第30話
戦の神と呼ばれるテヅカと、賭け将棋師のトモヤの勝負が始まってしまった。
2人の盤の横では、クレールが浅い呼吸をしながら、時間を計っている。
(胃が・・・)
ストレスで胃が痛くなってくる。目眩も感じる。
もう盤は見ずに、時計の針にだけ集中・・・
「さ、30分、です・・・」
ぴく、とテヅカの耳が動いた。顔の表情は動いてはいないが、険しいまま固まっている。トモヤも真剣な顔で、目を細め、口を覆うように手を当て、眉間には深い皺を作っている。
「・・・む」
ゆっくりとテヅカの大きな手が盤の上に伸びてきたが、手を止めた。伸ばした手を戻し、顎に当て、また考え込む。
「ううむ・・・」
トモヤが唸る。伸ばしかけた手の長い爪の先は、どの駒を選ぼうとしていたのか分かったのか・・・
しかし、初めて指す将棋で、トモヤをこれ程に唸らせる者は居ないだろう。何しろ、トモヤは、将棋ではチェスグランドマスターとも引き分ける程の腕なのだ。流石は神。
横で時計を見ているクレールは気が気でない。
マツの言っていた事を思い出す。
神とは、怖ろしい力を持ってはいるが、感情ある生き物という事には変わりはない。
だから、決して怒らせないように・・・国のひとつやふたつ・・・
勝ったらどうなる!? 負けたらどうなる!?
勝ち方、負け方で、この国が・・・
「はは・・・はあ・・・は・・・」
切れ切れの吐息が出る。肺が痛い。喉が乾いて張り付く。
トモヤがクレールに顔を向け、
「クレール殿。如何した」
ん、ん、と咳払いのような音を立て、何とか声を絞り出す。
「い、いいえ! き、ん、んんっ! 緊迫した勝負で、緊張して、しまいまして」
「あ、左様か・・・クレール殿まで緊張する事はあるまいが。時計はしかとお頼み申す」
首を縦に振る。
唾を飲み込もうとしたが、口が乾いて唾が出ない。
後ろでは、マサヒデが目を瞑ったまま、厳しい顔で微動だにしない。
カオルは刀印を組んでいる。
ラディは膝を付き、手を合わせて、声は出していないが、口を動かして祈っている。
ぱちり。
テヅカが駒を置き、得意気な顔で腕を組んでふんぞり返ったが、それも数秒の事。すうっと得意気な表情は消え、また険しい顔に戻り、すぐに前屈みになって、口に手を当ててしまった。
「トモヤ様、15分」
ふわり、ふわり、とテヅカの尾が振られる。
トモヤが駒を取り、静かに置く。
これはトモヤの本気の印。
普段は勢い良く叩き付けるが、本気になるほど、トモヤの将棋は静かになる。
「む」
ぴたりとテヅカの尾が止まった。
す、と手が伸びて、駒を摘んで置く。
読んでいたのか・・・
「ふふ」
テヅカが小さく笑い、今度こそ、と腕を組み、片頬を上げてふんぞり返る。
が、トモヤの次の一手も、すぐに指された。
「む? ・・・むうっ?」
慮外の一手であったか。
テヅカが、がば、とあぐらの両膝に手を置き、盤に顔を近付ける。
「流石、神と呼ばれるお方は違いまするな。古来、初陣ともなれば華々しくも、実の所は、慣れた家臣に任せて勝ちなどという者も多かったと聞きまするが」
「んー・・・」
小さく木の軋むような声が、テヅカの喉から聞こえてくる。
「初陣にしてこの進み方。まさに百戦錬磨の将。烈火の如き猛将と見えれば、石の如き固い守りにも見え、その用兵、千変万化でござりまするな・・・お強い・・・」
その後、トモヤもテヅカも黙り込む。
「じゅ、15・・・分、です」
ぴく、ぴく、と盤の上のテヅカの指が動く。ふらふらと動いてはいない。次の一手は決まってはいるようだが、本当に良いのか? という迷いが見える。
次の一手は。トモヤもクレールも、息を詰めている。
「じゅー・・・10分・・・」
クレールの声で、ぴくぴくしていたテヅカの手が止まった。
「まだ決してはおらぬが、今、我が心に迷いが出た」
つ、とテヅカの指が下り、駒を進める。
「このまま進めておったら、我は負けるな・・・トモヤよ・・・貴様・・・貴様、戦の世であったら、軍師として取り立てておったわ。神官などに据えるものか」
「ん・・・ん・・・」
手駒に手を伸ばし、引っ込めて、また手駒に手を伸ばし、引っ込めて・・・
ちらりと手駒に目をやり、静かに打つ。
「つー・・・すう・・・ふ、ふ・・・」
2人が睨む石の将棋盤が、今にも割れそうな気がする。
これが将棋なのか。
まるで斬り合いが始まろうという空気に近いものがある。
(もう嫌ですうー!)
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「お時間、お時間、切れました・・・1分です・・・」
「ぬう・・・」
はちん、と小さな音を立てて、テヅカの手駒の銀が置かれた。
「ん・・・むう・・・・」
トモヤが唸る。
じりじりと時間が過ぎる。
トモヤの手が伸びかけ、ぴたりと止まる。
「30秒・・・」
「・・・」
すい、とトモヤが駒を進め、テヅカの金をどけて、手駒に並べる。
「む・・・むむ・・・」
テヅカが唸りながら、ちらちらとトモヤの手駒を見て、がりがりと額を掻き、腕を掻き、首に手を当てる。
つつ、と駒が動くと、トモヤが天を仰いだ。
「すうー・・・はっ!」
トモヤが深く息を吸い、一気に吐いた。
「参りました」
ぐ、とトモヤが頭を下げると、
「ああ!」
とテヅカが声を上げ、ごろりと後ろに倒れる。
大きな身体が倒れた勢いで、ふわりと風が上がり、クレールの前髪が揺れた。
これが神の姿なのか?
はあ、とマサヒデ達も息をつく。
「参ったわ・・・人族は育っておるな・・・」
むくっとテヅカが起き上がったと見えた瞬間、テヅカは椅子の横に立っていた。
椅子の裏から派手な剣を取り、トモヤに差し出す。
「これは我の剣である。良い遊びを教えてもらった礼である。ここから出られぬ我には、無用の長物であるから、持ってゆけ」
「ううむ・・・」
トモヤが唸って、頭を下げ、
「それは頂けませぬ」
「不満と申すか。この剣を持てば、トモヤでもフォンを軽く斬れるぞ」
魔王様を軽く斬れる剣!?
ぎょっとして、皆がテヅカの大きな剣を見つめる。
「何、呼ばれたので参っただけでござって、何か欲しくて来たのではございませぬゆえ。神と呼ばれるお方が将棋仲間になり、その上、盤を挟む事も出来申したで、満足でござりまする。何ぞ欲しければ、元から賭け将棋にしておりました」
「はーっはっは! わははは! 欲のない奴だな! 面白い!」
テヅカが剣を放り投げ、がらん、がらん、がらん・・・と大きな音が響く。
「賭け将棋か。では、この剣を賭けてもう一勝負参るか」
「私は、何を差し出せば宜しいのでございましょう」
「そうだな。お前と一緒に来た全員の命だ。安かろう。フォンを斬れば、お前は世界の王だ」
ふ、とマサヒデが小さく笑った。
ぴくりとテヅカの耳が動く。
「マサヒデであったな。何がおかしい」
マサヒデが頭を下げ、
「失礼を致しました。トモヤ。受けるのか?」
「まあさか! そのような賭けはせぬ。分は弁えておるつもりじゃ」
テヅカが呆れたような顔で笑い、
「マサヒデ。答えが分かっておって、覚えず笑ったか」
「は」
「ふっ、ふふふ。そうか。ならば良い。面白い時を過ごせた。礼を言うぞ」
ぱきん! と焚火の枝の音。
「あっ・・・」
ラディの声。
風が顔に当たる。
月明かりが見える。
上を見れば、星が見える。
「戻った・・・」
皆がきょろきょろと周りを見渡す。
座ったままのトモヤが、口を開けてマサヒデを見ている。
トモヤの側に、時計を持ったままのクレールが立っている。
「クレール殿や・・・今、ワシは、神様と将棋を指しておったか?」
「はい・・・」
「マサヒデ、見たか? テヅカ様を見たか?」
「ああ。見た・・・見た。お言葉を頂けた。話した。あれが神様の1人だったのか・・・」
トモヤが立ち上がろうとすると、するっと膝から何かが落ちた。
どすっと落ちた物を拾い上げると、あの金属の大きな硬貨のような物。
「ううむ・・・やっぱり、あの剣はもらっておいたが良かったかのう」
マサヒデが歩いて来て、トモヤの横に立ち、テヅカの丸い金属板を取る。深く彫られた紋様に手を当てて、撫でるように砂を払う。
「いいや。あれは人の手には余る。魔王様を軽く斬れる剣など、誰が扱い切れるものか。魔王様自身も困ってしまうわ。封印されて、眠りにつくのがオチだ。テヅカ様が持っておられても変わらん」
「そうじゃの・・・」
クレールが懐中時計をしまおうと、蓋に手をかけて、あ! と声を上げた。
「む、どうしました?」
「時間・・・時計が、戻ってますよ・・・私達、長く居たのに・・・これ」
クレールが時計を差し出す。とっくに子の刻(0時)を過ぎていたはずだが、時計の針はまだ戌の正刻(21時)を過ぎた所。
「か・・・神様って、どうなってるんでしょう・・・」
「う、ううむ・・・」




