10 校長先生
広すぎる城内を歩き、三階の大きな扉の前までやってきた。赤い、木製の観音扉だ。
「ここに校長先生いる!」
鳥がわめく。アリスは扉の前に立って、扉をノックした。しばしの静寂があって、ひとりでに扉が開いた。
「入って! 入って!」
と鳥が中に進み、俺たちも後に続く。
丸い部屋だった。壁は棚になっていて、本や雑貨が収納されていた。部屋の奥に木の机があって、その机の前に老人がいた。
俺はその老人を見た瞬間、目を疑った。右手の親指だけで倒立し、指立て伏せをしていたからだ。
「連れてきた! 連れきた!」
「ありがとう、グラレリ」
グラレリと呼ばれた鳥は、部屋を旋回すると、机の隣にある止まり木に止まった。すると、置物のように動かなくなった。
「ちょっと待ってくれ。あと少しで、朝のトレーニングが終わる」
俺とアリスは戸惑いながら、老人のトレーニングが終わるのを待った。
「ふぅ。これで、今日のトレーニングは終わりじゃ」
老人は指立て伏せを止め、着地した。顔はヤギのような白い顎髭と長い白髪を後ろでまとめた、人の良さそうなおじさんに見えるが、その上半身は、年齢を感じさせないほど、若々しく筋骨隆々だった。顔と肉体のギャップに、俺は困惑する。
老人、もとい、校長先生はローブを羽織り、俺たちに微笑む。年相応の老人に見えた。しかし、あのローブの下に、鍛え上げられた肉体があることを誰が予想できようか。
校長先生は、籠に入った生卵を割り、そのまま飲んだ。
「お前さんたちも飲むかい?」
校長先生は籠を差し出す。俺とアリスは首を振った。
「そうか。朝、うちの鶏舎で採れた新鮮な卵なんじゃが」
それでも、朝から生卵を飲む気にはなれない。
校長先生が椅子に座る。俺とアリスは机の前に立って、校長先生と向き合った。
「さて、今日、お前さんたちを呼んだ理由はわかるな?」
「昨晩の件ですよね?」
「その通りじゃ。ショルダと戦ったとか。その件について教えてはくれんかのぉ」
「はい」
アリスが昨晩の件について説明する。校長先生は相槌を打ちながら、顎鬚を撫でた。アリスが話し終えると、校長先生は愉快そうに笑った。
「ははっ、ショルダらしいな」
「先生は、ショルダさんのことをご存知なんですか?」
「もちろんじゃ。彼はここの卒業生で、わしも面倒を見たからの。昔からやんちゃな生徒で、子供が生まれたと聞いたときは、丸くなると思ったが、年々、鋭さが増すとは、面白いやつじゃ」
やんちゃとかいうレベルじゃないし、全く面白くないが、歴戦の猛者めいた風格のある校長先生からしたら、面白い人材なのかもしれない。
「それで、実際に、ショルダと戦ったのは、お前さんか?」
「はい」
校長先生は値踏みするように俺を見る。鋭い観察眼に、俺は緊張する。
「ふむ。お前さんもまた、面白そうな男じゃ」
「ありがとうございます」
「しかし、うちの生徒の使い魔として相応しくない身なりをしているな」
「……すみません」
「なぁに。整えればいいだけの話さ。カーペンターズ!」
校長先生の言葉とともに、棚に飾ってあった、拳ほどの大きさの、七人の小人たちが動き出した。彼らはそれぞれの意思に従って動く。四人の小人が、協力しながら、丸椅子を俺の前に持ってきて、座るように促した。虫の翅が生えたリュック? を背負った二人の小人が飛んできて、ポンチョのように、大きな布で俺の体を覆うと、鋏で髪を切り始めた。さらにもう一人、やってきて、彼は俺の顔にクリーム? を塗ると、髭を剃り始めた。
散髪されている俺を、満足そうに眺めた後、校長先生はアリスに視線を戻す。
「それで、アリス君に聞きたいことがあるのだが、お主は、最初からサトルを召喚するつもりだったのか?」
「いえ、最初はバハムート・キャットを召喚するつもりでした」
「ふむ。ちなみに、手順は?」
「この本に書いてある通りにやりました」
顔を動かせないので、見えないが、多分アリスは、『高等召喚術』の教科書を見せたのだろう。
「間違いなく、その本に書いてある手順で行ったのだな?」
「はい。あ、でも、その、私は馬鹿でして。だから、もしかしたら、何か間違っていたかもしれません」
「ふむ。……確かにアリス君の成績は優秀とは言えないけれど、そんな風に自分を卑下する必要はないよ。君はサトルを召喚したんだ。もしかしたら人は、運が良かっただけと言うかもしれないが、召喚士には運も必要なのさ。だから、自分の召喚術に自信を持ちなさい」
「……ありがとうございます」
「ただ、なぜ、目的と違う使い魔が召喚されたのか、その原因について考えることも大切だ。アリス君がその手順通りに召喚術を行ったとしたら、バハムート・キャットが召喚されるはずだったんだよな?」
「そう、ですね」
「ふむぅ」校長先生は思案顔で顎鬚を撫でる。「もしも、何か気づいたことがあったら、教えてくれないか? というのも、今後の召喚術の発展を考えたとき、アリス君の今回の召喚が役立つかもしれないからじゃ」
「はい」
校長先生は俺に視線を戻し、まじまじと眺める。
「彼は確か、かなり頑丈なのだろ?」
「はい」とアリスは答える。
「しかし、散髪はちゃんとできるようじゃ。どうしてだろうな?」
「……どうしてですかね」
確かに、ドラゴンモドキの鋭利な爪ですら折れてしまうのに、普通に髪を切ることができている。常時、頑丈というわけではないのか?
校長先生は興味深そうに俺を眺めて言った。
「実に面白い使い魔じゃ。どうだろう? わしに譲ってくれないか?」
「ええ!?」
「なんてな。冗談じゃ」
「笑えませんよ……」
髭が剃り終わったのか、髭を剃っていた小人は、温かい布で、俺の口元を拭った。髭が生えていた鬱陶しさが消えている。
「お主は、サトルと言ったか」
「はい」
「お主は、自分がいた世界について記憶はあるか?」
「一応、あります。ただ、実は、おぼろげなんですよね。ちゃんと思い出せないというか……」
「ほぅ。それは、召喚記憶障害じゃ」
「召喚記憶障害?」
「うむ。お主のように、人間とコミュニケーションがとれる使い魔に話を聞くと、彼らは召喚される前の記憶についてあいまいだと語るのじゃ。とくに、異世界から召喚された使い魔は、自分がいた世界に関する記憶なんかがちゃんと思い出せないと言う」
「確かにそうですね。自分のこれまでの人生についてはわかるんですが、自分がいた世界については、こことは違う世界であることはわかっているんですけど、どんな世界だったかを正確に思い出すことができません。ここよりも、科学技術がかなり進んだ世界で生活していたような気はするんですが」
「そういった現象が起きてしまう理由については、諸説あるが、召喚する際に使用したジュエルの中に、使い魔の記憶に作用するものがあるんじゃないかと言われている」
「……なるほど」
「ふむ。それで、お主は科学が発達した世界から来たのか。この世界で、科学の重要性が認識され始めたのは、最近のことだからなぁ」
「まぁ、でも。その分、魔法? が発達しているみたいですし。俺の世界では、魔法なんてものは、存在しませんでしたし」
「ほぅ。魔法がない世界か。そいつは興味深い。お主の話をもっと聞きたいが、そろそろ時間のようだ」
小人が鏡を持って、俺の前に留まる。確認しろということか。俺の視線の動きに合わせて、小人は頭部全体が見えるように、鏡を動かした。
「どうじゃ? さっぱりしたろ?」
「はい。ありがとうございます」
「その髪型でいいか?」
「はい」
「よし。カーペンターズ。仕上げじゃ」
四人の小人が、瓶を運んでくる。二人の小人がその瓶の中より、スライム状の物体を取り出して、俺の頭に置いた。ひんやりと冷たい。そして、うねうねと動く感触があって、ちょっと気持ち悪い。
「そいつは、ガルファスライムと言って、体表上のゴミを食べてくれる美容に良いスライムなんじゃ」
「あの、俺の髪を全部食べたりしませんよね?」
「安心せい。そういった事故は今まで、一度も報告されていない」
「なら、いいんですけど」
確かに動きになれると、次第に、丁寧に髪を洗ってもらっているような快感を覚える。
小人が頭からスライムを離した。スライムの体内に、俺の髪の毛が大量に散乱し、青かったボディが黒く染まっているように見えた。そして小人たちは、俺を覆っていた布も外し、手分けして掃除を始めた。
「ありがとう」
俺の足元で掃除する小人たちに感謝を示すと、彼らは微笑んで一礼した。
「服は……まぁ、それでも良い。お主は使い魔であるからな」
「はい」
「そろそろ、授業が始まるだろう。わしのせいで遅刻した、なんてことにならないように、今日はこの辺にしておこう」
「ありがとうございました」
「また話を聞かせておくれ」
「はい」
アリスが一礼したので、俺も一礼する。その後、校長室を後にして、アリスの授業がある教室へと向かった。




