表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妹の身代わりで不遇な辺境侯に嫁がされましたが、外れを引いたのはどうやら向こうだったようです【連載版】  作者: 本城オブリゲータ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/6

第3話 代わりに来た妻へ、辺境侯はちゃんと鍵を渡しました

 翌朝、私は誰に起こされるより先に目を覚ました。



 辺境の朝は寒い。


 けれど寝台から足を下ろした瞬間、昨日ほどの心細さはなかった。

 今日は、保存倉と毛布倉の続きを片づけると決めていたからだ。



 洗面を済ませて部屋を出ると、廊下の窓から朝の薄い光が差していた。


 外ではもう荷車の音がしている。

 この家は本当に、朝が早い。



「おはようございます、奥様」



 サラが、ちょうど私の部屋の前で待っていた。


 昨日より表情が少し柔らかい。

 警戒が消えたというより、距離の測り方を決めた顔だ。



「おはよう、サラ」



 私がそう返すと、彼女は小さく頷いた。



「旦那様より、朝食の前に南倉も見てよいと仰せつかっています」



 私は少しだけ目を瞬いた。


 昨日、保存倉と毛布倉を見ただけで、もう次の倉まで触ってよいことになっているらしい。

 仕事を任せると決めるのが早い人なのだなと、改めて思う。



「では、先に見ましょう」



 サラはすぐに歩き出した。

 こういうところも気持ちがいい。


 王都の屋敷なら、まず「本当に?」「どこまで?」と顔色をうかがわれる。

 この家では、許可が出たら次の瞬間には人が動く。



 南倉は、保存倉より少し小さかった。


 中には燈油、蝋燭、干し草、傷薬の箱、補修用の布、壊れた取っ手や釘まで、細々したものが雑多に押し込まれている。


 一目で分かる。

 これは「足りない」のではなく、「整理する人間がいない」状態だ。



「……なるほど」



 思わずそう漏らすと、サラが横から覗き込んだ。



「ひどいですか」


「ひどいというより、惜しいわ」



 私は答える。



「どこに何があるか分からなくなると、足りているのに足りないように見えるでしょう?」


「はい」



「すると、重ねて買う。

 重ねて買えば、今度は余計に置き方が悪くなる」



 サラの目が少しだけ大きくなる。



「……その通りです」


「よくある話よ」



 王都の実家でも何度も見た。


 足りないのは物ではなく、帳面と置き場所の順番なのに、皆すぐ「買い足そう」と言い出すのだ。

 そういう家は、だいたい同じ場所から崩れる。



 私は南倉の前に立ったまま、必要な札と板の数を頭の中で数えた。


 油。

 補修布。

 釘。

 応急手当箱。

 冬嵐用の予備。

 使用頻度と緊急度を分ければ、かなり見やすくなる。



「これも今日中に片づけます」



 私がそう言うと、サラは一瞬だけ困ったように笑った。



「奥様、昨日も同じことを仰っていました」


「昨日の私が少し楽観的だったみたいね」



 そう返すと、サラが本当に小さく笑う。

 どうやら私は、少しずつこの屋敷の空気に馴染み始めているらしい。



 朝食の席には、アシュレイ様がすでに着いていた。


 私は少し遅れて席につく。

 卓の上には温かい粥、焼いた肉、根菜の酢漬け、黒麦のパン。

 豪華ではないが、無駄がなくて好きな食卓だった。



「南倉はどうだった」



 アシュレイ様が、挨拶の代わりみたいに訊く。



「困るくらいには、整っていませんでした」



 私は答える。



「ですが、崩れているというほどでもありません。札と帳面があれば、たぶん十分戻せます」


「帳面か」


「はい」



 私はパンを一口ちぎる。



「倉庫ごとに書き方が違いますし、記録が残っていないものも多いです。このままでは、冬の途中で何が足りなくて何が余っているのか、誰にも分からなくなります」



 アシュレイ様は少しだけ黙ってから、食卓の端に置いてあった小さな鍵を一つ持ち上げた。


 黒鉄の、飾り気のない鍵だ。

 けれど手入れは行き届いていて、毎日使われていることが分かる。



「持て」



 そう言って、私のほうへ差し出す。



「……これは?」


「南倉の鍵だ」



 私は反射的に手を止めた。


 鍵というのは、ただの道具ではない。

 特に家の中では、それが誰を信用しているかの形になる。



「よろしいのですか」


「困るのだろう」



 昨日と同じ言葉だった。


 でも、今日のそれは少しだけ重みが違った。

 昨日は「好きに見ろ」だった。


 今日は「持て」だ。


 中へ入っていい、ではなく、管理していいという意味になる。



「私、まだ来たばかりです」


「知っている」



 アシュレイ様は短く答える。



「だが、昨日一日で、少なくとも倉の置き方はお前のほうが分かると分かった」



 分かる。

 そう言い切るのだ、この人は。

 私が驚いていると、彼は続ける。



「私は人を見る目に、自信があるほうではない」



 それは少し意外だった。

 辺境侯という立場なら、むしろ人を見るのが上手そうに思えたからだ。



「だが、目の前で動いた結果くらいは分かる」



 灰色の目がまっすぐこちらを見る。



「昨日、お前が倉を触ったあと、すぐに物の流れが軽くなった。なら、持っていたほうがいい」



 私はしばらく、その鍵を見ていた。

 身代わりとして差し出された花嫁へ、こういう形で信頼が渡されるとは思っていなかったからだ。

 言葉よりも早く、手元に置かれる責任。


 それが、思った以上に嬉しかった。



「……ありがとうございます」



 鍵を受け取ると、金属は少し冷たかった。


 でも嫌な冷たさではない。

 使われてきた道具の重みが、そのまま手のひらへ落ちてきた気がした。



「必要なら、人も使え」



 アシュレイ様が言う。



「サラだけでは足りないなら、ハロルドへ言えば出す」



「では、倉庫番から二人お借りしたいです」


「分かった」



 やはり返事が早い。

 しかも、その場で終わる。


 余計な探りも、恩着せがましさもない。

 それが不思議と心地よかった。



 朝食のあと、私はさっそく南倉へ戻った。


 昨日より人手が増えている。

 倉庫番の青年が二人、どこか緊張した顔で立っていた。


 ハロルド老執事も、少し離れた位置からこちらを見ている。

 彼は昨日まで私へ必要最低限しか言葉を向けなかったが、今日は明らかに様子見の顔だった。



「まず、今日は全部を綺麗にする必要はありません」



 私は皆へ向かって言う。



「一番よく使うもの、一番急ぎで要るもの、一番奥へ押し込めてはいけないものだけ先に分けます」



 倉庫番の一人が、おそるおそる手を挙げた。



「奥様、それってどれですか」


「燈油、補修布、釘、手当箱」



 私はすぐに答える。



「冬は、暗くなる・破れる・外れる・怪我をするの順で困るでしょう? ならその順に手前へ」



 二人がなるほど、という顔をした。


 そういう顔を見ると、少しだけ自信が出る。

 私は決して特別賢いわけではない。


 でも、生活の困りごとの順番はよく知っているつもりだった。



 作業は昼過ぎまで続いた。

 燈油は棚の上へ、釘は箱を小分けにして札をつける。


 応急手当箱は倉の入口から二番目の棚へ。

 補修布は厚地と薄地を分け、雪の日用には青い札、普段使いには白い札。


 やっていることは地味だ。

 でも地味なぶんだけ、整うとすぐに効く。



「……見やすい」



 サラが、並べ直した棚を前にぽつりと言った。



「今まで、どこに何があるか、いちいち聞かないと分からなかったのに」


「聞かなくても分かるようにするのが帳面と札の仕事よ」



 私がそう答えると、彼女は少しだけ考えてから言った。



「奥様は、前のお屋敷でもこういうことを?」



 手が止まる。

 でも私は隠さなかった。



「だいたいは」



「じゃあ、おうちでも頼りにされていたんですね」



 その言葉に、少しだけ笑いそうになる。


 頼りにされていたのかもしれない。

 でも、今になって思えば、それは信頼より便利さに近かったのだと思う。



「そうね」



 私は曖昧に答えた。



「たぶん、そんな感じだったわ」



 サラはそれ以上訊かなかった。


 賢い子だ。

 聞かないほうがいいことと、今はまだ聞くべきでないことの違いが分かるらしい。



 午後の遅い時間、ようやく南倉まで片づいたころ、ハロルド老執事が静かに近づいてきた。


 白髪を後ろへきっちり撫でつけた、厳格そうな老人だ。

 ここへ来てからずっと思っていたが、この人はたぶん、屋敷の全部を頭に入れている。


 ただ、全部を自分一人では回しきれないだけなのだ。



「奥様」



 私は振り返る。



「何でしょう」


「帳面もおつけになるのですか」



 問い方は慎重だった。


 反対しているわけではない。

 でも、どこまで本気なのかを測っている声だった。



「そのつもりです」


「倉ごとに?」



「いえ、最初は全体で一冊にまとめます」



 私は答える。



「倉ごとの癖が強いので、まず一度、同じ物差しで並べたほうがいいです。慣れたら分冊にしたほうが見やすくなるでしょうけれど」



 ハロルド老執事は少しだけ目を細めた。

 そして、ごくわずかに頷く。



「……承知しました」



 それだけだった。


 でも、その頷きには明確な重みがあった。

 屋敷を長く回してきた人の納得は、軽い褒め言葉よりずっと嬉しい。



 その日の夕方、部屋へ戻ると机の上に手紙が一通置かれていた。


 母の筆跡だ。

 飾りの多い封蝋まで見慣れている。


 私は少しだけ嫌な予感を覚えながら封を切った。



 中には短い文が並んでいた。



 ()()()()()()()()()()()()()()


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



 私は読み終えてから、しばらくその紙を見ていた。


 辺境で地味な暮らし。

 たしかにそうだろう。


 でも、だから何だというのだろうとも思う。


 少なくとも今日の私は、誰かの代わりに押し込められた地味さではなく、自分の手で整えた倉庫の札を見て満足していたのだから。



 そうしていると、不意に部屋の扉が軽く叩かれた。

 アシュレイ様だった。



「起きているか」


「はい」



 扉を開けると、彼はいつもと同じ無駄のない顔で立っている。


 けれど、その手には新しい帳面が一冊あった。



「これを」



 差し出されたのは、丈夫な革表紙の帳面だった。


 角は補強され、紙質も悪くない。

 倉の記録をつけるにはちょうどよさそうなものだ。



「ハロルドが、奥様が帳面をつけるなら新しいものが要るだろうと」



 私は目を瞬いた。

 あの老執事が、もうそこまで話を進めたのか。



「ありがとうございます」


「礼はハロルドに言え」


「もちろんです」



 帳面を受け取る。


 手に持つと、妙にしっくりくる。

 王都で私が使っていたものより、少し厚くて少し素朴だ。


 でも、今の私にはそのほうが合っている気がした。



「それと」



 アシュレイ様は少しだけ言い淀んだあと、静かに続けた。



「今夜から、夕食後の帳面は応接間でつけるといい」


「応接間で?」


「暖炉がある」



 たしかにその通りだった。


 私の部屋でも仕事はできるけれど、応接間のほうが広いし火も安定している。

 でも、それだけではない気もした。



「一人で抱え込むと、あとで分からなくなることがある」



 彼は私を見ずにそう言った。



「なら、見えるところでやったほうがいい」



 その不器用な気遣いに、私は少しだけ胸が熱くなる。


 役に立つなら使え、というだけではなく、使い潰れないように見ているのだ。

 そういう人なのだと、少しずつ分かってくる。



「……分かりました」



 私は頷いた。



「では、今夜からそうします」



 アシュレイ様はそれ以上何も言わず、短く頷いて去っていった。

 扉が閉まったあと、私は帳面と母の手紙を見比べる。


 片方は、華やかな良縁のお知らせ。

 もう片方は、私のための新しい帳面。



 どちらが当たりだったのかなんて、比べるまでもない気がした。

第4話は明日5/13の19:50投稿予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ