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夜闇姫  作者: 里見春子


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18/20

18 ほどけるもの①

 目を覚ますと、目の前にマーリャ様の綺麗なお顔があった。


「……」


 あまりにも近くて、一瞬何が起きているのか分からなかった。

 長い睫毛。少しだけ開いた唇。綺麗な鼻筋が横顔を模って、精巧な人形が寝ているようだ。いつも綺麗にまとめられているミルクティー色の髪が、枕の上にゆるやかに広がっている。

 すう、すう、と規則正しい寝息が私の頬に触れそうなほど近い。


(そうだった……)


 昨晩のことを思い出す。図書室での出来事があって、マーリャ様のお部屋に泊まらせていただいて。それから一緒のベッドに入って、いろいろなお話をした。

 私がフィリップ殿下をお慕いしていること。どうして好きになったのかということ。


『私、エマが幸せになれるように鋭意努力致しますわ!』


 そう、マーリャ様は仰っていた。


「幸せ、か」


 そう考えていたところで、目の前の瞼がゆっくりと持ち上がり、赤い瞳と目が合った。


「あ、おはようございます、マーリャ様」

「……おはようございます、エマ」


 マーリャ様はぱちぱちと瞬きをした。そして、少しだけ視線を下げる。

 いつの間にそうなったのだろう。私の右手とマーリャ様の左手が、布団の中でしっかりと繋がれていた。


「……」


 マーリャ様のお顔がみるみる赤くなっていく。


「こ、これは違いますのよ」

「はい」

「私、昔から寝ている時に何かを抱きしめる癖がございまして」

「はい」

「決してエマを逃がさないよう捕まえていたとか、そういうことではございませんので」

「はい」

「……笑っていません?」

「いいえ」


 少しだけ。本当に少しだけ、笑ってしまったかもしれない。


「もう」


 マーリャ様はぷいと反対側を向いてしまわれた。その仕草が年相応というか、とても可愛らしくて、また少し笑ってしまう。


 昨日は、マーリャ様が急にいなくなって、ウィノナー様に襲われて、とても怖い夜だった。きっとほんの少し何かが違っていたら、誰かが大きな怪我をしていたかもしれない。

 それなのに朝になったらこうして笑っている。それが何だかとても不思議だった。


 そして同時に、このように誰かと朝を過ごしたことが、今まであっただろうかと思った。

 エルルーナの家も、この学園でも、誰かと他愛のないことで笑って目を覚ましたことなんて無かった。


「……エマ?」

「いいえ。何でもありません」


 今、自分がマーリャ様の部屋に泊まっているのは昨晩の騒動があったからだ。だから、こう思ってしまうのは本当は不謹慎かもしれない。でも、許されるとしたら、ほんのただ少しだけ。

 嬉しいと思ってしまう自分を許して欲しかった。


 *


「で、兄様。どうしてこちらにいらっしゃいますの?」


 身支度を済ませて寝室を出ると、居間のソファにラシュナリ殿下が座っていらっしゃった。朝だというのにすっかり服装も整えられている。長い足を組んで資料のようなものをを読んでいる。

 テーブルの上には空になったティーカップと、半分ほど無くなった焼き菓子の皿まである。


「妹が昨晩あんなことになったのに、様子を見に来ない兄がいる?」

「まだ早朝ではありませんの」

「そこは、二人が起きるまで大人しく待たせてもらおうと思っていたよ」


 マーリャ様が呆れたように息を吐いた。私は慌てて頭を下げる。


「ラシュナリ殿下、昨日は本当にありがとうございました」

「いや、それはこちらが言うことだよ。身体は大丈夫?よく眠れたかな?」

「はい。薬湯のお陰か、ほとんど痛みもなくて」


 実際、身体はかなり楽だった。薬湯のおかげもあるし、柔らかな草の香りがした枕のおかげでもあるかもしれない。ここ何年も感じていたじっとりと身体が重い感覚が無い。

 

「それなら良かった」


 と、ラシュナリ殿下は柔らかく笑われた。昨日、図書室で見た険しい表情とは全く違う。

 ただ、頬に残った薄い傷だけが、昨晩のことは夢ではなかったのだと教えてくれている。


「こちらの国で揃えられる薬草で作ったから。もし身体に合うようだったら、自室にも持っていくと良いよ」

「ラシュナリ殿下も薬草に詳しいのですか?」

「多少はね。昔からマーリャがお転婆で怪我が絶えなかったからね。薬湯は欠かせないもので、おかげでよく勉強させてもらったんだ」

「ちょっと、兄様!」


 兄妹の言い争いを眺めていると、やっぱり少し笑ってしまう。それに気がついたラシュナリ殿下がこちらを見た。


「エマ嬢はよく笑うようになったね」

「え」


 思いもよらないことを言われて、頬に手を当てた。私が、よく笑う?


「……そう、でしょうか」

「ええ。私もそう思いますわ」


 マーリャ様まで頷く。自分では全く自覚が無かった。むしろ、ずっと陰気で無表情で一緒にいると空気が暗くなると言われていた自分なのだ。でも、もしそうなのだとしたら、それはきっと。


「……マーリャ様のお陰だと思います」

「あら、私だけですの?」

「え?」

「兄様は?」

「マーリャ」


 ラシュナリ殿下が少し低い声で妹君のお名前を呼ばれた。


 マーリャ様は、やれやれとため息をつきながら続けた。


「……冗談ですわ」


 何の冗談なのかよく分からなかったけれど、ラシュナリ殿下が少し困ったお顔をされていたので、私は深く考えないことにした。


 *


 その日は講義が無かったため、そのまま自室へ戻ることになった。マーリャ様の寮である雨露(あまつゆ)の園から私の部屋まで、わざわざアリラハの護衛の方が送ってくださった。

 

 昨晩のことについては、ラシュナリ殿下、マーリャ様、ウィノナー様と私の四人以外には伏せることにしようと決めていた。攫われたのが他国の王女であることを考慮すると、国家間の問題にもなりかねない。

 図書室の破損については、古い魔法具が暴走したということで処理されるらしい。ウィノナー様のご様子も今朝には普段と変わらず、身体に異常も無いとのことだった。


 ただ、何も解決してはいない。誰かの悪意が働いていることは明確だが、それが誰なのか、なぜなのかということがわからない状態で話だけを広げることは危険だ。

 ウィノナー様を操り、何のためにマーリャ様を襲ったのかも。そして、どうして私の席にわざわざ痕跡を残したのかも全く分からない。

 分からないからこそ、ラシュナリ殿下から、しばらく一人では人気のない場所へ行かないようにと言われた。

 夜間は決して一人で出歩かないこと、何か異変があればすぐに伝えること。それから。


『身体にも何か変わったことがあったら、些細なことでも教えてほしい』


 その言葉だけが、妙に頭の中に残っていた。


「お嬢様!」


 自室に戻るなり、シュゼットが駆け寄ってきた。


「ああ、お嬢様……!アリラハの王太子殿下の使いの方から、王女のお部屋にお泊まりになるとしか聞いていなくて……!」

「心配をかけてごめんなさい。少し色々あって」

「け、怪我などですか?トラブルでしょうか。まさかまたリリー様に」

「大丈夫よ」


 あわあわとシュゼットが慌てている。

 本当のことはシュゼットには言えない。だけど、100%の嘘を吐くのも心苦しくて、私は少し考えた。


「……少しだけ、怖いことがあったの。でもマーリャ様もラシュナリ殿下もご無事だから」


 シュゼットは何か言いたそうにしたけれど、結局、


「左様でございますか……」


 とだけ言った。


「お茶を淹れますね。お嬢様のお好きなものにします」

「ありがとう」


 私は、窓辺のいつもの椅子に座った。

 今日は薄い雲が空を覆っていて、もともと陽の入りづらい場所にある私の部屋は少し薄暗いほどだ。

 でも、私はこういう天気が嫌いではない。むしろ明るすぎる日よりも落ち着く。

 シュゼットがお茶を用意している間、私は机の上に置いていた魔法学の本に手を伸ばした。

 昨日のことを思い出してしまったからだろうか。ぱらぱらとページを捲り、初級闇魔法の項目で手を止める。


『闇を纏え《ダーク》』


 それは、私が使える唯一の魔法。闇属性の初級魔法の中でも特に簡単なものだ。多分、5、6歳程度の子供が最初に覚える魔法だろう。

 視界を遮る、ただそれだけの魔法で、攻撃もできなければ、人を守ることも出来ない。

 昨日だってもし私に防御魔法が使えていれば、ラシュナリ殿下が私を庇って攻撃を受ける必要などなかった。

 マーリャ様に攻撃が向けられた時だって、出来たことは身体で飛び込むことだけ。


(私にも、もう少し魔法が使えたら)


 昨晩のお風呂でも同じことを思った。


「……やっぱり、今日は身体が軽い」


 ふと何かが引っ掛かった。昨日、マーリャ様を助けようとした瞬間、身体を縛っていた何かが、ぷつん、と切れた、確かにそんな感覚がした。もちろん実際に糸が巻き付いていたわけではない。


 でも。


「……試して、みようかしら」


 誰に言うわけでもなく呟いた。

 シュゼットは隣室でお茶の用意をしているし、今は窓も閉まっている。少し魔法を使っても問題はないだろう。

 私は机の上に置かれていた小さな花瓶へ手を伸ばした。窓辺に飾るため、シュゼットが摘んできてくれた小さな白い花が一輪入っている。夜になると花弁を開くお花だ。その花へ手のひらを向ける。


闇を纏え(ダーク)


 途中まではいつもと同じだった。お腹の奥から何かが抜けていくような感覚から始まり、熱が指先へ向かっていく。それから手のひらの先に黒い靄が生まれ、ゆっくりと花を包み込んだ。


「……」


 いつもなら、3つ瞬きをする頃は、生まれた闇が端からぽろぽろと崩れていく。私の魔力ではそれ以上長く保つことができない。そして魔法が消えた後には、暫く動けないほどの重い疲労感が残る。


「……?」


 瞬きをゆっくり3度しても、闇は消えない。靄のように広がる黒い塊は変わらないまま、花瓶を覆っている。


「どう、して……」


 もう一度瞬きをしても、消えない。それどころか。


「……っ」


 私は慌てて手を引いた。黒い靄が徐々に大きくなっていき、花瓶だけを包んでいたはずなのに、机の半分を覆い始めている。


「消えて……!」


 慌てて魔力を止める。すると闇はするすると私の方へ戻ってきた。指先に吸い込まれるようにして消えていく。

 静かな部屋。何事もなかったかのように、白い花だけがそこに残っていた。夜にだけ咲く真っ白な花。その瑞々しい花弁が満開となっていた。


「…………」


 心臓が早く脈打つ。でもそれは疲れによるものではない。普段よりもずっと長く強く魔法を保っていたのに、いつものような疲労感が無い。


(どうして……?)


「お嬢様?」

「っ!」


 ティーセットを持ったシュゼットが入ってきた。慌てて、手元の花を隠すように背中に隠す。


「どうかなさいました?」

「……いいえ」


 咄嗟に答えた。だけど、声が掠れていた。シュゼットが心配そうにこちらを見る。


「本当に?」

「……ええ」


 私は自分の右手を見た。何も変わっていない。頼りない自分の手のままだ。

 しかし、これまでの感覚と全く違う。まだまだ魔法を使うことができる、そんな感覚が確かにあった。


 しかし、その時首の後ろにふわりと何かが触れた気がした。


「……っ」


 思わず振り返る。


「お嬢様?」


 当然そこには誰もいないし、窓も閉まっていて、風など吹いていない。

 なのに、ほんの一瞬。細い何かが一瞬首筋を滑り、どこかへ逃げていったような、そんな感覚がした。



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