟の建屋だ。ひとつだけ二階建てで、あとは平屋。ラ・オロー流域には川遊びや釣りを楽しむためのキャンプ場が点在しており、遠目からならそうしたロッジにも見えなくないが、よくよく観察すれば妙に閉鎖的な造りであることに気づく。キャンプはキャンプでも、軍の訓練施設の雰囲気だ。
肉眼には打ち捨てられて久しい空き家のように映るが、高性能な暗視装置は、小さく数もすくない窓から、人工の灯りが漏れていることを検知していた。二重三重に暗幕を張ってはいるのだろうが、夜空を飛ぶ虫すら引き寄せられない仄かな光をも、財閥謹製の最新鋭センサーは見逃さない。
「……気に入らねえな」
無線機の送信キーは押さず、クレスはつぶやき捨てた。継続的に使われているゲリラのアジトという感じではない。まだ新しい轍の跡と刈り込まれている下草からして、人の出入りがあったのは昨日今日のことだろう。
もちろん、重要人物である財閥令嬢を監禁する場所として、足のつきにくい休眠施設を使うことにした、という説明は通じなくはない。しかし、だとしたらあまりにも緊張感に欠いている。普段人気のないところに見張りを立たせるのはかえって不自然だから……本当にそんな理由だろうか。
在テレシナの財閥警備部は質はともかくそんなに数がいないという弱点を見越した上で、とっくに壊滅している過激派セクトの旧拠点をそれらしく飾り立てただけのハリボテということはないのか――脳裏で懸念を渦巻かせるクレスをよそに、ラッツ主任以下一一名の警護課チームは目標への距離を詰めていく。川のせせらぎと木々のざわめきにかき消される程度のわずかな風切り音を立てて、ヘリのローターが回転をつづけていた。
通常であれば空挺急襲作戦はバックアップ込みの三機編成で行うが、今回は八班を同時展開しなければならなかったため、ひとつのチームにつき一機しか割りあてることはできなかった。
運用員のほかに乗り込むことのできる限界数、一二人が詰め込まれ、八ヶ所の目標へ向かい飛び立ってからまだ二〇分はすぎていない。余剰の三機は、各チームを運ぶヘリの故障などの可能性に備え、それぞれの展開現場に三分以内でたどり着けるよう中間点で待機している。
第一群が上流側からまわり込み、第二群とともに強襲体制を整えた。なおも目標に動きはない。平屋の二棟を三人ずつ、二階層の一棟は五人で囲んだ上で、手際よくふたりが外壁を登って二階の窓際に取りついた。
『出入り口近辺に爆発物反応なし、ワイヤ、センサの類いもないようです』
『室内に赤外線反応あり。おおむね三六度、人間の可能性は充分にあります』
『チャンネル六〇五が流れているようです。そっちの音量がでかいので話し声は拾えそうにありません』
部下からの報告を受けて、ラッツは全体を見渡せる位置にいるクレスへ指示を出す。
『ぼっち、突入カウントを取れ』
対して、クレスはとうとう疑念を口にした。
「いくらなんでも無警戒すぎやしないか」
『空ならさっさとつぎに行くまでだ』
「あいよ。――3、2、1、GO」
クレスのコールと同時に、一斉に窓を破って閃光音響手榴弾が擲弾筒で室内へ射ち込まれる。手榴弾の炸裂と同時にショットガンがドアの蝶番を吹き飛ばし、閃光と爆音が完全に収まらないうちにドアを蹴り倒してひとりめが室内に突入している。壁に張りついた状態から窓に飛び込むほうはわずかに遅れるが、それでもコンマ三秒といったところだ。
『――無人です!』
『こいつは……訓練用の標的人形か』
『ヒーターつきの高級品だな。雑な偽装のくせに金銭だけやたらとかかってやがる』
ラッツたちの交信を聞きながら、クレスは視線を目標の三棟からはずして川のほうへ向けていた。踏み込んだところで建物ごと爆破されることがなかったのは、殺す気がないからというよりも、単に大量の爆薬が調達できなかったからだろう。釘入り鍋爆弾程度では財閥警備部には通用しない。
案の定、ラ・オロー川を複数のモーターボートが下ってくる。浅い上に渇水している支流は船外機つきではとおれないから、ひとまず一方向の心配だけですみそうだ。
「注意しろ、第一群、第二群、くるぞ。二〇――いや、三〇人はいる。本流方面からだ。やっぱ罠だったな」
『こちら運送屋、丘の後方からも車両がきます。ぼっち、乗ってください。アタックチームを収容します』
ヘリのパイロットからの通信に、そんなに甘くないか、とクレスは銃を取って立ちあがる。
「了解。聞こえたな第一群隊長」
『運送屋、ぼっちを乗せたらそのままポイントοへ向かえ。οがつぎに近い。われわれにはかまうな』
ラッツがヘリパイロットへ発した指示へ、クレスは割り込む。
「あんたら全滅するぞ」
『人の心配をしている場合か。私はきさまに、ことによっては単騎でお嬢さまを救出しろと命令しているんだ』
「この場を切り抜けて全員で向かったほうが救出作戦の成功率も高い」
『ここで消耗戦をしている暇はない』
クレスが飛び乗り、上昇をはじめたヘリのすぐそばを、ロケット弾がかすめていく。爆薬はなくとも弾薬はたっぷり持っているらしい。
「……ラッツ主任のいうとおりにしたほうがよさそうです」
顔を青くしたヘリのパイロットを、クレスはどやしつけた。
「こいつはステルス機の上に夜間迷彩をしてる。目視で命中られるのはよっぽどの名人だけだ。なんなら一度ちょっと高度あげろ。携SAMとロケラン持ってるやつを全員掃除する」
クレスが閉め切っていなかったサイドドアに足を引っかけて全開にしたところで、ラッツから再度通信が入った。
『バックアップ編隊の中に対地装備を吊ってる機があっただろう』
「はい、ルーカス支部長の機が対地武装を搭載しています」
ヘリのサブパイロットが返信し、ノイズがひどくなってくる中、ラッツから再返信がくる。
『こっちにはルーカスを寄こせばいい。運送屋、ぼっち、任務を継続しろ』
「運送屋了解」
現場責任者からの指令をいいことにそそくさと離脱しようとするヘリのパイロットへ、クレスはひとつだけ注文をつけた。
「一度でいい、現場の上空を流していけ。οへの到着が一〇秒かそこら遅くなるぶんにはかまわねえだろ」
「……了解。すこし右バンクで行けばいいんですね」
「わかってるんじゃねえかよ」
機体をかたむけて飛ぶヘリの側面ハッチから銃身を突き出し、クレスはモーターボートから上陸してきた人影を捉えて次々とトリガーをはじきながら、完全にひとつの流れと化した動きで遊底をひねりつつ前後させた。
全自動であるかのように、銃口から弾丸が放たれ、空薬莢が排出され、次弾が装塡され、薬室が閉鎖される。瞬く間に加速するヘリは交戦地帯を三秒弱で飛び抜けたが、通過してからもクレスはほとんど身体全体を機外へ投げ出し、半ば逆さ吊りになりながらつぎの挿弾子まで射ち切った。
殺せたかどうかは確実でないが、一〇発すべて命中。射たれるテロリスト側はフクロウ並みの静けさで飛ぶヘリの存在に気づかず、上空からの狙撃だとはわかっていなかった。
クレスの骨董品には消音などという小洒落た機能がないので、最後の最後でようやく数人が銃声に顔をあげたが、もはや地対空ミサイル以外は届かない。だれかがロックオンできないままに携行地対空誘導弾を発射したものの、目標を見つけられなければレーザー誘導もしてもらえなかったミサイルはふらふらと上空を旋回してから、推進剤が尽きて安全装置が作動し、自爆する。
強風の日の高層ビル上層、という程度にしか揺れない最新鋭ヘリの制震性能に舌を巻きながら、クレスはサイドドアを閉じた。並のヘリから射っていたなら、いかな狙撃の名手であっても全部は命中しなかっただろう。遊底を開放して残弾がないことを確認し、ラッツへ送信。
「北側を掃除した、すこしだが薄いぞ。死ぬなよ」
『きさまもな。すまんな、さゆりお嬢さまをた――』
距離が開きすぎたためか、妨害のせいか、通信が途絶した。ポイントοまではこのヘリなら三分で着く。単独任務となればボルトアクションライフル一梃では戦い抜けないので、クレスは使えそうな武器を探して格納庫内を物色しはじめた。
ヘリのサブパイロットが、ラッツ隊が大規模戦闘に巻き込まれた報告と、対地攻撃機のサポートを要請する通信をしている。
「……やれやれ、忠犬ばっかの職場は肩が凝るな」
犬といえば、いつもお嬢さまにくっついていたあのわんこメイドはどうなったのか――夜明けまでにはなんらかの決着がつくだろうと思いながら、イレギュラーである彼女の存在がどう影響をおよぼしてくるか、クレスはまだ予測をしかねていた。




