(三) 2 繕った面飾り[後編]
なっちゃんに合わせ、ニコニコ笑っていた男性が、表情を変え、眉間に皺を寄せる。
「おいおい、そこはトッピングはどうしますか?って聞かないと駄目だよ。ほんと気が利かないのなお前。」
その言葉は私に向かって放たれた。
「すみません」とよく分からないまま小さな声で謝った。なっちゃんも「少し待ってくださいね」と言って、心配そうに私を振り返った。私は閉じたばかりの蓋を開け、保温機に入ってるコロッケを取り出し、ご飯の上にのせる。前回もその前もトッピングはなしだった。この手のお客さんの注文変更はよくあることだった。ただ、それからがいつもと違った。
「だからいつまでたっても客がつかないんだよ。あんな風になっちゃ駄目だからね、なっちゃん。」
そうなっちゃんに小声で言ってるけど、はっきりと聞こえてる。馴れ馴れしく話す男性客に、自分が言われてるわけじゃないのに嫌悪感が増してくる。お店の旦那さんはカレーを出し終わったあと、溜まったゴミ袋を裏へ出しに行ったようでいなかった。聞かれなくてちょうど良かった。もし聞いていたら、何を思うのだろうか。無口でよけいなことは言わない店主のことが未だに分からない。高校の頃からの付き合いだけど、今まで怒ったり怒鳴ったりしたのを見たことがない。そして笑ったところも。注意はだいたい奥さんがしてくれていたし、雑用も全て奥さんが教えてくれていた。
思ったまま口にするこのサラリーマンの男性と感情を全く表に出さない店主、同じ世代なのにその違いはなんだろうか。
考えてもしょうがないか…
コロッケを追加したお弁当をなっちゃんに渡す。
それから数分たった。会計を済ませたのに、あの客は帰らない。話が終わらないのだ。なっちゃんはとっくに上がりの時間なのに、声をかけるタイミングが難しい。そうだ、と思い「なっちゃんこれお願いします」と肩を軽く叩き呼んでみた。
手に玉ねぎとニンジン、これを千切りにして、しょうが焼きやサラダに入れる。本来はなっちゃんの仕事は終わってるのでやらないのだけど、彼と引き離す口実にはちょうどいいと思った。
意図をさっしたなっちゃんは「はーい」と返事をして受け取ってくれた。背を向けた途端、
「おいおい、空気読めよ。こっちは話してんだからさ。仕事を後輩に押し付けてんじゃねーよ。お前がやればいいじゃん。」
空気読めてないのはあなた、という言葉を飲み込み、どう言ったら穏便に去ってくれるのか分からない。前にもそんなことを言っている人がいたな。
「すみません、仕事がありますので。」
なんとか出した返事。
「客いるんだからこっち優先だろ?」
(もう会計した時点で終わってます)
「これから注文分があるので忙しくなるんです。すみません、失礼します。」
「なんだそりゃ、もっとさぁ余裕もってやらないと。全部なっちゃんにやらせてるんじゃないの?残業させんなよ。」
「私そんな風に思ってませんよ。」
なっちゃんが言うが、
「なっちゃん気を遣っちゃダメだよ。仕事は仕事なんだから。」
「二人でやりますから大丈夫です。」
「いやいやあんた何もやってないじゃん。ほんとになぁ、弁当屋って楽でいいよなぁ。」
「……」
自分の部下に残業しろと言った人が、一方を残業するなと言う。
店長帰って来ないかなぁ。そうだ、今日はゴミ捨て場の清掃担当だった。だからいつもより遅いのか。
「あんたみたいなやつさ、うちの会社にもいるよ。少ししか仕事してないってのに、やりました!って大見栄きるやつ。その典型だな。なっちゃんもこういう先輩で苦労するねぇ。」
後半は優しくなっちゃんに語りかける。店長がいないのをいいことに話は止まらない。
「あ、そうだ、なっちゃんさ、専門卒業したらうちの会社にくればいいよ。俺が話通しとくからさ。調理師なんかならないで会社員なった方が断然いいよ。保険の仕事なんだけど、女性も活躍してるよ。なっちゃんなら可愛いし、たくさんお客さんつくよ。」
エスカレートする話につい「はぁー」とため息をついてしまった。抑えるのが辛い。
「何?なんか文句あるの?接客向いてないんだよお前。笑顔ない店員に誰がつくんだよ。」
ここは弁当屋であってキャバクラではありません。お店や店員を都合のいいようにすり替え、誘導する彼の考えにイライラしてしまう。お店のお客さんだから黙っていたけれど、もう我慢できない。「あの…」と言おうとしたとき盛大なくしゃみが私の声をかき消した。
「ハックションー!」
「あ、お帰りなさい。」
裏口から奥さんが戻ってきて、その後ろに店長もいた。一緒に入ってくる。
「店番ありがとう。あれ?なっちゃんまだいたの?もう上がっていいのよ?あらお客様がいたのね、何かあった?」
そう言って奥さんはカウンター越しにいるサラリーマンに目を留めた。
「あらぁいつもありがとうございます!今日もカレーですか?冷めないうちにどうぞ召し上がってください。」
「あ、あぁ。てかさぁ、おばちゃんさ、雇う店員ちゃんと考えた方がいいよ。愛想ないなんて接客業として最低じゃん。」
「何かしました?」
「こいつ俺の前でため息ついてさ」
「それは、あなたが…!」
思わず口を挟もうとした私の前に立ち、奥さんが手で私をたしなめ、男性に言った。
「あらごめんなさいねぇ。この子も笑えば可愛いのよ。で、他には?」
「他?…他は…愛想がないし、仕事を後輩に押しつけてるし。」
「あはは、なんだそんなこと。大丈夫ですよ、うちは。みんな仲良く協力して仕事してますから。うちみたいな小さな店のことまで気にしていただかなくてもけっこうですよ。そんなことよりお時間いいんですか?こんなところで時間潰して。あなたの部下がお困りじゃないですか?あなたがいないと不安でしょうから。」
「そうそう、俺がいないと駄目なんだよーおばちゃん分かってるね!」
ない前髪を撫で付け、顎をそらせた。
「分かりますよー!じゃ頑張って下さいね!」
手を振り自然に帰るように誘導する。
そしてサラリーマンはしぶしぶ帰って行った。
「すみません、奥さん。」
「随分長いこといたわね?私いなくなってからすぐ来たんでしょ?けっこう時間たってるわよ。貴方もゴミ出しあとで良かったんじゃない?仮にも男と女なんですから、貴方がいないと。なっちゃんもお疲れ様。」
私、店長、なっちゃんと次々に話しかける奥さん、なんだか頼もしく場が和やかになった。
「じゃ上がりますね。」
帰り支度を始めるなっちゃんに「お疲れ様」と私も返す。
「なっちゃん凄いね。やっぱり私あぁいうお客さん苦手だなぁ。」
「あぁいうお客さん?」
なっちゃんが聞き返す。
「うん、なんでも自分中心に考えて、人によって態度変える人。部下の人たちも大変そう。」
「本当よ!もう!」
「どうしました?奥さん?」
いきり立った奥さんが、花粉症でくしゃくしゃになった顔をキッと上げた。
「あの人私のことを『おばちゃん』っていったのよ!私あの人と対して年齢変わらないはずだけど?失礼ね!さすがにお姉さんは無理があるけどさ…」
「確かに、おばちゃんは酷いですね。せめて奥さんとか佐藤さんとかありますよね…」
「お姉さんでもいけますよ!」
なっちゃんがフォローする。
「ありがとねぇ、さぁ私達は夕方の分のおかず作り始めちゃいましょ。カオリちゃんは千切りお願いね。」
「はい。」
先ほどなっちゃんにお願いした仕事を引き継ぐ。帰ろうとするなっちゃんを見ると笑顔で「お疲れ様でした!」と旦那さんに声をかけているところだった。ふと気になってドア口にいるなっちゃんに聞いてみた。
「ねぇ、なんでいつも笑っていられるの?」
「え?なんでって言われても…」
「私さっきみたいなお客さん来るとどうしても顔が強ばっちゃって、駄目なんだよね。嫌悪感が出ちゃうというか。」
「私も嫌ですよ、あぁいうお客さん。」
「でもいつも笑顔で対応してて、凄いなって思ってた。」
「私、すごくなんかないですよ。とりあえず笑っとけば、円満?じゃないですか。うーん、改めて聞かれると困っちゃうけど、条件反射かな?」
「条件反射?」
「はい、先輩が条件反射で皮肉るみたいな?」
「皮肉る…」
「笑顔だからって、楽しいわけじゃないですよ。…それじゃ、お疲れ様でした!」
なっちゃんは奥にいた奥さんにも聞こえるよう挨拶してドア越しに消えていった。
もしかして怒っちゃったかな。
私は勘違いしていた。
あのサラリーマンは「調理師なんか」って言っていた。なっちゃんの夢は調理師になって自分のお店を持つのが夢だった。楽しいわけないのに。夢を馬鹿にされて平気でいられるほど、なっちゃんは強いわけじゃない。私が逃げている間、彼女はどんな気持ちだったのだろう。
私がなっちゃんにかける言葉は「凄いね」じゃなくて「お疲れ様」「ありがとう」だった。上辺で判断していたのは、あのサラリーマンだけでなく、私も同じだ。
夕飯時になってお店は忙しくなってきた。ニンジンを急いで切っていた私は不注意で自分の指も切ってしまった。付けた絆創膏の下は棘が刺さったようにジクジクと痛み続け、なかなか治らなかった。