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Phoenix Syndrome  作者: 大島くずは(原作)/仁司方(改変)
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お嬢さまはお忍びショッピングをご所望です


 B研ラボをあとに、テレシナ総合科学研究所の生命科学研究棟エントランスまで戻ってきたケイを、意外な人物が意外な取り合わせで出迎えた。


「さゆりお嬢さま……?」


 そうつぶやくうちに、向こうもケイの姿に気づいて、長椅子から腰をあげて手を振る。どうやら本当にお嬢さまのようだ。ここ半年のあいだ、さゆりが屋敷から制服以外の恰好で外出することはなかったので、すぐには確信を持てなかった。

 しかし、この場にさゆりがいるというのが見間違いでないのなら、長椅子の脇に立って周囲に目を配っている黒服の男は――


「わりあい早かったな。ま、遅いよりゃいいが」


 やはり、クレス=カガミのようだ。ラッツ主任はこのところずっと出ずっぱりだったようだから、そろそろ休みでもおかしくないが、ほかのボディガードはどうしたのだろう。


「お屋敷からここまで、なにできたの?」


 さゆりの住まわされている邸宅はフルラウンドでプレーできるゴルフ場が作れるほど広大な敷地を擁しており、テレシナ市の西郊外に広がる丘陵に位置している。研究所は市街の東側、以前の経済崩壊時に打ち捨てられていた、河口ぞいの低地に建ち並ぶ工場や倉庫群を再開発する事業の一番手として造られた。

 三〇〇万都市であるテレシナの端と端であり、行き来するには中心街をとおり抜けるか、飛び越えるか、なんなりしなければならない。ケイは路面リニアと地下鉄と自動運転のバスで移動してきたが、テロリストから狙われている財閥令嬢に公共交通機関を使わせるわけにはいかないだろう。


 案の定、ケイの問いに対し、クレスはいかにも面倒くさかったという風な声で応じた。


「この時間の市内はどこも渋滞してる。外環道を大まわりだ」

「それなら車は? あなたがひとりで運転してきたワケじゃないでしょ」


 立てつづけのケイの質問に答えたのは、さゆりだった。


「帰らせたわ」

「……じゃあ、ヘリでお戻りになるのですか?」


 近所に財閥警備部の機動課と高強度保安課の訓練施設があるので、さゆりが使うといえばすぐにヘリの準備が整うことは確実だ。お嬢さまはどうしてわざわざ研究所までやってきたのか。ケイをすぐに屋敷に連れ戻したい事情でもできたのだろうか。

 心中で小首をかしげていたケイだったが、さゆりは思いもかけないことを口にしていた。


「ケイ、あなたって、こうして検査を受けにいくとき以外はずっとわたしの侍女として働き詰めよね。この検査だってデータを取るためであって、あなたにとっては仕事のようなものなのでしょう」

「それがあたしの任務ですから。べつに『労働者の権利として休みをよこせ!』とか思ったことはないですよ。お嬢さまの侍女に抜擢されるまで、ほんと毎日ヒマでつまらなかったですし。訓練したり勉強したり、変なものいろいろ食べてみたり、極端な環境で耐久試験したり。あらかじめそういうふうに作られてるんですから、確認でしかなかったんですよね」

「でも、研究所に検査へ行く日って、そのあとすぐには帰ってこないわよね、あなた」

「……ええ、まあ。データだけじゃわからない、人間の社会の実態を体験する機会をできるだけもつようにっていうのは、マスターからの指示ですから」


 まさか、サボってないで用事がすんだら真っすぐ戻ってこいとでもいいたいのか? しかしさゆりお嬢さまはそんな器の小さい人間ではない。それとも、侍従長あたりがケイをもっとこき使ってやろうとでも考えて、お嬢さまにこんなことをいわせているのだろうか。


 ……と、ケイの脳裏であれこれ思案がめぐらされはじめたところで、さゆりが意味ありげに微笑んだものだから、余計なことはたちまち吹き飛んでいた。そう、たしかにさゆりは笑ったのだ。しかも、ちょっといたずらっぽく。


「テレシナの街のこと、どのくらい詳しくなった?」

「まだ一〇回は歩いてないですから、それほどでは」

「すくなくとも、わたしよりは詳しいわよね」

「まあ、たぶん」


 お嬢さまの意図がよくわからないまま、ケイはありていに答えた。さゆりは学校のほかには邸宅の敷地外へ出ない。すくなくとも、ケイが侍女になってからのこの半年間はずっとそうだった。こうして研究所までやってきたのが、さゆりにとってはこの地へやってきてからはじめての自主的な外出だろう。屋敷でまったく不自由することがないといっても、まるで軟禁されているかのようだ。望めばこうして外へ出られるのは、あたりまえといえばそうなのだが。


 ケイがうなずくと、さゆりはこれまで見せたことのない表情を浮かべた。なにごとにも関心の薄い、なんでも事後承認で唯々諾々とうなずく、人形のような印象は微塵もない。はっきりと自分の意志を持っている眼の光だ。


「わたしもあなたの寄り道に連れて行って。それとも、迷惑かしら?」

「まさか! ですが……」


 人が足りない、とケイはクレスのほうを見遣った。ただでさえ治安が良いとは請け合えないテレシナの街へ、天下のF財閥令嬢が侍女と護衛を一名ずつつけただけで繰り出すというのか。


 職務不精励の疑い濃厚な警護課要員は、心底かったるいと全身で表明しながらこういった。


「だから俺だけ居残りなワケ。『おまえはどっから見ても財閥の職員とは思われない』だとよ。車列は市内を渋滞に巻き込まれながら屋敷まで戻る。二時間ちょいってところだな。黒服の群れでガードするより、俺とあんたでお嬢さまをエスコートするほうが目立たない」


 重装備をした黒塗りの車列には財閥の重要人物が鎮座ましましている、ということはもう市民に知れ渡っている。実際にはさゆりは乗っていないのだが、これ見よがしに市内をのろのろと車列が屋敷へ向かっていくのは、つまり目くらましであり囮だ。反財閥主義の過激派がそちらへ気を取られているあいだに、当のお嬢さまはわずかな従者のみを連れ、なに食わぬ顔で市中を歩いている、というのが警備陣の書いたシナリオらしい。


「じゃあ、上も承知ってこと?」

「警護課は反対だったみたいだがな、責任取れねえって。ま、フランツさまが直々にお忍びの許可を出したんじゃハラ括るしかないけどよ」

「フランツさまに直談判でお願いしたんですか? 街に行ってみたいって」


 主人のほうへ向き直ってケイが訊ねると、さゆりは首を左右に振った。


「いいえ。レイカに断られるところだったのだけれど、たまたまお祖父さまがべつの用件でオンラインになったの。わたし、直接お祖父さまにつながるアドレスは知らないのよ」

「お嬢さまでもフランツさまの直リンは知らないものなんですか」


 じつの孫娘すら連絡先を教えられていない財閥の支配者とは、いったいどんな存在なのか、ケイはちょっとフランツなる人物に興味を抱いたが、さゆりはいつものお嬢さまとはかけ離れた性急さで、ケイの袖を引っ張っていた。


「そんなことより、二時間しかないのよ。早く連れて行ってちょうだい」

「あ、そうですね。それじゃあ、行きましょうか」


 なんだか、本当に女学生が友人どうし遊びにいくみたいだな、と、ケイはお嬢さまと自分自身がここしばらくで急速に変化していることに感慨を覚えていた。半年前に引き合わされたときは、さゆりにこんな歳相応の少女としての面があるとは思えなかったし、ケイ自身、指図や命令が飛んでこない状況でどう判断して行動すればいいのかわからず、プログラムが書き込まれていないロボットのように固まっていることもままあった。

 ケイにとって、楽しい、という感情の意味が辞書的な定義ではなくなったのは、つい最近のことなのだ。


 ――連れ立って歩きだした少女ふたりのあとに、肩をすくめてからつづきつつ、緑の黒髪をした青年はだれに向けてなのか、独語していた。


「さて、この状況でなにが起きることを期待してるんだ?」


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