第2話 第三章 善人の値段 第三章〜第五章 【ルンブリス】
パンを分け合った夜から、少しずつ動き始めたディアとヒカリの日常。
屋根を直し、仕事を探し、子供たちを食べさせる。
そんな当たり前の暮らしを守ろうとする二人に、王国の影が迫ります。
第2話「善人の値段」、お楽しみください。
第三章 善人の値段
朝、ヒカリが俺に濡れた帽子を渡した。
「角が隠れるかなって」
かぶると、二か所だけ天幕のように盛り上がった。
「新しい種族が生まれたぞ」
「お耳が長い人に見えません?」
「そんな都合のいい門番なら、昨日入れてる」
結局、ガルドが保証人になってくれた。彼は街の外れで鍛冶場を営んでいた。
俺の作った金具を一晩眺め、寝不足らしい。
「この曲がり、どうやった」
「力の逃げ道を作った」
「分かる言葉で言え」
「折れていい場所を先に決めた。全部守ろうとすると、いちばん困る場所が折れる」
ガルドは金具を置き、初めて俺の顔を長く見た。
教会で必要な食費を計算すると、パンの分け合いでは三日と持たなかった。
俺は鍛冶場の端を借り、修理の札を出した。鍋、馬車、水くみ機。材料費と手間賃は先に伝える。直せない物には、直せないと言った。
魔族に品を預ける客は少ない。
最初の客は、取っ手の取れた鍋を持つ人間の老婆だった。
「騙したら、あんたの角で洗濯物を干すからね」
「どっちも短いぞ。小物用だな」
翌日、その老婆が客を三人連れてきた。
ヒカリには受付を任せた。
午前中に二度つまずき、客の名前を一度間違え、釣り銭は三度数えた。
しかし、客が口にしなかった事情を覚えていた。
「あの人、奥さんが寝込んでるので、鍋を先にできますか」
「先に預かった客には、ちゃんと説明しろ」
「はい!」
ヒカリは事情を話して頭を下げた。待っていた客が、俺の分は明日でいいと言った。
昼過ぎ、孤児の狐の子が走ってきた。
名前はトト。足が速い。その足が、今日は片方だけ靴下だった。
「おねえちゃん、騎士が来た!」
教会の前に、白い外套の男が立っていた。
王国の収税官バルゼル。指にはめた宝石で、子供十人の一年分は食わせられる。
「この施設は王領だ。違法居住者は身柄を預かる」
男の後ろには、子供を運ぶには大きすぎる鉄檻の荷車があった。
「身柄をどこへ?」
「労働施設だ。保護費用は働いて返す」
「借りた覚えのない金を、子供に払わせんのか」
男は俺の角を見た。
「魔族に王国の慈悲は理解できまい」
「説明してみろよ。俺、覚えはいいんだ」
兵士が剣を抜いた。
その瞬間、ヒカリが俺の前へ飛び出した。
「子供たちは連れていかないでください!」
「お前も孤児だろう。商品が増えれば――」
男は口を止めた。
遅い。
俺はヒカリの肩を後ろへ押し、剣の刃を二本の指で挟んだ。
刃だけを曲げる。兵士の腕は折らない。慣れてきた。
「今、商品っつったな」
「聞き間違いだ」
「じゃあ、檻の中の足枷も見間違いか?」
怒鳴れば相手は引く。だが別の兵隊を連れて戻ってくる。
俺は口角を上げた。
「お前の保護とやら、役所で詳しく聞かせてもらうぞ」
バルゼルは逃げるように荷車へ乗った。
ヒカリは膝を震わせたまま立っていた。
「怖かったなら、前へ出んな」
「でも、私が出なかったら」
「助ける気は、捨てなくていい。立つ場所を考えろ。お前が倒れたら、あいつらは誰を呼ぶんだ」
彼女は子供たちを見て、それから自分の足元を見た。
「……次は、ディアさんの隣に立ちます」
「そうしろ。勝手に盾になるな」
第四章 嘘には継ぎ目がある
役所へ行く前に、こちらへ来た人間がいた。
元王国騎士、レイン。左手の小指がなく、腰の剣には布を巻いている。
「収税官の仕事を邪魔した魔族は、お前か」
「邪魔された修理屋なら俺だ」
レインは教会の窓を見た。ガラスはなく、板でふさがれている。
「半年前、あの男を調べて部下を二人失った。お前まで死ぬ必要はない」
「死にかけた人間を門前払いするのがお前らの保護か」
彼は答えなかった。
代わりに、古い鎧の留め具を置いた。
金属は黒く塗られ、内側に王国工房の刻印があった。
「昨年、孤児院跡から拾った。公文書では、魔族の武具とされている」
ガルドが刻印の縁を指でなぞった。
「製造番号を削ってある。うちの組合なら、出荷帳をたどれる」
「人間の兵士が魔族のふりをしたんですか」
ヒカリの問いに、俺はすぐ答えなかった。
「この一個だけじゃ、拾った鎧かもしれねえ。決めつけて殴ると、向こうの思うつぼだ」
翌日、盗人が俺の財布を取った。
猫の耳を持つ娘だった。路地に入る前に俺が先回りすると、彼女は財布を胸に抱いて固まった。
「速さなら勝てると思ったんだけど」
「角のあるおっさんは、脚力もおかしいんだよ」
名はニア。弟がバルゼルの保護施設にいる。
「返してほしかったら、先に弟を返してよ」
「その取引、俺に得がねえ」
「魔族って冷たい」
「財布で食う予定だったのも孤児だ。誰から取ってるか確認してから言え」
ニアは教会の方角を見て、財布を差し出した。
俺は受け取った。
「ただ、施設の入り方は教えてもらう」
その夜、レインとニアが王国倉庫の地下へ入った。俺は外で荷車の到着を数えた。
魔力で壁は壊せる。だがどこに子供がいるか分からないうちに壊せば、瓦礫が先に届く。
ニアが出てきたとき、腕には眠った小さな猫の少年がいた。
レインは帳簿と、子供たちにつけられていた銅札を持っていた。
「二十七人。動けない子が五人いる。奥に兵士が六人」
数が出た。場所が出た。
俺は地下へ降りた。
兵士の一人が笑って、足元の子を盾に抱え上げた。
「止まれ。魔族の英雄ごっこに付き合う気は――」
床の砂粒が黒く立ち上がり、兵士の手首だけを包んだ。
俺は腕の関節の動きを止めた。子供を引き離す。最後に、兵士の胸当てを壁へ縫いつけた。
「付き合わなくていい。そこで黙ってろ」
残りの五人は、剣を置いた。
全員を出すのに一時間かかった。
ヒカリは教会で湯を沸かし、子供の名前を聞いていた。最初は自分一人で抱えようとしたが、すぐ人間の姉妹へ毛布を頼み、トトに道案内を頼んだ。
彼女の目の届く場所で、みんなに仕事が渡った。
夜明け、帳簿を広げた。
孤児の移送費。魔族討伐軍の補助金。焼けた村の復興費。
それらが、同じ口座へ流れていた。
さらに、黒い鎧の発注日があった。
孤児院襲撃の十一日前。
指示者の印は、収税官のものではない。
ヴァルディス王国、王の私印だった。
第五章 帰ってこない人
ヒカリが帳簿の一行を見つめていた。
『施設解体に伴う処分 監督者一名』
欄外に、マリアとある。
「私を拾ってくれた先生です」
彼女は文字を指でなぞった。
「いつも左の袖に、針を刺してて。危ないって言うと、ここなら落とさないからって。雨の日は、先に小さい子の靴を乾かして」
声が途切れた。
「……先生は、あの夜、私を窓から押し出したんです」
ヒカリの手首には、薄い火傷の跡があった。
「助けに戻れなくて。私、走るの、遅いから」
「子供一人が戻って、何ができた」
自分でも、きつい声だと思った。
ヒカリは唇をかんだ。
俺は椅子を引き、隣に座った。
「……悪い。お前に言ってるんじゃねえ。子供にそんな計算をさせた連中に、腹が立ってる」
「ディアさんの魔法なら、先生を戻せますか」
喉が詰まった。
あの冷たい表示を思い出す。
「戻せない」
声に出したら、力の大きさがひどく空しくなった。
屋根は直せる。剣は曲げられる。たぶん城壁だって崩せる。
椅子を一つ空けてやることは、できない。
ヒカリは顔を両手で覆った。
俺は背中に手を置いた。壊さない強さを、何度も確かめながら。
夜が明けるまで、そうしていた。
朝、彼女が冷めた茶を飲んだ。
「先生を殺した人を、私は憎んでます」
「それでいい」
「でも、その人の子供まで憎んだら、先生が助けた私じゃなくなる気がします」
俺はうなずいた。
「区別できるなら、まだ考えられる。怒ってる間も、考えるのをやめんな」
その日の昼、王国兵が教会を囲んだ。
昨夜の兵士の一人が逃げ、報告したらしい。
降伏勧告の文面には、こうあった。
『魔族による児童誘拐、および王国財産の窃盗』
ヒカリは紙を読み終え、子供たちの部屋へ向かった。
泣く時間と、逃がす時間を、もう取り違えなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
どれほど強い力があっても、取り戻せないものがある。
ヒカリの問いに「戻せない」と答えるディアもまた、その現実に向き合うことになりました。
悲しみを抱えながら、それでも子供たちを守るために動くヒカリ。
次回、二人が守ってきた教会に、王国軍が迫ります。
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