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【旧作】それゆけ、孫堅クン! ~ちょい悪オヤジの三国志改変譚~  作者: 青雲あゆむ
第2章 後漢動揺編

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23.孫堅、荊州牧になる (地図あり)

初平元年(190年)5月 司隷しれい 河南尹かなんいん 洛陽らくよう


 潁川郡と河内郡の反乱軍が打倒され、さらに陳留郡にも董卓の軍勢が差し向けられると、そこにいる反乱軍は動揺した。

 官軍の指揮を取っていたのは、徐栄じょえい胡軫こしんである。

 数的に劣勢だった彼らは、正面からぶつからずに、兵士たちに降伏勧告を叫ばせた。


相国閣下しょうこくかっかを討てという公文書は、橋瑁きょうぼうの偽造だ! お前たちはだまされているんだ!」

「今、降伏すれば、免官だけで済むぞ! 兵士どもも罪には問わない!」


 なんて感じである。

 そしてその効果はてきめんだった。

 なにしろ公文書を偽造した橋瑁が、ここにはいる。

 たちまちのうちに連合は仲間割れを起こし、浮足だったところへ徐栄たちが攻め寄せた。


 大混乱に陥った敵は右往左往し、さして抵抗もできずに逃げ散ったらしい。

 そして乱戦の中で橋瑁は討ちとられ、その他の群雄はなんとか逃げおおせたとか。

 いずれにしろ、10万を超えるといわれた反董卓連合軍は、ここに瓦解したのだった。



「孫堅よ。貴殿を荊州牧、後将軍こうしょうぐんに任命する。さらにその功績を讃え、呉侯にほうずるものとする」

「ははぁ、謹んでお受けいたします」


 かくして俺はお役目御免となり、新たな官職を授かると共に、列侯の領地もグレードアップした。

 荊州牧は希望どおりとして、後将軍も拝命したのには驚いた。

 将軍職ってのは本来、一時的な任命なんだが、後漢末期は反乱ばかりだったので、常設的な扱いになってる。

 最近まで後将軍だった袁術を、俺が討伐したので、それを引き継げって意味もあるのだろう。


 それから州牧とは州の長官に当たる官職だが、それまでの刺史ししよりも権力が強化されている。

 刺史が州内の監察官にしか過ぎなかったのに対し、州牧は兵権も持ち、強力に州内を統率できるようになったのだ。

 これは188年に宗室の劉焉りゅうえんが上奏し、一部の州において実現した。

 (前漢には州牧が存在したので、復活したというのが正しい)


 ちなみに州牧の報酬は2千石と、実は太守と変わらないのだが、その影響力は格段に大きい。

 呉侯に封じられたのもあって、その権威は大きく増したといっていいだろう。

 やったね、堅ちゃん、大出世だ!


 いずれにしろ、これらの官職を根拠にして、俺は荊州の改革を進めるつもりだ。

 それは長沙でやっていたことを、州全体に広げることに他ならない。

 いろいろと抵抗は予想されるが、俺はやる気になっていた。


「おめでとう、孫堅くん。大出世だね」

「いえいえ、朱儁しゅしゅんさんには敵いませんよ」


 朱儁はすでに太僕たいぼくの官職を正式に受け、董卓一党と名士層の間を取り持つようになっていた。

 ここまで来るには、俺もけっこう汗をかいたものだ。

 双方の意見を聞き取り、どうすれば協力しあえるのかをすり合わせ、互いに納得させたんだからな。

 その結果、それに協力してくれた周忠しゅうちゅうを太尉に、朱儁を太僕にすえて、バランスを取った形だ。


 ちなみにそれまで太僕だった王允おういんは、周忠の代わりに大司農になっている。

 王允といえば、董卓の暗殺を企むような謀臣だ。

 俺はそれとなく董卓に、彼には注意するよう言っておいた。


 ついでに呂布についても注意したかったのだが、その機会は得られていない。

 常に董卓のそばにいるからな、あいつ。

 妻の浮気を心配する、ヤキモチ夫かって~の。

 何もなければいいんだが……


 そんな懸念を残しながらも、俺はようやく荊州へと帰還した。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


初平元年(190年)6月 荊州けいしゅう 南郡なんぐん 襄陽じょうよう


「朝廷より荊州牧に任じられた、孫堅だ。今後はこの襄陽を荊州の都とし、政治を行っていく。諸君には存分に力を振るってもらい、この荊州を盛り立てて欲しい」

「「「ははぁ」」」


 俺は州牧への就任と同時に、州都を武陵郡の漢寿かんじゅから、南郡の襄陽へと変更した。

 これは史実で王叡おうえいの後に赴任した、劉表もやっていることだ。

 なにしろ襄陽といえば、華北と華南の結節点ともいえる要地である。


 この辺は人口も多いし、洛陽に近くて経済も物流も盛んなので、その波及効果は大きいのだ。

 その分、荊州南部への目配りがおろそかになる恐れはあるが、そっちには俺の地盤の長沙があるので、さほど心配していない。

 そして多くの文官や武官を集め、俺は演説をぶった。


 みんな、俺がこれから何をやるのか、戦々恐々といった感じで、まずは頭を下げている。

 こいつらを上手いこと、使っていかないとな。

 そして俺は州牧に就任するに当たって、新たな人材も招聘しょうへいしていた。


「はじめまして、孫堅さま。蒯良かいりょう 子柔しじゅうと申します」

蒯越かいえつ 異度いどにございます」

蔡瑁さいぼう 徳珪とくけいと申します」


 彼らは史実で、劉表の荊州牧就任に協力した3名だ。

 年齢はそれぞれ36、32、29歳だが、劉表が就任時に招いているだけあって、知名度は高い。

 俺も彼らは荊州の統治に役立つと思い、早々に招聘していた。

 その風貌は、蒯良と蒯越はいかにも切れそうな文官であり、蔡瑁は品の良い武官といった感じだ。


黄忠こうちゅう 漢升かんしょうです。お召しにより参上いたしました」

韓嵩かんすう 徳高とくこうと申します。私のような者にお声を掛けていただき、恐縮です」


 そしてこちらは黄忠と韓嵩だ。

 彼らも史実で劉表に仕えているが、この頃の知名度はまだ低かったのか、遅れて仕官している。

 ただし南陽郡の出身なのは分かってたので、人をやって探し出した。


 年齢はそれぞれ43歳と37歳である。

 黄忠は筋肉ムキムキの偉丈夫であり、韓嵩はおとなしそうな顔をしながらも、芯の強そうな文官て感じだ。

 彼らも蒯良たちに劣らず、役立ってくれると期待している。


 そしてさらにもう1人、待ち望んでいた人物がいた。


「お久しぶりですな、孫堅さま。ようやく一緒に仕事ができること、嬉しく思いますぞ」

「俺もだよ、張昭ちょうしょう。よく来てくれたな」


 そう、後に孫呉を代表する重臣となる、張昭だ。

 実は以前から誘っていたのだが、俺が荊州牧として変革に取り組むと聞いて、ようやく仕官してくれたわけだ。

 ぶっちゃけ豪族と交渉できる人材が不足しているので、彼の仕官は渡りに船である。


「皆で力を合わせ、この荊州を変革しようではないか。よろしく頼むぞ」

「「「ははっ」」」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


初平2年(191年)6月 荊州けいしゅう 南郡なんぐん 襄陽じょうよう


 ロングタイムノーシー、エブリバディ。

 孫堅クンだよ。


 荊州牧に就任して早くも1年。

 その間に荊州の統治は、順調に進んでいた。

 まず俺は各郡を回り、太守の働きを監査した。


 そしたら武陵、零陵、桂陽で不正が発覚し、いきなり太守をすげ替えるはめになった。

 特に武陵の曹寅そういんなんか、偽勅で俺を利用しようとした悪党だ。

 不正の証拠が、出るわ出るわ。


 即行で捕縛して、朱治しゅちを太守に任命してやった。

 零陵や桂陽も似たような状況で、こちらは程普ていふ韓当かんとうを太守としている。

 そして南陽郡は、それまで仮に任せていた呉景ごけいを正式な太守とし、長沙は劉先りゅうせんに任せた。


 残る南郡と江夏郡の太守は、まあまあだったので、お目つけ役を付けたうえで、そのままにしている。

 ちなみにこれらの人事は、ちゃ~んと朝廷に上表して、許可を取ってある。

 こうして太守の人事を固めると、俺は州内の汚職・不正の除去に取りかかった。


 この時代、何が問題かっていうと、風紀の緩みによる汚職の蔓延もそうだが、豪族による富の独占も大きい。

 これは地方豪族が農村の土地や人民を支配下に入れてしまう、”兼併けんぺい”という現象のせいだ。

 別に豪族がちゃんと法を守っていれば、これは大して問題にならない。


 しかし権力を握る豪族が、そんなことするはずがない。

 奴らはあの手この手でかき集めた人員と農地を、国の目から隠す。

 すると本来、国庫に入るはずの税金は集まらず、兵役や労役も課せない。


 その結果、辺境の警備やインフラの整備、貧民の救済などがおろそかになり、庶民の状況はさらに悪化する。

 おかげでまともな農民までもが困窮し、農地と人員がさらに豪族に吸収されるという、負の連鎖に陥るわけだな。

 この後漢末期とは、そういう地方の腐敗が積み重なって、王朝が不安定化していたという事情もあるのだ。


 ちなみにこの状況、光武帝こうぶていが後漢を復活させてから加速したらしいな。

 なぜなら光武帝自体が南陽の豪族出身なので、その取り締まりを熱心にしなくなったからだ。

 自業自得といえばそれまでだが、庶民にとっては笑えない話である。


 そして俺はそんな状況を変えたくて、長沙太守の頃から、改革に取り組んできた。

 あの頃は俺もまだ無名だったから、やれることは少なかった。

 しかし荊州牧という地位と、戦に強いという評判を手に入れた今とでは、状況は大きく違う。


 俺は大々的に州内の各県を監査するよう、太守に指示を出した。

 これによって不正が判明すれば、その官吏や豪族に、なんらかの処分をくだす。

 すると当然、豪族による反乱は頻発するが、こちらは無敵の孫堅軍団である。


 勇猛な武将に率いられた、精強な部隊がただちに駆けつけて、反乱を鎮圧してやった。

 だいたい県の数と同じぐらいの豪族が滅んだあたりで、ようやく静かになってきた。

 自分たちではどうやっても勝てないのが、分かったのであろう。

 おかげで上々の成果が挙がっている。


「孫堅さま。今年の税収は、おおいに期待できそうですな」

「ああ、だいぶ調査が進んだからな」

「これも孫堅さまの、ご指導の賜物たまものです。誠に喜ばしい」

「いや、皆もがんばってくれたからだ。今後も頼むぞ」


 そんなやり取りをしているのは、張紘だ。

 最近はめっきり豪族や汚職官吏の抵抗が減ったことから、州内の調査がおおいに進んだ。

 おかげで税収は前年比で5割増しであるにもかかわらず、一般庶民の負担は軽減している。


 この税収の増加を受けて、インフラの整備や、いざという時の備蓄も始めている。

 このまま順調に進めば、荊州はますます繁栄するだろう。

 しかしその一方で、中原はまたきな臭さを増していた。

今回の舞台は荊州 南郡の襄陽。

今後、孫堅はここを根拠地として、力を蓄えることになります。

挿絵(By みてみん)


地図データの提供元は、”もっと知りたい! 三国志”さま。

 https://three-kingdoms.net/

ありがとうございます。

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本作の改訂版を始めました。

それゆけ、孫堅クン! 改 ~ちょい悪オヤジの三国志改変譚~

しっかり校正して、ストーリーも一部変更予定です。

劉備ファンの方は、こちらもどうぞ。

逆行の劉備 ~徐州からやりなおす季漢帝国~

白帝城で果てた劉備が蘇り、新たな歴史を作るお話です。

― 新着の感想 ―
[一言] 前作から飛んで一気読みさせていただきました 三国志孫呉の始まりの漢がどこまで行くのか楽しみっす
[一言] 孫堅は荊州の開発をして群雄時代に備える感じですか。 蔡瑁を抑えたのは大きいですね。荊州の豪族でもトップクラスですし、のちに諸葛亮とのツテとしても使えますからね。 (なお、蔡瑁自身も「自分に…
[気になる点] 王允のやばさ人望のある蔡邕を董卓よりってだけで殺したとこですね。wikiみても正史みても演義見てもどう考えたって理由が客観的に見て厳しいし嫉妬心ムクムクッって感じにしか読み取れないです…
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