第82話 凶星の名
「なんという言いぐさじゃ」
老婆は、けらけら笑う。
「おぬしはあいかわらず、年長者を敬うということを知らんな」
「おまえがあんな星読みをしたせいだ」
シキの声は低かった。
「おれはカヨウと盟約を結ぶ羽目になった」
シキの声は低く沈む。
老婆は、けろりと言う。
「仕方あるまい」
「ああでも言わねば、ラゴウはダッキの業火に焼き尽くされる運命であった」
「いつまでも根に持つでないわ、器の小さい若造が」
シキが心底嫌そうに表情を歪める。
「てっきり、バテレノア監獄でのたれ死んだかと思っていたが」
「脱獄なんぞわけもない。第一、知っておるか?」
「何を」
「バテレノア監獄と、ここフェルンは、巨大かつ複雑な地下通路でつながっておる」
ラゴウが、目を瞬く。
十八年前。
赤い髪の草原の王女が生まれた月蝕の夜。
星の配置を読み、“凶星が重なる子”と告げたのは、この老婆だった。
古代草原密教に伝わる3大凶星。
羅睺星。
火曜星。
計都星。
“不吉”
“異質”
“破滅”
“境界侵犯”
世界の均衡を乱し、境界を侵し、運命を喰らう星々。
だからラゴウは、生まれてすぐに王位継承者から外され、 “外なる世界とのつなぎ目”として、レザリアへ嫁がされた。
その名すら、 この老婆が与えたものだ。
羅睺――太陽と月を喰らう者。
“世界を壊す女”であり、 “世界を繋ぐ女”。
だが後に、その星読みは“詐称”だったと発覚する。
ラゴウを生かすため、星宿庁の長でありながら、意図的に未来を書き換えたのだ。
その罪で、老婆は草原の監獄へ投獄された。
――ババアめ。
あんな星読みのせいで、他国の男などに奪われる羽目になった。
しかも、本人はドロドロにそいつに溺れているという体たらく。
「忌々しい」
つぶやいたシキに、縫天婆はにたりと笑う。
「ほぉ」
濁った双眸が、興味深げに細まる。
「ずいぶんと、人間らしくなったのぉ・・・長生きもしてみるものじゃ」
「何をしに来た」
シキが低く言う。
「おぬしになど用はないわ」
老婆は鼻を鳴らした。
「ラゴウの顔を見に来たのじゃ」
「どうせ牢をを破ったあとさんざん遊び歩いていたのだろう」
「ふぉっふぉっ。おまえなんぞ自らが好き好んでラゴウに捕らわれているくせに、自由を満喫しているワシに嫉妬するのかえ?」
「殺すぞ」
あながち冗談でもなさそうな声だった。
ラゴウは、ふたりを見比べたまま言葉が出ない。
妙だった。
シキが、明らかにこの老婆を警戒している。
いや。
警戒というより――嫌がっていた。
空気が、刺々しい。
黒衣の下。
封呪布に隠れた顔は見えない。
だが。
肩の筋肉が、わずかに強張っている。
まるで。
昔を知る厄介な相手へ出くわした獣のように。
縫天婆は、そんなシキを見て、愉快そうに笑った。
「なんじゃその顔は」
「昔は、もっと素直で、愛嬌があったぞ」
「黙れ」
一刀両断である。
低い声。
だが。
その声音には、珍しく苛立ちが滲んでいた。
ラゴウは、ふたりを凝視する。
――シキが、ここまで露骨に感情を出す?
しかも、シキのことを「若造」と。
ただ者ではない。
「肩が痛い」
突然、縫天婆が言った。
「え?」
「なにをぐずぐずしておる。足も揉め。腰も痛む。あと茶も飲みたい」
ラゴウの眉間に皺が寄る。
「なんで」
「名づけ婆の老体を労わるのは当然じゃろうが」
「・・・覚えてないぞ」
「薄情者め。赤子のころは、ワシの指を握って泣いておったくせに」
ふぉっふぉっふぉ、と老婆は笑う。
シキが、深くため息を吐いた。
「あいかわらず押しつけがましいババアだな」
「おぬしが世話を焼かぬからじゃ」
「知るか」
「まったく。昔はもっと――」
「しつこい」
「ほれ、その顔じゃ」
縫天婆は、愉快そうに笑う。
それから。
ふいに。
その濁った瞳が、シキをまっすぐ見た。
笑みが消える。
「・・・おまえは、ラゴウを手に入れることもできる」
空気が、静かに止まった。
ラゴウが目を瞬く。
シキは、無言だった。
「本来なら、おぬしらは、ひとつへ還る存在じゃ」
「魂も」
「肉も」
「境界も」
「混ざり合う」
ラゴウの背筋が、ぞくりと粟立つ。
だが。
シキは、笑わなかった。
「だから?」
低い声。
縫天婆は、ゆっくり目を細める。
「・・・それを、せぬ」
「できぬ、ではない」
「せぬのだ」
風が吹いた。
白布が、揺れる。
「そこまで己を捧げた女が、他所の男へ骨抜きとは」
にたにたと、老婆の笑みは深くなる。
「見世物としてはなかなか上等じゃ」
「いいかげん、無駄口をたたくのをやめろ。その口、裂くぞ」
「怖い怖い」
ラゴウが、眉を寄せる。
「・・・何の話をしてるんだ」
「聞く必要のない話だ。おまえは薬湯を煎じろ」
老婆は、かすかに目を細める。
「・・・とはいえ、当代の草原王はダッキのカヨウ。フギの残滓であるおぬしは、草原王との盟約の鎖から逃げることはできぬ」
その瞬間。
シキの指先が、ぴくりと震えた。
黒衣の下。
赤黒い紋様が、首筋から浮かび上がる。
ラゴウの表情が変わる。
「・・・シキ?」
返事はない。
ただ。
立っているだけで、全身が軋む。
「シキ、どうした・・・何か、どこか、痛むのか?」
老婆は、静かに続ける。
「盟約を破った」
「草原王へ刃を向けた」
「ジョカを囲った」
「ゆえに、壊れ始めている」
第82話「凶星の名」でした。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
今回は、ラゴウという名前の由来と、草原側の星読み・神話の一端を書けました。
羅睺は、
“太陽と月を喰らう者”。
世界を壊す者であり、同時に、世界を繋ぐ者でもあります。
そして今回登場した縫天婆。
昔からシキを振り回してきた厄介な老婆です。
基本的に感情を表へ出さないシキが、
ここまで露骨に嫌そうな顔をしている時点で、かなりレアだったりします。
後半では、盟約違反によって壊れ始めているシキの異変も少しずつ見え始めました。
次回以降、フギとジョカ、
そしてシキが抱えてきたものも、少しずつ掘り下げていけたらと思っています。




