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嘘泣き×大荷物

 初が入れた風呂の湯を目の前にして、俺の思考が止まる。初と新子が入浴を終えたあとのお湯……初の身体が先程浸かっていた風呂だ。


 もちろん抵抗があるというわけではなく、むしろ……と考えてシャワーをお湯ではなく水で頭を流してから湯船の栓を抜く。


 頭を冷やそう。初に好意を受け入れられたからと調子に乗りすぎだ。

 恋心の熱量を冷ますように頭に水を被り続けるが、なかなか腹の中で燃えるような感情が冷えることはない。


 手の感触が気持ちいいとか、風呂の残り湯が気になるとか……そんな気色の悪いことにうつつを抜かしている場合ではない。

 俺が初のためにすべきなのは、そんなことではなく……ひとまずは探索者の資格を得ることだ。


 そう考えていると、脱衣所と廊下の間の扉が開く。


「あ、兄さん、タオル忘れてましたよ。置いておきますね」

「あ、悪い。ありが……ックシュ!」

「大丈夫ですか? その、風邪とか……」

「いや、今ちょっと身体が冷えていて」

「お風呂で……?」


 初は不思議そうな声を上げてから脱衣所から出ていき、あまり初を心配させたくないのでお湯に切り替えて身体を洗っていく。


 明日の試験は一発合格出来たらいいんだが……と思いながら風呂を出てパジャマ姿のふたりのいる寝室に行き、新子と目が合って扉の前で立ち止まる。


「どうしたの? 入らないの?」

「……いや、ベッドは違うとは言っても今日会ったばかりの女性と同じ寝室で寝るのはまずいかと思ってな。あー、俺はソファで寝ます」


 少し子供っぽいモコモコしているが足は短パンのようになって生足の出ているパジャマ姿の新子は首を横に振る。


「いや、試験なんだから今日はちゃんとベッドで寝なよ。私がいると落ち着かないなら私がソファで寝るしさ」

「いや、部屋を借りてる本人を追い出したりは……。というか、俺が嫌というわけではなくて……。新子は女性なわけだし」

「私は気にしないよ? 身体は子供だし、頭はおばあちゃんどころじゃないしね。ヨクくんもそんなに興味ないでしょ?」


 いや……失礼すぎて本人の前で興味があるともないとも言えないだろう。本音としては流石に容姿が幼いと感じるが、落ち着いた様子のせいで女性として見ることに抵抗を感じない。


 もちろん初と違って特別タイプというわけではないが、脚が見えていたら気になる程度はある。


「……まぁ、これから共に暮らすって考えると、あまり気にしない方がいいですよね」

「そうそう。敬語も外していってね」

「善処します」


 端のベッドに寝転び、冷水を浴びて冷めた頭のまま眠ろうとしていると初が俺のベッドに潜り込んでくる。


「お、おい、初、新子さんもいるんだからな」

「……でも、夜は寂しいです」


 初は目元を涙で濡らしていて、思わず抱きしめそうになった瞬間、初の口角が微かに上がる。


「……初、嘘泣きだろ」

「あっ、ば、バレましたか?」

「バレバレだ」


 初は申し訳なさそうにしゅんとした後、俺のベッドから出て行こうとして俺はその身体を抱き止めた。

 あまりの軽さと細さに壊れてしまわないかを不安に感じるが、初は嬉しそうに俺の方に振り返る。


「……嘘泣きでいい。そうしてまで一緒に寝たいならな」

「ん……ごめんなさい。ひとりは、寂しくて」


 初に布団をかけて抱き寄せる。枕がひとつしかなくて狭い。すぐ隣のベッドから取ればいいだけだけど、今この瞬間の初を離したくはなかった。


 水を被って冷やしたはずの頭が、地に着けていたはずの脚が、また熱に浮かされる。


「……明日、俺がいないけど平気か?」

「全部、私のためのことなんですから……ワガママは言えません」

「……全部ってわけじゃない。稼ぎがないから格好つかないって思っているのとか、そういうカッコつけも多分にある」

「かっこつけ……ですか?」


 初は俺の言葉を聞いてクスリと笑う。


「ああ、好かれたいからな」

「そんなことしなくてもカッコいいです。兄さんは、私のヒーローです」


 間に受けるなよ、と思いながらぎゅっと初を抱きしめていると、不意に新子が立ち上がって俺に「……買ってこようか?」と尋ねてくる。

 ……何を?


 そうしている間に眠っていて、目が覚めてから適当に朝食を済ませて、初と別れて電車に乗って試験会場へと向かう。


 向かっている電車の中で、初と二人でいれたメッセージアプリから大量の通知が流れてくる。どうやら俺のことが心配なのか、今どこにいるとか、財布とかの忘れ物はないかとか、そういうことをたくさん聞かれて返信していく。


 電車から降りたところで初に「しばらくは返信出来ない」とメッセージを送って駅の近くのバス停に乗り換えようとしたところで、大荷物を持ったスーツ姿の女性の鞄がバスの扉に引っかかっているのを見かける。


「わ、わわっ!? す、すみません! あ、えと……」


 女性は慌てながら中に入ろうとするが突っかかっていて入れそうになく、バスに並んでいた人達からの視線を受けて余計に慌ててしまう。


 俺は一度、列から離れてバスの扉の前に行き女性に声をかける。


「向き直したら入れそうですから、一旦戻ってください」

「えっ、あ、は、はい」


 扉に引っかかっている鞄の向きを変えて、重そうなそれを支えて中に入れてやる。

 荷物の多い女性は俺に礼を言おうとするが新しく入ってくる人に流されて奥の方にいってしまう。


 俺が元々いた場所は既に列が詰められていて、最後尾に並び直したら行列の長さからして次のバスまで待つことになりそうだ。


 バスも混んでいるし、試験会場までそこまで遠くもないし歩いて行こうと決める。

 それからスマホの地図アプリを頼りに向かっていると、俺の前を走っていた先程のバスがひとつ先のバス停に止まり、それから大荷物の女性がよろめきながら出てくる。


「あっ、さ、さっきの人! ありがとうございました」


 バス停一つの距離で降りてきた女性はヨタヨタと俺の方に向かってきて勢いよく頭を下げる。


「あ、さ、すみません。その、さっきお礼言えなかったので……」

「……いや、それはいいんですけど……ここで降りてよかったんですか?」


 女性は俺の言葉を聞いて「あっ」と声を上げる。

 ……いや、お礼を言いたいというのは良いことだと思うけど……もう少しこう……あるだろう、なんか。


 落ち込んでいる女性を見てため息を吐いてから口を開く。


「あー、同じバスに乗ろうとしていたってことは行き先の方向はだいたい一緒ですよね。途中までになりますけど、荷物持ちましょうか?」

「えっ、い、いえ、それは悪いので……」


 そう言いながら女性は歩いて向かおうとするが、鞄の重さでフラフラとよろめいて転けそうになり、それを手で支える。


「わ、わわっ、すみ、すみませっ!」

「……どこが目的地ですか? やっぱり鞄持ちますよ」


 スーツ姿の女性から鞄を取って背負うと、女性は俺にぺこぺこと頭を下げる。


「あ、えっと、そ、その、ありがとうございます。えっと、ここです」


 女性がスマホの地図を俺に見せる。そこの目的地に設定されていたのは、俺の目的地でもある探索者の試験会場だった。

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