(三) 3 友人以上家族未満
「奥さん遅いですね…」
私はつい店長に声を掛けてしまった。私の顔を見て軽く顎を引いて返事をした店長に、少しホッとする。今日はなっちゃんは学校なのでお休み。私は昼前から夕方まで少し長めに働いていた。奥さんがいつもの高橋さんにお弁当を届けに行ってから、1時間は経っている。長くても30分で戻ってきていたので、何かあったのかと不安になった。これから何十個かある団体様のお弁当作りが控えていて、そろそろ取りかからなければ間に合わない。店主は黙々と下ごしらえに手を動かしていたけれど、私はキャベツを切る動作がゆっくりとなっていた。前みたいに指を切ってしまっては迷惑がかかる。静かな時間を裂いたのは電話のベルだった。お店の電話を取り、私は「はい、まるもり弁当店でございます」と応対した。
『あ、カオリちゃん?私だけど』
その声は先ほど高橋さん家にお弁当を届けに行ったはずの奥さんの声だった。
「あ!奥さんどうしたんですか?」
帰りが遅いと思っていた奥さんがからの電話に安心より不安がよぎる。
『あのね、実は今病院にいるのよ』
「え!どこか怪我したんですか?それとも体調悪いとか?」
私の焦った声に、普段反応を見せない店長が反応した。眉間に皺を寄せ、険しい顔がこちらを伺う。
『違う違う!私じゃなくて、高橋さん家のお婆ちゃんよ』
「あぁ…高橋さんの方。」
奥さんじゃなくてホッとした。と同時に高橋さんの様態が気になって聞いてみた。
『私が玄関先から呼び掛けてもね、全く反応ないからさ、あれ?って思って玄関を勝手に開けてみたのよ。そしたら客間と廊下の間で倒れてて、段差につまずいて転んだって言うのよ。すごく痛そうだったわぁ。膝をね、おもいっきり打っちゃったみたい。それでこれは酷い怪我なんじゃないかって思って、救急車呼んだのよ。私はそれに付き添うことになったの』
そういえば救急車のサイレンが遠くから聞こえていたのを思い出した。30分ほど前くらいだろうか。
『だから悪いんだけどカオリちゃん残業してもらっていい?それから団体様のお弁当あったでしょ?それもなんとか二人で作ってくれない?』
「はい、分かりました…」
少し不安だったけど、奥さんの方が大変そうだっだ。疲れた声を滲ませ、小さく抑えたため息が電話越しから聞こえてきた。そのまま店長に変わった。受話器を渡し二人の会話をなんとなしに聞いていた。店長は「あぁ」と返事ばかりで、どういった話をしているのか分からなかったけど、団体様のお弁当の話とこれからのことを話していたんだと思う。
電話を置き、店長は冷蔵庫に張り付けていた奥さんのメモを手に取った。それからテキパキと下準備を始めた店長が「これお願いね」と大きくないけどしっかりと通った声をかけてきて、私も「はい!」と一緒にお弁当作りを開始した。いつもなら三人でも余裕な時間、二人で間に合うかどうか。少し焦るけど、どっしり構えた店長の動きに、こちらも落ち着いてきた。共鳴は声だけじゃなく、人の呼吸からも伝わってくるものなんだと思った。
受け取りに来たお客様にお弁当20個を無事に渡すことができた。結構ギリギリだったので、胸を撫で下ろす。少し遅れたからって怒るお客様じゃないけれど、やりきったという自信が疲れを拡散してくれた。
閉店になって後片付けをしている最中に奥さんが帰ってきた。
「ごめんねー!カオリちゃん、ありがとう!団体様のお客さん大丈夫だった?」
急いで帰ってきたのだろう、汗ばんだ額をハンカチで拭きながら、私へ声をかけてきた。
「はい、なんとか大丈夫でした。奥さんもお疲れ様でした。」
「いやーびっくりしたわ。お婆ちゃんね、膝にヒビ入っちゃって、二週間入院生活だって。だから五日分のお弁当はキャンセルね。」
「はい、分かりました。」
「遅くまでありがとね、もう上がっていいわよ。あとの片付けは私がやるから。」
「はい、じゃお願いします。お疲れ様でした。」
「はい、お疲れ様。」
明るい声で返してくれたけど、目はいつもより沈んで見えた。奥さんはそのまま鍋を洗う店長へと向かった。
「あのね高橋さん、一人暮らしでしょ?着替えとか誰も持っていく人がいないのよ。だから私が届けましょうかってことになったの。高橋さんの自宅の鍵とか保険証とかある場所教えてもらったから、これからちょっと準備してくるね。多分毎日顔出すことになると思う。もしかしたら手術あるかもしれないから。仕事抜け出すこと多くなるかも。」
「ああ、仕方がないさ。」
「んじゃもろもろはあとでね。」
私はエプロンを外しながらふと気になって聞いてみた。
「あの…息子さんと娘さんが東京かどっかにいるんですよね?連絡しないんですか?」
困った顔をした奥さんが、なんとも言えない表情をした。
「それがねぇ、息子や娘には電話しないでくれっていうのよ。迷惑かけたくないんだって。」
「え…迷惑かけたくないって。今回は入院ですよ?困ったときこそじゃないんですか?」
少し声がキツくなったかもしれない。
「うーんやっぱり、いつも一人でも平気だって言ってたからねぇ、お子さん達にもそう言ってたんじゃない?いざ、こういうことになってもさ、また平気だって言っちゃうのかなぁ。あとは、恥ずかしいとか見栄とかあるのよ。」
「え…見栄って…」
私はあまり納得できなかった。
だって現に奥さんが全ての世話をすることになってる。はっきりいって、奥さんにとっては多大なる迷惑だ。身内に迷惑かけたくない代わりに、他人に平気で迷惑をかける。そこに年齢は関係ない。なんて身勝手なんだろうと、私はモヤモヤした気持ちになった。畳んだエプロンを持ったまま、思考がぐるぐるする。そんなことを奥さんに伝えることはできない。本人は世話好きを公言してるけど、どこまでが親切でお節介なのか、今の私には判断できなかった。
( 本当にそれで良かったのかな )
「大丈夫よ、カオリちゃん。少しの期間だけだから。シフトはいつも通りでいいからね。」
私の心配を違うところからとった奥さんは、疲れた顔を無理に笑わせて、私の背中をトントンと叩いて見送ってくれた。店を後にした私は、静かな道をとぼとぼと歩く。駅までは10分ほど。日はとっくに沈み、厚い雲が月を隠し、いつもより暗い道をつくっていた。間隔的に置かれた街灯を頼りに、影を伸ばしたり縮めたりしながら進み、誰もいない歩道と並んだ民家をさらりと眺める。忘れかけた疲れが、足を引っ張って、未熟な心に重石を乗せる。
母も人に必要とされる人だった。いつも明るくて誰にでも笑顔で接する人。疲れていても「大丈夫」「仕方がないよ」「平気だから」それが口癖になっていて、私はそんな母が心配だった。二人しかいない家族だったから、なおさら心配で、いつも「そこまでしなくちゃいけないの?」「それ、お母さんじゃなきゃダメなの?」「介護の仕事じゃないよ」と、いつも嫌な声をぶつけていた。仕事以上に親切を優先する母は、他人にとっては「いいひと」として扱われた。だから無理な要求も増えるし、我が儘と介護者としての境界線が曖昧になってしまう。未だに何が正しかったのか分からない。結局本人が決めることなのだから。母に聞くことはもう叶わない。そこに逃げ道をつくって、私は答えを完結させた。
ひとついえることは、母も、まるもり弁当店の奥さんも、善良ポイントが付加されなくても同じ行動をしているだろうということ。困っている人がいたら助ける、それは彼女達の素なのだから。
誰もいない静かな夜は、考えをすっきりさせることもあるけれど、暗い深みに沈ませることもある。私は後者。見えないと分かっていても月を探し夜空を仰ぎ見る。思考の先は過去と現在をいったり来たりしていた。言葉が出てこないのに、何か語りかけたくなるのはなぜだろう。そうか、こんなときには、あの人に話を聞いてもらえばいいのか。あのお人好しの彼に、たまには我が儘を言うのもいいのかもしれない。柳のように受け流して、私の心を凪いでくれるだろう。
夜風が頬を撫で、先ほどの重みが少し軽くなった気がした。カランっと何かが外れる音がしたのは、きっと気のせい。
読了ありがとうございました。
四章へ続きます。また読んでいただけたら嬉しいです。




