おっ、お嬢ちゃん、ええところに来てくれたなあ
第8話「ひとりぼっちの神隠し」スタート!
「あー、また見失ってしもた!」
夕暮れどきの児童公園、徳田 寧音 は右手にカメラ、左手で汗のにじむ額を拭いながら、やるせなく呟いた。
周囲を見回してみるが、公園には寧音以外に誰もいない。
すでに十月だというのに、異常気象のせいなのか、まだ夏の名残りが強く感じられた。しぶとく生き残った最後の一匹だろう、何処からか蜩の鳴き声が物悲しく聞こえてくる。
キキキキキキキッ……
最近、寧音がしつこく追いかけているのは、琳昭館 高校の一年A組に先月転校して来たばかりの仙月アキトだ。
このアキトという男、転校早々に空手部の三年生とやり合ったり、生徒会長である 伊達 修造 にテニス対決を挑んだりと、校内でもかなり目立つ存在だ。編入間もなくだというのに、もうほとんどの生徒に名が知れ渡っている。
新聞部に所属する寧音としては、とても興味が湧くキャラクターだと言える。それに、アキトには何か秘密がある――と寧音が持つジャーナリストの勘が本能的に訴えていた。
そのことがハッキリしたのは、白昼の教室で獣のような恐ろしい怪物が暴れ回ったときだ。
寧音は忘れもしない。アキトはその怪物を相手に、真っ向から素手で闘った。どんなに格闘技の心得があろうとも、普通だったら殺されかねないほど凶悪な怪物であるのに。
ところが、アキトはそれを圧倒した(※ 第5話を参照のこと)。
不思議なことに、その事件は多くの生徒たちによって目撃されていたにもかかわらず、誰に尋ねても当時の状況を憶えていなかった。
そんなことがあるだろうか。全員がまるで記憶操作でもされたかのように、異口同音に怪物など見なかったと証言し、壊れた教室も突風の仕業だと片づけられた。
ただ一人、怪物の犠牲となって重傷を負った 木暮 春紀 という生徒は、今も病院の集中治療室で昏睡している状態だ。誰一人として寧音と同じものを見たと言ってくれる者はいない。
従って、いくら寧音がそれを話題にしても、どうせ夢か幻を見たんだろう、と一笑に付された。
しかし、そんなはずはないと一番分かっているのは寧音本人だ。妄想と現実を混同するわけがないと自負している。
そこで、自分の正しさを立証するため――加えて、どうしてクラスメイトたちが事件の記憶を失くしてしまったのかを解明するため、独自に調査を開始することにした。
やはり鍵となるのはアキトだ。
他の生徒たち同様、もしアキトが事件当日のことを憶えていなかったとしても、あの恐ろしげな怪物と闘った場面を寧音はしっかり目撃している。どうして、あんな人間離れした芸当が出来たのか。それを解明すれば事件の真相に近づけるはず。
ところが、肝心のアキトは寧音の追求から、のらりくらりと逃げ回った。インタビューを申し入れればむべもなく拒否され、尾行してアキトの秘密を探ろうとすれば、簡単に勘づかれて、まんまと巻かれてしまう始末。
半分は寧音が引き起こすドジな失敗に原因があるのだが、一週間もアキトを追っていながら、得られた情報はと言えば、同じA組の 忍足 薫 から――
『底抜けに呆れるほどの単純バカで、ちょっとでも可愛い娘を見ると見境なく襲いかかろうとするスケベで、おまけにどうしようもない生まれながらの変態で、ガサツで、食い意地が張ってて、無礼極まりない――(以下、略)』
――ということくらい(※ 第5話より抜粋)。寧音が知りたいことは、未だ皆無に等しい。
そのため、学校の職員室に忍び込み、アキトの個人データを盗もうとしたこともある。取材対象の住所や家族構成を知っておくことは、ジャーナリストの基本だ。
ところが、学生情報を管理しているはずのパソコンにハッキングしても、一年A組の担任教師の机をひっくり返しても、まだ転校して来たばかりのせいか、アキトの個人情報は何処を捜しても出て来なかった。まさに八方塞がり。
実は、寧音が知る由もないが、アキトのデータは、すべて理事長である玉石 梓 の手中にあった。
彼女はアキトの正体が東洋系の 吸血鬼 だと知っており、自ら招聘した美人カウンセラー、毒島カレンと共に、何かを企んでいるらしい。また、彼女たちとは別に、校長の 信楽 福文 も何やら裏で動いているらしいが……それはまた別の話だ。
とにかく、アキトに関する調査は、想像以上に難航した。
だが、それで諦めるような寧音ではない。むしろターゲットのガードが堅ければ堅いほど、必ず特ダネをモノにしてやろうというファイトが俄然と湧く。
寧音は下校するアキトへの尾行を続けた。来る日も来る日も。
しかし、どういうわけかこの一週間、ここ坂時町にある児童公園に差し掛かったところで、アキトは姿を暗ませていた。
どうせ、とっくの昔に寧音の尾行など勘づいているのだろう。アキトは必ずこの児童公園にある公衆トイレへ立ち寄るのが毎日のパターンだった。そこで不思議なことに、トイレへ入ったが最後、パッと姿を消してしまうのだ。
公衆トイレには男女ともに入口はひとつだけ。他から出て行けるはずもなく、最初の日は暗くなるまで、「めっちゃ、長グ×やなあ」と思いながら、ずっとトイレの前で張り込む羽目になった。
そのときは、一時間ほど待ってから、たまたま通りかかった男子中学生を強引に呼び止め、中を確認してもらったのだが、まんまと逃げられたと知らされたときには、その少年がそそくさと逃げ出すほど、地団駄を踏んで悔しがったものだ。
結局、それが毎日繰り返され、いくらアキトを尾行しても、その自宅すら突き止めることは出来なかった。
そんなことが続いて一週間、また今日も寧音は坂時町児童公園にある公衆トイレの前で立ち尽くしていた。
いったい、どんなトリックを使って姿を消しているのか――ひょっとして秘密の抜け穴でも掘ってあるんじゃないかと疑いつつ、検証しようにも、まさか男性トイレへ入るわけにもいかない。
今日も寧音は取材の成果を得られず、ガックリと肩を落としてうなだれ、仕方なく自宅へ帰ろうと思った。
キキキキキキキッ……
蜩が悲しげに鳴いている。
過ぎ去ろうとしている夏――
夕暮れどきの公園――
まだ衣替えをしていない汗ばんだ夏服の襟元と袖口から、涼しげな風が吹き込んだ。
その瞬間、一歩踏み出した寧音の足がふらついた。
一瞬、地震かと思った。地面が波打ったような感覚。同時にキーンと耳鳴りがして、立っていられない。
思わず、寧音はその場にしゃがみ込んでしまった。それでも倒れそうになって、両手を地面につく。その拍子に、かけていたメガネが落ちた。
「しもたっ! メガネ、メガネ……」
横山やすし風に呟きながら、寧音は落ちたメガネを手探りで捜した。何しろ、メガネなしだと裸眼では視力0.01で、ほとんど何も見えない。
ところが、すぐ下に落としたと思ったのに、メガネはまったく寧音の手に触れなかった。
「お姉ちゃん」
不意に声をかけられた。小さな女の子の声。
天の助け、とばかりに、寧音は声がした方に顔を向けた。
「おっ、お嬢ちゃん、ええところに来てくれたなあ。お姉ちゃん、メガネ落としてしもうて。悪いけど、拾ってくれへんか?」
顔を向けては見たものの、やっぱりメガネなしでは女の子の顔を見ることは出来なかった。全体的に何となくそこにいるような、ぼやけた捉え方しか出来ない。
すると、女の子の返事は意外なものだった。
「メガネ? 何処にもないよ」
屈託のない無邪気な声。焦ったのは寧音だ。
「何やて? そないなはず、あれへんやろ。たった今、ここで落としたんや。絶対にあるはずや」
そう言いながら、寧音は砂地の地面を探った。だが、やっぱりメガネは見つからない。
「何処にもないよぉ。アヤネ、ウソつかないもん」
自分を “アヤネ” と呼ぶ女の子は、少しムクれたように喋った。
寧音も目が見えない以上、さらに強くは言えなかった。本当にメガネは何処かへ行ってしまったのかも知れない。例えば、イヌか何かが咥えて行った、とか――?
「お姉ちゃん、アヤネが一緒に見つけてあげようか?」
アヤネは寧音に提案して来た。それは渡りに船だ。とにかくメガネがないと家にも帰れない。
「ホンマか? ほな、頼むわ」
「うん、いいよ」
アヤネが手を引いた。寧音は恐る恐る立ち上がる。
「お姉ちゃんなあ、メガネがあれへんと何も見えへんのや」
「アヤネに任せて」
不安そうな寧音の右手をアヤネが握って来た。小さく柔らかな温かい手。アヤネの先導で、寧音はおっかなびっくり歩き出す。
辺りはすっかり夕闇が迫っている。これ以上、暗くなったら、いくら公園の電灯が点くとはいえ、益々、見えなくなってしまうだろう。早いうちにメガネを見つける必要があった。
「おーい、メガネ。何処へ行ったんや?」
メガネが返事をするわけもないのに、寧音は呼びかけてみた。
キキキキキッ…… キッ……
いつの間にか、蜩の鳴き声は聞こえなくなっていた。




