第1話 序章 王冠より先に 序章〜第二章
もし、正義と悪が逆転した世界に転生したら――。
人間が正義とは限らない。
魔族が悪とは限らない。
これは、異世界に転生した一人の男が、仲間と出会い、少女の未来を守るために世界の常識へ挑む物語。
笑いあり、涙あり、そして数々の謎。
魔族ディアと少女ヒカリが紡ぐ、異世界ファンタジー『ルンブリス』。
彼らの物語を、どうぞお楽しみください。
世界を統べる少女が、戴冠式の階段で転んだ。
白い礼服の裾がひるがえり、六つの種族の代表が息をのむ。銀の王冠は宙を舞い、俺の片手に収まった。
「だから裾を持てっつったろ」
「持ったんです。両手で。そしたら手すりを持つ手がなくて」
「お前の説明はいつも、途中までは正しいんだよな」
少女は膝をさすって笑った。昔と同じ、困ったような笑顔だった。
けれど、その背後に並ぶ旗は昔とは違う。
人間、魔族、獣人、エルフ、ドワーフ、竜人。かつて殺し合った者たちが、同じ風の中に立っている。
俺は王冠の内側を確かめた。針も呪いも仕込まれていない。何度確認しても、この世界では油断できない。
「なあ、ヒカリ。今なら逃げてもいいぞ」
「逃げたら、ディアさんが代わりにやってくれます?」
「絶対に嫌だ」
「じゃあ、私がやります」
彼女は立ち上がった。
その膝には、薄く血がにじんでいた。
俺は黒い手袋を外し、小さな傷をふさいだ。人々が恐れる魔族の指で。
ここまで来るのに、いったい何度、こいつを立たせただろう。
始まりは王城でも戦場でもない。
雨の中で、冷たいパンを半分にした、ただそれだけのことだった。
第一章 死んでも現場責任者
午前三時半。
目覚ましより先に目が覚めるのは、歳のせいだと思っていた。
天井がないのは、歳のせいではなかった。
代わりに、二つの月が浮かんでいる。
「……どこの現場だよ、ここ」
ケンゾウ、四十四歳。血液型B型。何かあれば呼ばれ、何もなければ忘れられる、便利なおっさんである。
車の電装、事務、営業、店の段取り、壊れた椅子の修理まで、だいたいのことはできた。専門を一つ選べと言われると困る。器用貧乏。自分でも否定しづらい。
最後の記憶は、勤務先の駐車場だった。
雨。転がっていく荷物。送迎車の後ろへ走り込んだ小さな子供。
俺は腕を伸ばした。
子供を歩道へ押し返したところで、白い光が来た。
その先がない。
俺は起き上がり、水たまりをのぞき込んだ。
黒い髪。細くなった顔。赤紫の目。そして、こめかみから後ろへ伸びる二本の角。
「……髪が戻ったのは助かるが、帽子の規格が変わるな」
水面の男は、俺と同じ嫌そうな顔をした。
胸の奥で、何かが静かに脈打った。
文字が見えた。
頭の中ではない。空中に浮かんでいる。
《個体登録 ディア》
《種族 原初魔族》
《固有権能 構造理解 魔力編集 収納領域》
《旧世界技能の適応完了》
「チュートリアルなら、まず服をくれ」
着ていたのは黒い薄着一枚だった。ポケットもない。
俺は文字に触れようとして、足元の石を踏み抜いた。
地面が、砕けた。
握った指の間で小石が粉になる。
「あー……これは加減を覚えないと、人の肩たたけねえな」
そのとき、遠くで悲鳴がした。
林の向こう、街道に横倒しの荷車がある。車輪の軸が折れ、荷台の下から老いたドワーフの足が出ていた。
人間の護衛が二人、槍を握って俺を見る。
「魔族だ!」
「おう。今そうらしい。で、下の爺さんは放置か?」
俺は槍先を避け、荷台の端をつかんだ。
重さがない。
力を抜くほうが難しい。荷車を空に投げないよう両膝を曲げ、ゆっくり持ち上げた。
「引っ張れ! 足首をひねるな!」
護衛の一人が動いた。老人が引き出される。
足には血がついていたが、呼吸はある。
折れた軸に目をやると、断面から線が伸びた。木目、荷重、釘の位置。現実で何度も見た構造が、透けるように分かる。
落ちていた鉄輪を拾い、必要な形を思い浮かべる。
紫の火が、指先から鉄へ移った。
十秒後、手のひらに補強金具ができた。
「……溶接機いらねえのか」
代わりに、ひどく腹が減った。
《魔力編集 物質量と理解度に応じて消費》
《生命の生成 不可》
《失われた人格の復元 不可》
最後の二行だけ、やけに冷たかった。
荷車を直すと、ドワーフは俺の角ではなく金具を見た。
「お前さん、職人か」
「何でも屋だよ」
「ガルドだ。命の貸しは忘れん」
老人は汚れた手で名乗った。俺も手を出しかけ、さっき砕いた石を思い出して引っ込めた。
「握手は練習中だ。また今度な」
街へ向かうガルドの荷車を見送り、俺は空中の文字をもう一度見た。
この表示には見覚えがある。
昔、夜中に遊んでいたゲーム。サービス終了を惜しんだ、あの画面。
『エルディア・クロニクル』。
ただしゲームのドワーフは、痛む足をこらえて礼を言ったりしない。
俺の指には、老人の血の温度が残っていた。
第二章 パンを半分にする少女
街の門で止められた。
「魔族の入市には保証人が必要だ」
「働き口を探しに来たんだが」
「保証人を探せ」
「中で?」
「そうだ」
「中には?」
「保証人が必要だ」
見事な循環だった。役所仕事まで異世界に来なくていい。
門番は若かった。俺の角を見る目がこわばっている。命令を守っているだけかもしれない。
殴って入るのは簡単だ。そのあと、魔族を見たら逃げろと教える理由が一つ増える。
俺は引き返し、城壁の外の廃教会で雨を避けた。
そこへ少女が落ちてきた。
正確には、窓から入ろうとして引っかかり、頭から転がり落ちた。
「……生きてるか」
「はい。よくあることなので」
「よくあっていい落ち方じゃねえ」
十五歳くらい。蜂蜜色の髪を赤い布で結び、袖口を何度も縫った服を着ている。手には小さな布包み。
少女は俺を見て、角を見て、それから包みを見た。
「お腹、すいてます?」
硬いパンが一つ入っていた。
「いや、お前が食え」
「二人なら、二人とも少しすきますけど、一人だけすごくすくよりいいです」
理屈の形が妙だった。
でも、パンを割る手にはためらいがなかった。
「俺が怖くねえのか」
「まだ、何もされてませんから」
門番よりよほど筋が通っている。
俺は小さいほうを取った。少女は見抜いて、大きいほうから一口ちぎってこちらへ置いた。
「ヒカリです。あ、名前です。明るさの話じゃなくて」
「分かる。ディアだ」
「お名前、かっこいいですね」
「本名はケンゾウなんだが」
「ケンゾウさんも、丈夫な建物みたいで素敵です」
「初めて言われたわ」
ヒカリは教会の裏で、行き場のない子供たちと暮らしていた。
正式な孤児院は、昨年の魔族襲撃で焼けたという。
彼女だけがその夜を生き残り、いまは市場で野菜くずをもらい、洗濯を手伝って食費を作る。町の中へ入れるが、住む場所はない。
「あの襲撃、どっちから来た?」
「東です。川の向こうから」
ゲームの地図なら、魔族領は西にある。
東にあるのは王国軍の砦だ。
「顔は見たか」
ヒカリはパンを握ったまま、黙った。
雨音がしばらく続いた。
「黒い鎧でした。角も、ありました。でも……」
「無理して話すな」
「靴の音が、衛兵さんと同じだったんです」
鐘が鳴った。
ヒカリの肩が震えた。
こちらから問い続けるのをやめた。
やがて教会の奥から、狐の耳の男の子が出てきた。後ろに人間の姉妹と、幼いエルフ。四人とも、ヒカリの背に隠れた。
「このおじさんは、パンを小さく取る人だから大丈夫」
「判断基準が雑すぎる」
俺が言うと、狐の子が吹き出した。
雨漏りが、ちょうどその子の頭に落ちた。
俺は屋根を見上げた。梁が腐り、壁の亀裂が祭壇へ伸びている。
明日のことを考える前に、今夜崩れる。
「ヒカリ。木材が手に入る場所、分かるか」
「市場の裏なら。使えない板が」
「使えるかどうかは、俺が決める」
強い魔族に転生した最初の晩。
俺は世界征服ではなく、雨どいを直した。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
『ルンブリス』は、単なる異世界転生の冒険譚ではなく、正義とは何か、悪とは何か、そして本当に守るべきものは何なのかを描いていく物語です。
個性豊かな仲間たちとの出会い、笑いや葛藤、そして少しずつ明かされる世界の秘密。
ディアとヒカリの旅は、まだ始まったばかりです。
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これからも『ルンブリス』をよろしくお願いいたします。




