3.結婚したはいいものの (地図あり)
熹平1年(172年)3月 揚州 呉郡 冨春
親戚の反対にもかかわらず、俺は呉雨桐を嫁にもらうことが決まった。
そしてなんやかやと雑事を片づけると、彼女との新婚生活が富春で始まったのだ。
ちなみに家は、空き家を借りた。
ちょっと高級な家だが、呉家の支援はあるし、俺も稼いでいるから、なんとかなると思っている。
逆に呉家のお嬢さまを、孫家のあばら家に住ませるわけにもいかないからな。
それにしても、結婚ていいわ~。
俺って前世では独身だったけど、こんなにいいものだとは知らなかった。
まあそれも、美人で気の利く嫁さんあってのものなんだけどね~。
何しろ呉雨桐は、名家のお嬢さまにもかかわらず、気取らず俺に尽くしてくれる。
まるでそれが当然というように俺を立てて、いろいろと気遣ってくれるんだな。
それでいてめったにないくらい美人で、スタイルもいいんだから、文句のつけようがない。
俺がただのソンケンだったら、メロメロでしばらく使い物にならなかったかもしれないな。
しかし俺の前世は、アラフォーのナイスミドルだった。
わりと大手のメーカーで、係長を務めてたからな。
そりゃあ17歳の小僧っ子とは、心の余裕が違うよ、余裕が。
前世の名前?
忘れたな、そんなものは。
ていうか、なぜか思い出せない。
一般的な知識は覚えてるのにな。
転生した影響で、ロックみたいなのが掛かってるのかもしれない。
いずれにしろそんな俺と呉雨桐の新婚生活は、順風満帆だった。
私生活が充実した俺は、バリバリと県尉の仕事をこなした。
東に海賊が出たと聞けば、ダダダッと駆けつけて殺して回り、西に山賊が出たと聞けば、やはり突撃して殺す。
いや~、この時代、盗賊の類が多すぎ。
そういえば中国って、土地の縛りがゆるいもんだから、わりと簡単に人が流動化するって聞いたことがある。
日本なんかだとガチガチに集落ごとに区別して、よそ者なんか入れないし、出させないのにな。
しかし中国ではあまり土地に縛られないのか、わりと簡単に人は出ていくし、逆に入ってもくるんだとか。
その過程で盗賊になってても、まったく不思議じゃないね。
おかげで俺の仕事は絶えることがなく、年中暇なしだ。
なんてバイオレンスな中華味~。
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熹平1年(172年)11月 揚州 呉郡 冨春
ハロー、エブリバディ。
孫堅クンだよ。
俺が仕事で忙しくしてたら、お隣の会稽郡で、反乱が発生した。
なんか宗教家の許昌ってヤツが、陽明皇帝を自称して、反乱を起こしたのだ。
許昌は句章県の住民をあおり、数万の賊軍を組織したという。
それに対し、揚州刺史の臧旻と丹陽太守の陳夤が、軍を編成して討伐に向かった。
一応、官軍は賊軍に打ち勝つも、完全に鎮圧とまではいかなかった。
それどころか翌年には会稽太守の尹端が、賊軍に敗北する始末だ。
その後も状況は一向に改善せず、とうとう俺のところにも出番が回ってきた。
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熹平3年(174年)1月 揚州 呉郡 呉
「貴殿を郡司馬に任ずる。ただちに軍を編成し、会稽郡の賊軍討伐に参加するように」
「はっ、承りました」
相も変わらず官軍が苦戦してるので、呉郡からも援軍を出そうという話になった。
しかし刺史(州長官)の軍ですら苦戦するような戦場に、進んで行きたがる者など普通はいない。
おかげで若くして賊軍討伐の成果を出しつづけている俺に、お鉢が回ってきた。
ふいに呉郡太守に呼び出されて、司馬に任命されたのだ。
司馬ってのは兵を預かる官職で、この場合は郡の指揮官だな。
だけど根回しとか、一切なかったんだぜ。
めっちゃブラック。
勘弁してくれってえの。
しかしここで断ってしまうと、俺のキャリアは終わってしまう。
いや、下手すると命すらも……
なので俺は持てる人脈をフルに使い、銭唐や富春で兵を集めた。
そして呉家のツテも頼ったおかげで、なんと千人もの兵士を集めることに成功する。
こいつらに最低限の訓練を施すと、俺は会稽へ向かうこととなる。
「あなた、気をつけて」
「ああ、必ず生きて戻るから、安心して待っていてくれ」
「はい、ご武運を」
涙ながらの嫁さんの見送りを受けながら、俺は出発したのだ。
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熹平3年(174年)3月中旬 揚州 会稽郡 山陰
「呉郡司馬の、孫堅と申します」
「うむ、ご苦労。儂が揚州刺史の臧旻だ。こちらが丹陽太守の陳夤で、彼が会稽太守の尹端だ」
「はっ、お目に掛かれて光栄であります」
「ホホッ、見た目よりもしっかりしておるな。いくつだ?」
「20歳です」
「ほう、若いのう……」
俺は会稽郡の山陰にて、官軍の指揮官たちと対面した。
しかし40歳前後の彼らの中で、俺は明らかに浮いている。
ちくしょう、呉郡の太守め。
俺だけ戦場に放りこみやがって。
その場違いな雰囲気にいたたまれなさを感じていると、いくらか若い男性が俺をフォローしてくれた。
「聞けば孫堅どのは、呉郡で多くの賊を討伐しているとか。必ずや力になってくれましょう。ああ、私は会稽で主簿を務めている、朱儁だ。よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
なんと、後の黄巾討伐で大活躍する予定の、朱儁が現れた。
そういえば、この縁で俺も黄巾討伐に誘われるんだよな。
その後、敵の状況と今後の予定を一方的に説明すると、会議はお開きとなった。
へいへい、下っ端は何も言わず、おとなしくついてこいってことね。
これならそう、危険でもないかな~。
この時はそう思っていた。
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熹平3年(174年)3月下旬 揚州 会稽郡 上虞
しかしその期待はもろくも崩れ去った。
敵の本拠地の手前にある上虞の攻略が、翌週から始まったのだが、俺たちはいきなり最前線へ放りこまれたのだ。
「おいい~っ、なんで俺たちがこんな重要なとこ、任されてんだよ~!」
「知りませんよ。孫堅さんが受けてきたんでしょう?」
「なんか口答えできる雰囲気じゃ、なかったんだよ~!」
俺の嘆きに応えているのは、我が義弟の呉景である。
最初、渋っていた彼を、なんとか口車に乗せ、ゲフンゲフン。
うまく説得して連れてきたのだ。
「でもなんとかなってるじゃない。さすが兄さん、強いんだね~」
そう言って俺の横で矛を振りまわしてるのは、実弟の孫静だ。
彼はわりと簡単に、ついてきてくれた。
ちなみに呉景が16歳で、孫静は15歳とめっちゃ若い。
しかも数えだから、現代なら中学生なんだよな。
しかし信頼できる部下のいない俺は、彼らを連れてこざるを得なかった。
2人とも後にまともな武将になるのは分かってるので、それほど心配してないってのもある。
実際のところ、戦況はそれほど悪くなかった。
俺が先頭に立って剣を振ってるおかげで、決して力負けはしていないからだ。
そして呉景や孫静が奮戦してるのを見て、呉軍の兵士も発奮している。
そりゃあ、20歳そこそこの若造と、子供たちが善戦してるのに、大人が弱音は吐きにくいよな。
幸いにも敵兵は、素人に毛が生えたようなヤツが多かった。
なんでこんなのにてこずってるのか、不思議でしょうがないくらいだ。
いや、実力も分からないような若造を、いきなり最前線に放りこむような指揮官だからか。
こいつはちょっと、やり方を考えにゃならんね。




