第五話 邂逅
崩れた広場に静けさが戻る。さっきまでそこにあった気配は消え、残っているのは瓦礫と、舞い続ける灰だけだった。
カイルは黒い剣を握ったまま立っている。
さっきの一撃。速さも、踏み込みも、すべてが今までの自分とは違っていた。腹の奥に残る熱が、その違和感をはっきりと伝えてくる。刻まれた紋様が、まだそこにあると主張していた。
剣を見る。
黒い刃の奥で、かすかな光が脈打っている。
「……おい」
小さく呟く。
返事はない。
だが、何かが確実に変わっている。それだけは分かる。
そのときだった。
「……そこで何をしている」
背後から声がした。
カイルの目がわずかに細くなる。ゆっくりと振り返る。
瓦礫の向こうに、一人の女が立っていた。
銀の鎧。灰に覆われた世界の中でも、その輪郭ははっきりとしている。無駄のない立ち姿。迷いのない視線が、まっすぐカイルを捉えていた。
その姿を見た瞬間、意識の奥で何かが引っかかった。
――見たことがある。
薄暗い店内。酒の匂い。ざわつく空気。騒ぎを起こした男の前に、静かに立つ女。鞘に収めたままの剣を向けるだけで、場を収めたあの光景。
一瞬で終わる記憶。
カイルは何も言わない。
思い出したところで、意味はない。
女はゆっくりと歩いてくる。灰を踏む音が、静かな広場に規則正しく響く。
数歩の距離で止まり、カイルを上から下まで一度見た。
「怪我はないか」
短く、落ち着いた声だった。
カイルは答えない。
沈黙が落ちる。
女は気にした様子もなく、小さく息を吐いた。
「……まあいい」
視線を横へ向ける。
崩れた灰の跡。戦闘の名残。それを確認してから、再びカイルへと戻す。
「今の魔物、お前がやったのか」
確認するような口調だった。
カイルは肩をわずかにすくめる。
「さあな」
短く返す。
女の眉がわずかに動いた。
「とぼける必要はないだろう」
声に圧はあるが、無理に詰める感じではない。ただ事実を拾いに来ている。
女は一歩近づいた。
その視線が、カイルの持つ黒い剣に落ちる。
ほんの一瞬、動きが止まる。
「……その剣」
小さく呟く。
だが、すぐに視線を戻した。
「いや、いい。今はそれより――」
言葉を切る。
改めてカイルを見据える。
「この辺りは、さっきまで上位個体が暴れていたはずだ」
静かな声。
「それが消えている。代わりに、お前がいる」
一拍置く。
「偶然にしては出来すぎているな」
カイルは何も言わない。
視線を外す。
女はその反応を見て、小さく息を吐いた。
「黙るか」
呆れというより、納得に近い響きだった。
「まあいい。話したくない事情くらいあるだろう」
それ以上は踏み込まない。
だが、完全に引くわけでもない。
女はわずかに顎を上げた。
「名は?」
短い問い。
カイルは少し間を置いてから口を開いた。
「……カイル」
それだけ答える。
女は一度頷いた。
「カイルか」
そのまま続ける。
「私はリーナ。王都騎士団所属だ」
名乗りは簡潔だった。
だが、その声には迷いがない。自分の立場に対する確かな自覚がある。
リーナは腕を組む。
「この状況で一人、か」
カイルを見る目が少し鋭くなる。
「普通の流れ者には見えないな」
カイルは沈黙を保つ。
灰が静かに二人の間を流れる。
やがてリーナが息を吐いた。
「……まあいいだろう」
視線を外す。
「詮索は後だ」
そう言って背を向ける。
数歩歩き、足を止めた。
振り返る。
「ここは安全じゃない。さっきの個体も、どこへ消えたか分からないからな」
カイルを見る。
「ついてくるか、それとも一人で残るか」
選択を投げるような言い方だった。
命令ではない。
だが、放っておくつもりもない。
カイルは少しだけ空を見上げる。
灰が降っている。
それからリーナを見る。
「……勝手にしろ」
短く言う。
リーナは小さく鼻で笑った。
「そうか」
それだけ言って歩き出す。
迷いのない足取り。
カイルは数秒だけその場に立っていた。
腹の奥が、わずかに疼く。
黒い剣を握り直す。
それから、ゆっくりと歩き出した。
彼女の背中を追うように。
瓦礫の間を抜ける。崩れた建物の影を縫うように進みながら、二人は言葉を交わさないまま歩き続けた。
しばらくして、リーナが口を開く。
「さっきの動き、ただの人間じゃないな」
振り返らずに言う。
カイルは答えない。
「誤魔化す気か」
少しだけ間が空く。
「まあいい。無理に聞き出すつもりはない」
それでも話は止まらない。
「ただ、あの規模の個体を一撃で落とせるなら、放っておくには惜しい」
カイルは小さく息を吐く。
「勝手に評価してろ」
短く返す。
リーナはわずかに口元を緩めた。
「そうするさ」
そのまま歩き続ける。
やがて、景色が変わり始める。
瓦礫は減るが、代わりに地面を覆う灰の層が厚くなる。踏み込むたびに、靴が沈むような感触が足に残る。
遠くに、低く組まれた石壁が見えてきた。
街――というより、拠点だ。
崩れた街を再利用したような造り。完全に整備されているわけではない。だが、最低限の防衛と生活の形は保たれている。
門の前には数人の見張りが立っていた。鎧を身につけているが、どこか疲労が滲んでいる。
人の数は少ない。
声も少ない。
前にいた街のような活気はない。ただ、生き延びるための最低限の動きだけがそこにあった。
リーナは足を止めずに言う。
「ここが拠点だ。騎士団が管理している」
カイルは黙ってそれを見る。
(まだ、こんな場所が残っていたなんてな。)
門に近づくと、見張りの男がリーナに気づき、姿勢を正した。
「リーナ様、お戻りで」
「異常は?」
「魔物の接近が数件。ただ、大規模な動きはありません」
「そうか」
短いやり取り。
そのやり取りの中からでもリーナの身分が高いことは感じ取れる。
門兵はカイルには一切触れない。
訝しんだ目を向けては来たもののリーナと共にいるからなのか追求されることはなかった。
リーナはそのまま中へ入る。
カイルも続く。
中はさらに静かだった。
建物は半分崩れたまま使われているものが多い。壁の隙間から灰が入り込み、床の上に薄く積もっている。
人はいる。
だが少ない。
武装した者が多く、一般の住人はほとんど見当たらない。
ここは街じゃない。
前線に近い、拠点だ。
リーナは歩きながら言う。
「好きにしていろ。ただし――」
少しだけ視線を横に向ける。
「問題を起こすな。ここは戦線の内側だ」
カイルは肩をすくめる。
「興味ねぇよ」
「ならいい」
それだけ言って、リーナは足を止めた。
振り返る。
「カイル」
名前を呼ぶ。
「必ず、また会うことになる」
断定だった。
「そのときは、もう少し話してもらう」
カイルは一瞬だけ目を細める。
それから、背を向けた。
「……気が向いたらな」
短く言い、歩き出す。
灰に覆われた拠点の中へ。
背後で、リーナの気配が静かに遠ざかっていった。
更新遅くてすみません。




