19.袁術の撃退
初平元年(190年)2月中旬 荊州 南陽郡 魯陽
南陽郡は宛県で、反董卓連合に加わろうとしていた張咨を捕まえると、そこを呉景に任せて、俺は魯陽へ向かった。
魯陽は南陽郡の北端に位置する都市で、洛陽にも近いし、すぐ東は豫州の潁川郡だ。
そんなところに、袁家の御曹司である袁術は陣取っていた。
ヤツは董卓に後将軍に任命されたんだが、逆に身の危険を感じて、洛陽を逃げ出していた。
おおかた魯陽の県令が、汝南袁家に恩のある者だったのだろう。
当時の漢朝には、袁家のコネで就職、もしくは転職や昇進をした者が多くいて、その縁で便宜をはかってもらいやすかったのだ。
こうして魯陽に陣取った袁術は、反董卓連合への参加を表明し、兵も挙げた。
史実だと、ここで王叡と張咨をぶっ殺した孫堅が北上してきて、袁術に合流するんだな。
孫堅は反董卓連合に誘われてもいなければ、大した地盤も持ってなかったから、仲間に加えてもらう必要があったのだ。
しかしこの世界での孫堅は、それなりの地盤を築いているし、なにより董卓に味方すると決めている。
なので俺は、早々に敵攻略の算段をはじめる。
「敵の兵力は?」
「は、おそらく5千程度かと」
「ふむ、ほぼ同数か」
俺たちは魯陽の郊外に陣を張ると、情報を集めた。
すると袁術は、約5千ほどの兵を集めているという。
対するこちらも、宛県で兵を増強したので、やはり5千ほどあった。
「敵は警戒しているんだよな?」
「ええ、さすがに宛での騒ぎは伝わっていますから」
「まあ、そりゃ、そうだよな」
「フハハッ、まあ仕方ないですな」
俺が肩をすくめれば、程普がおかしそうに笑う。
なぜなら宛県で張咨を拘束した俺は、混乱が起きないように声明を発表していたからだ。
”張咨は漢王朝へ反逆したので逮捕した。今後の統治は孫堅が引き継ぐ”、みたいな感じである。
そしておそらく張咨と袁術は裏でつながっていたので、俺はバッチリ敵認定されてるのだ。
まあ、それならそれで、やりようはあるので、大して気にもしていないが。
「城攻めの準備をしろ。速攻で落とすぞ」
「「「はっ!」」」
その後、俺は兵を2つに分け、長沙から連れてきた精鋭部隊を自ら率いた。
そしてもう一方を程普に預けると、2方向から攻撃を開始したのだ。
「我が精兵たちよ。袁術ごとき、我らの敵ではない。早々に攻め落とせ!」
「「「おうっ!」」」
黄蓋や韓当、孫静や孫賁、孫河に徐琨といった猛将たちが、それぞれに兵を指揮して、城に攻めかかる。
当然ながら、敵は堅く城門を閉じていて、城壁の上から雨のように矢を放ってきた。
しかし我が軍は一向にひるまず、城壁へ押し寄せる。
俺も少し距離を置きながら、弓矢で援護しながら指揮を執っていた。
やがて城壁に取りついた味方が、ハシゴを壁に立てかけると、それを登りはじめる。
しかし敵の抵抗も激しく、雨のように矢や石、油などが降ってくる。
次々と傷つき、倒れていく味方を見ながら、俺は必死に耐えていた。
しかしその甲斐あって、ようやく城壁上に達する部隊が出はじめたのだ。
俺はその隙を見逃さず、大声で指示を出す。
「あそこだ。全員、俺に続け!」
「「おうっ!」」
俺は10人ばかりの精鋭を引き連れ、敵のほころびに向けて突進した。
そしてハシゴに取りつくと、全力で登りきり、少数で奮戦する味方に加勢したのだ。
「よくやったぞ、お前ら。このまま城門まで進むんだ。我に続けぇ!」
「おお、孫堅さま。皆の者、この戦、勝ったぞ!」
「おおっ、俺たちの勝ちだ~!」
ほとんど瀕死だった城壁上の味方が、にわかに息を吹き返す。
それもそのはずで、俺の参戦によって、バタバタと敵が斬り倒されているからだ。
その強さ、まさに鬼神のごとし。
まるで暴風のように暴れる俺を中心に、味方の数が増え、そのまま城門へと突き進む。
やがて城門の周辺を制圧し、俺たちは門を内から開け放った。
「城門が開いたぞ! 全員、突撃~!」
「「「おお~!」」」
外で指揮を執っていた黄蓋の号令で、全軍が城門に殺到する。
すると袁術の兵は早々に士気が崩壊して、我先に逃げはじめた。
「ば、化けもんだ~! 逃げろ~」
「うわ~、死にたくねえ~」
逃げる敵を追いかける味方と相まって、城内は大混乱に陥った。
俺はともすると暴走しそうなソンケンの意識を押さえこむと、全軍の指揮に戻る。
すると黄蓋が話しかけてきた。
「フウッ、どうやら決着はついたようですな。それにしても孫堅さま、自ら突撃された時は、肝が冷えましたぞ」
「ああ、悪かったな。どうしてもここは、早く落としたかったんだ。それで少々、無理をした。今後は控えるよ」
「約束ですぞ。それでは儂も、兵士を抑えに行きます」
「ああ、やりすぎないようにな」
「お任せあれ」
こうして魯陽の攻城戦は、半日も経たないうちに終結したのだった。
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初平元年(190年)2月下旬 荊州 南陽郡 魯陽
わりと簡単に魯陽を落とした俺たちだったが、あいにくと袁術の身柄は確保できなかった。
あの野郎、いつでも逃げられるように準備していたようで、門が破られた途端に逃げだしたらしいのだ。
おかげで組織的な抵抗もなく、敵兵の多くが逃げるか降伏したのだから、そう悪くない結果ではあった。
敵兵を一掃すると、俺はただちにその旨を洛陽に連絡し、魯陽で領民の慰撫に努めていた。
すると5日ほどで、董卓からの使者が来訪する。
「李傕 稚然だ。孫太守には初めてお目にかかる。今回の袁術撃退について、董卓さまはいたくお喜びだ」
「そうか。それは良かった。ちなみに洛陽の様子は、どのような感じだ?」
「一時は遷都も検討されていたが、今は落ちついてきている。これも貴殿の働きが大きいだろう」
「それは嬉しいな。はるばる来てくれたのだ。まずは一献、いかがかな?」
「これはありがたい。ちょうど喉が乾いていたところだ」
李傕はどっかりと座ると、俺の勧めた酒を飲みはじめる。
彼は40がらみの、いかにも武人然とした男だが、頭は悪くなさそうであった。
董卓の死後は、一時的に権力を握ったほどの男なのだから、それも納得だ。
「それにしても、どうやってこれほどの短期間に、袁術を破ったのだ?」
「うん? まあ、力攻めだな。ここで手間どっていては、いかんと思ってな。ちょっとがんばった」
「ほう、ちなみに敵の兵数は?」
「およそ5千ほどだな。こちらもほぼ同数だったが、まあなんとかなったよ」
「マジか?……」
俺の言葉に、李傕が愕然としている。
まあ、城にこもった同数の敵を、半日足らずで落としたと聞けば、誰でもそうなるだろう。
しかしその代償は大きく、我が軍は500人もの死傷者を出した。
それはほとんど長沙の兵であり、精兵を6分の1も失ったのは痛手である。
俺がなぜ、そんな犠牲を払ってまで力攻めをしたかというと、洛陽を守るためだ。
史実で董卓は、反董卓連合の脅威にブルって、洛陽から長安へと遷都した。
まあ、遷都まではまだいいとして、その後、董卓は洛陽に火を放って逃げてしまうのだ。
この時代の洛陽といえば、政治の中枢であるだけでなく、経済・物流の中心地でもある。
この辺は黄河を渡りやすい地形であり、河北と河南をつなぐ重要な結節点なのだ。
さらに洛陽周辺はわりと洪水も少なく、周辺の都市文化の中心として発展してきた。
もしもそんな都をぶっ壊したら、全土が機能不全に陥るのは明らかである。
史実で董卓はそれをやってしまい、漢帝国は大混乱に陥った。
これによって漢朝の統制はさらに緩んでしまい、群雄割拠の時代に突入することになる。
幸いにもこの世界では、それを阻止することができたようだ。
後はまあ、穏便に事態を収拾したいところだが、はたしてどうなることやら。
そんなことを考えている俺に、李傕が切り出してきた。
「それで孫堅どの。董卓さまが貴殿に会いたがっている。ついては洛陽まで、お越しねがえるかな?」




