Ethics collapse 8
誰かの悲鳴が聞こえた気がした僕は、ゆっくりと目を開けた。
どれくらい気を失っていたのかは分からないが、恐らく数分程度ではないかと思われた。
床に落ちていた鞄からハンカチを取り出し首の傷を押さえた僕は立ち上がり、周囲に視線を向ける。
すぐ隣に血だまりが見えたが、そこにはあかねの遺体はなかった。
図書室には仁田の姿もなく、代わりに耳を劈くような音で校内放送が鳴り響いた。
『ぜ、全校生徒及び職員に連絡します……! 校内に不審者が侵入し、教師を含めた四名の負傷者が出ております……! 不審者は凶器を所持しているとのことですので、まだ校内に残っている生徒は至急身の安全を確――ひっ!? 村田先生、やめてください! どうしてそんなことを……ひいいぃぃ!!』
校内放送を通じ悲鳴が校舎中に鳴り響いた。
あの声は恐らく音楽教師の大隈だろう。
四名の負傷者のうちに国語教師の村田が入っているかは分からないが、入っていると計算してもこれで負傷者は五名。
つまり――『ゾンビ・パウダー』による感染者が五名ということになる。
僕は手を開き、まともに指が動くか確かめてみた。
大丈夫。気を失う前とは違い、しっかりと感覚は戻っている。
仁田に首をかみ切られた直後に襲った強烈な眩暈も収まっていた。
あの錠剤――一粒だけ封筒に入っていたものは、『抗体』と英字で書かれていた。
つまり、僕はあの薬のおかげで感染せずに済んだと考えるべきだろう。
――本当だったのだ。
この小瓶に入っているものは、本物の『ゾンビ・パウダー』なのだ。
あの時、咄嗟に仁田の顔にぶちまけた粉が奴の体内に入り、そして奴はゾンビと化した。
僕と同じく襲われたあかねは、恐らくすでにゾンビとなって校内を徘徊しているのだろう。
「…………はぁ」
深く息を吸い、そしてゆっくりと吐く。
仁田に襲われた時はショックで足が動かなかったが、今はだいぶ落ち着いている。
今の、この学園の現状を作りだしたのは僕だというのに、罪悪感を感じることも後悔の念を抱くことも無かった。
それどころか、今までの人生で体験したことがない新鮮な気持ちが僕の心を支配している。
無関心、無頓着――。
何事にも興味が湧かず、ただ傍観者でいるだけの人生――。
生きているという感じがしない、生ぬるい日常は僕にとっては地獄の日々だった。
――そんな日々は、もう終わりを告げた。
鞄を拾い上げ、僕は図書室の扉を開く。
そして血の線が延々と続く廊下をまっすぐに歩いていった。
次章『脳内支配のスプレイドディジーズ』、2018/07/20 22時より更新開始です。
宜しくお願い致します。