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それから4人はテーブルを囲んでささやかなパーティーを開いた。緑の手料理はどれも美味しく、特にケーキは甘党の頼成から「意味が分からないくらい美味い」と妙な絶賛を受けていた。その味付けにはさすがの佐羽も文句のつけようがなかったらしく、素直に美味しいと言って食べる。勿論るうかもありがたくいただいた。緑は終始笑顔でそんな皆の様子を見守っていた。
昼を過ぎたころには料理も皆の胃袋の中に片付き、るうかは昨夜家に帰らなかったこともあるので早々にお暇させてもらうことにする。片付けはこっちでやるから、という緑の言葉に甘えて外に出ると何故か後ろから頼成もついてきた。
「佐羽に蹴り出された」
肩をすくめながらそういう頼成に苦笑を返し、るうかは彼と2人で駅への道を歩く。夢の中の世界よりもよほど見慣れた街並みだが、頼成と並んで歩くとどうしてか新鮮なものに見えた。もうじき夏になる空は青く、風はいささか生温い。高くに見える太陽から降り注ぐ光が辺りの建物に反射し、その輪郭を空の青に滲ませている。足元にできた影は濃く、それが2人分繋がっているように見えるのが少しだけ照れ臭かった。そしてそんなことを考えながら歩くことのできる穏やかな現実を嬉しいと思った。これからもこんな気分を覚えることがあるのかもしれない。あの夢が続く限りは。
2人はつかず離れずの距離を保ちながら地下鉄の入り口までやってきた。頼成は帰宅する前に一度阿也乃の家に戻るというので、ここで別れることになる。るうかは少しの名残惜しさを感じたものの、どうせまた夜になれば会えることを思い出して1人で笑ってしまった。
「何笑ってんの?」
地下へと降りる階段の脇に立って、頼成が苦笑交じりにるうかを見ている。るうかはそんな彼がこうしてここにいることの嬉しさを噛み締めながら答えた。
「また同じ夢で会えるんだな、と思って」
頼成がほんの少し目を見開く。「あんな夢でもいいのか?」と彼はどこか呆れたように尋ねた。確かに理不尽な世界ではある。るうかは勇者として“天敵”と戦う羽目になるし、おまけにその“天敵”は元人間だ。同胞殺しを仕事として、しかもその血を狙われる。随分過酷な夢だと思う。ましてやそれがこれからも毎晩続くと考えると眠れなくなってもおかしくないかもしれない。夜が怖くなっても仕方がないだろう。
しかし、るうかにとってその夢は決して悪いばかりのものではない。
地下鉄の入り口に吸い込まれるように何人かの人々が階段を下りていく。るうかと頼成は通り過ぎる人の邪魔にならないよう脇に寄って少しの間会話を続ける。
「正直あんたには、酷な夢だと思う」
頼成の声は真剣で、わずかに硬かった。それから彼は意を決したようにるうかに向かってこう言う。
「もしあんたが望むなら、こっちのあんたと向こうの……夢のあんたを切り離すこともできるんだぞ」
るうかは驚いて頼成を見た。
「そうしたら、私はあの世界の夢を見なくなるってことですか」
「そう。……夢の中に“るうか”はいるけど、それは“舞場るうか”じゃなくなる。経験や記憶を共有することはなくなる。“あんた”が血を浴びることはなくなるんだ」
頼成は少しだけ早口でそう言った。彼なりに現実のるうかを思って考えた末の提案なのだろう。その気遣いは勿論嬉しかったが、るうかにとっては全く見当外れの気遣いだった。だからるうかは少しだけ怒ったふりで眉を吊り上げる。
「“私”をあんまり見くびらないでください」
るうかはるうかなのだ。たとえ3年前の記憶がなくても、今回貫いた意地を思えばやはりそれは自分だったのだろうと思える程度には。舞場るうかも治癒術師るうかも勇者るうかも、結局は同じなのだろう。
「危険な世界だとは分かっています。死ぬような目に遭うかもしれないと考えれば当然怖いです。でも私、夢の中で言いましたよね? 無理してでもついていきますって。それは現実でも変わりません」
地下へと向かう階段へと吹き込む風がるうかの髪を激しく揺らした。それでもるうかは頼成から目を離さず、頼成もまたるうかの視線を受け止めて一度深く頷いた。
それから彼はるうかに1歩近付くと、彼女の乱れた髪を手櫛でちょいちょいと整える。
「ホントはあんまり無理とかしてほしくないんだけどな」
「舞場るうかは必要ないってことですか」
「そんなこと言ってない。だけど」
頼成の悩みは深いようだ。彼はるうかを危険な目に遭わせたくないのだろう。それは夢の中でのことでもあり、現実に彼女を悩ませることも彼にとってはきっと不本意なのだ。るうかにしてみれば要らない心配なのだが、彼の想いも分からなくはない。
「槍昔さん」
るうかは少しだけ強い声で、そしてできるだけ想いが伝わるようにと念じながら彼の名を呼んだ。頼成は顔を上げてるうかの視線を受け止める。怖くて優しい灰色の瞳はいつだって誠実だ。
「私にはどっちの槍昔さんも必要です。今だって、家に帰らなくちゃならないのが寂しいです。でも同じ夜の夢の中で会えるならまぁいいかって思えるんです。なのに、夢の中の“るうか”にだけいい思いなんてさせたくありません」
るうかは自分の想いを正直に頼成へ伝えた。そしてその最後に彼にも本当の想いを問い掛ける。
「槍昔さんはいいんですか? もし私が夢の中のことを忘れてしまって、現実での接点がなくなっても。舞場るうかには会えなくてもいいんですか」
頼成の眉間にしわが寄る。彼は確かに怒っていた。その怒りがるうかの言い草に対してのものなのか、それとも彼女にここまで言わせた自分自身の不甲斐なさに対してのものなのか、その答えは彼が次に口を開いたときに知れる。
「いいわけ、ないでしょうよ」
ムッとした顔で、彼はるうかの頭の上にぽんと手を置いた。人通りの多い場所でそんなことをされるとさすがにるうかも恥ずかしいのだが、今は黙ってされるがままになっておく。やがて頼成はぽつりとこう言った。
「そこまで言わせた以上……俺も腹をくくりますか」
すうはあ、と頼成は大きく深呼吸。そこまでしないと言えないようなことを言うつもりなのだろうか。頼成は顔の割に優しく真面目で誠実だが、ときにるうかの予想を超えたこともやってのける。勿論年齢でも経験でも、ついでに言えば頭の出来でも何ひとつ彼に敵っていないるうかの予想など超えられて当たり前ではあるのだが、それにしたって時々ぎょっとさせられるのだ。そう、たとえば今朝の病室でのキスのように。そこまで思い出してこっそりと赤くなっているるうかに対して、頼成はゆっくりと頭を垂れて一礼した。
「どうぞこれからもよろしくお願いします」
「えっ」
は? とるうかは頼成を見る。目の前の、ちょうど目の前の高さにまで下げられた頼成の黒い頭を見る。何故ここでそうかしこまられているのかが分からない。かしこまらせるようなことを言った覚えもない。もっと、こう、別のものを期待していた気がする。
ここに佐羽がいればきっとこの妙なところで堅い友人に向かって「違うでしょう頼成!」と叱ってくれただろうに、今は彼がいないことが悔やまれた。そして悔やんでいても仕方がないのでるうかはスッと右の拳を握りしめる。現実のるうかは勇者ではないのでごく普通の女子高生並の腕力しかない。しかし今はそれで充分だ。
「えいっ」
ぐいっ、と目の前の頭の下にあるだろう顎を目掛けて拳を突き入れる。そしてそれをそのまま空へ吹っ飛べとばかりに突き上げた。
「ふがっ!?」
頼成は驚いた声を出したものの、当然のことながらさほど痛そうな様子もなくただただ目を白黒させてるうかを見下ろす。
「えっ、と。その、るうかさん?」
「ツッコミがいないので自分でやりました」
「……ええと」
頼成は明らかに困っている。その頬が赤いのはおそらくるうかの気のせいではないのだろう。なるほど、だからモテないのだなと彼女は彼に対して妙な納得をした。格好をつけたがるくせに肝心なところで決められない、そういう男なのだ、彼は。特に現実での彼は。
地下へ向かって吹く風がまたるうかの髪を揺らす。彼はそんなるうかを見て真剣な瞳で黙りこくっている。いつまでやっているつもりだよ、とるうかとしても若干苛立ちを感じないでもない。しかしおそらく彼女に気を遣って何を言うべきか考えあぐねている彼を見ているとちょっとした幸福感を覚えてしまうのだ。それくらいのことでいいんじゃないですか? とるうかは視線で彼に問う。頼成は少しだけ困ったように笑った。
「じゃあ……今夜からもまた、同じ夜の夢で」
「はい」
頼成が自然な動作で右手を差し出した。るうかもごく自然にそれを握り返す。互いに一度そこに強い力を込めて、離した。
気を付けて帰れよ。そんな頼成の声を背にるうかは地下鉄駅へ向かう階段を下る。足取りは軽く、まるで背中に羽でも生えたように浮かれた心地がする。本当に気を付けて帰らなければまた何かしらの事故に遭ってしまうかもしれない。用心が必要だ。
そして帰ったら両親に突然の外泊を謝り、また来る夜を楽しみに過ごそう。この現実もあの夢も、いつしか覚めない夢のようにるうかの日常を彩っている。それは凄惨な赤であり、いつも自分を守ってくれる藍色でもあった。
夢心地ではいられない夢に、それでも幸福があることを知っている。
必死で足掻いて掴み取ったその価値は言い知れない嬉しさを伴ってるうかの心にある。
だからこれからも彼と、彼らと過ごす同じ夜の夢は覚めない。
END
執筆日2013/11/10