姫君◇三 にほご、ちょと、わかる、です
なぜ、わらわにはくれぬのです。
童がうまそうに食うておった『ひくかつ』なるものを、わらわも欲しいのです。
なぜ、くれぬのですか。
「とりつく、を、とりゐと」
と、童が言うて、男がそれを与えておったのを、わらわはつぶさに見ておりましたぞ。
わらわは、朝より飯をまったく食うておらぬといふのに。
こやつ……鬼であるのかもしれぬ。
先刻、わらわを追ってきた餓鬼どもとは違い、血で顔が汚れてはおらぬのですが、こやつはおそらく鬼でありましょう。
なぜならば、とても人とは思へぬような、あやしき姿をしておりましてな。目のあたりに、氷のごとく透けたる水晶の玉を飾っておるのです。
水晶の玉は、箸のような細く長いもので支えられておりまして、耳に引っかけられるよう細工がされております。細工をされたところは、黒くつやめいて光っており、めのうによく似ておりますぞ。
水晶、めのうといへば、金銀と同じでありがたいものなのです。いずれも、仏教における七つの宝ではありませんか。非常に珍しいものですよ。
珍しい宝を人より奪ひて、わがものにしておる鬼か!
むむむ、許せぬ。
人の心のあらぬ鬼め。神仏に祈って、祓うてもらうぞ。
思い知るがよいわ!
「祓うて、くだされ」
わらわは、大きなる声で祈りました。
されど、鬼は逃げぬのです。なぜじゃ?
餓鬼どもは、わらわが祈れば、あわてて逃げたというのに。
「ハロー? くだされ? この人、外国人かな」
ひくかつをくれぬ鬼は、わらわに何か言うておりますな。
わらわの知らぬ言の葉ですぞ。
「日本語わかる? ピッグカツを……お菓子もらえるのは子供だけなんですよ! お菓子って英語で何て言うんだろう。オカシ、チャイルド、オンリー、オーケー?」
鬼が、人の使う日本語を話すなど、たやすく信じられませぬが、心なしか、『をかし』と聞こえるのです。
もしや、人であるのか?
こやつは鬼でなく、人でありましょうか。
いいえ、そんなことはありませぬ。血で顔を汚しておった餓鬼どもも、『うまい』などと、日本語に聞こえる言の葉を使うておったではないですか。
「をかし、うまい」
たわむれに、鬼の言の葉を真似てみました。
わらわは、悟ったのです。
この異なる世は、鬼と人が交じりて暮らしておるのだと。
なぜならば、わらわをここまで導いてきた童は、鬼やもののけなどの子供を、少しも恐れておりませぬゆえ。
鬼の子は、頭の上へ黒く大きなる角を生やしております。もののけの子は、何と醜いのじゃ! 頭と腹と、二つの顔がついておるのですよ。腹には、柿色の大きなる顔。牙を食ひ出し、薄笑うておりますのに。
これほど醜い姿の鬼やもののけを嫌わず、人と同じように、まるで人であるかのように重んじる。
わらわの生きておった世とは違い、この異なる世は、おもしろきところにございます。
なるほど……。
わらわをこちらの異なる世へ送った陰陽師が言うておったことが、ようやくわかってまいりました。
――今の世では悪いことが、後の世では、よいことになるのかもしれませぬぞ――
――後の世は、今の世とは、異なる世にございます――
このような世であらば、醜いわらわも生きてゆけそうです。
わらわは、鬼の言の葉を学んでゆかねばならぬ!
異なる世で生き延びて、わらわと結ばれる運命の男に逢はねば。
わらわは、強くなるのです。
「お菓子旨い? 日本語ちょっとは解るんですか?」
鬼が、笑うたぞ。
言の葉が、通じておるようです。
おお。憎いと思うておった鬼ですが、言の葉が通じてみれば、気安いではないですか。
「にほご、ちょと、わかる、です」
わらわは、鬼の言の葉を繰り返します。
「日本語わかってんっすか! だったら早く言ってくださいよ」
鬼は大きなる口を開き、笑いました。
よろこび和らいでおるのでございましょう。されど、わらわは鬼どのが恐ろしゅうございます。
もし、鬼どの。口の端より、牙が出ておりますぞ。
八重歯のメガネ男子、フジワラくんと姫君が、ちょっと打ち解けてきました。
なかなか恋愛に発展しなくてすみません。早く恋愛しろ! と思われますよね。第2章「恋といふもの」(13部分)より後は、恋愛推し展開となっております。