姫君◇二 異なる世にて、鬼退治
ああ、恐ろしゅうございます。
ここは、わらわが生きておった世より、千歳も後の世でありまする。陰陽師の不思議な術により、はろゐんといふ時の歪みが起こる日に、わらわは異なる世へと来たのです。
異なる世とは、鬼がひしめく地獄でございました。
赤い髪をして、顔を血で汚した鬼どもが、刀のような長い棒を手にしてさまようております。
あれの血はきっと、人を食うたときについたのでしょう。
「そのゾンビメイク、上手いな。お前はコスプレ界の神だわ」
「めっちゃリアルで怖いんですけど」
「お前もだろ」
鬼どもの言の葉が、わらわにはわかりませぬ。
されど、『うまい』と言うておったような。もしや、鬼どもはわらわを食うのですか?
早く逃げねばなりません。
うぬっ、不覚じゃ……。鬼どもに見られてしまいました。
「あっ! 平安時代のお姫さんのコスプレ」
「すげえ、京都っぽい」
「一緒に、写真撮らせてくださいよ」
鬼どもが追ってまいります。
わらわは速やかに歩きました。されど、鬼はさらに速やかに歩くのです。鷹に追わるる雀のようなものでございます。ああ、たちまち追いつかれてしまいました。
鬼は皆、大きなる口を開けて笑うております。口は耳のあたりまで裂け、血のしずくがしたたっておりまする。あれに、わらわは食われてしまうのですか?
ああ、いやじゃ! あのような恐ろしい口は見とうない!
わらわは手にした扇で顔を隠しました。
「お姉さーん、きれいな顔なのに恥ずかしがらなくてもイイっしょ」
「京美人って、控えめなんですね」
「でもそのわりに巨乳じゃないッスか?」
「写真撮ったあと、飲みに行きましょうよ」
鬼どもが、わらわを囲みます。
わらわは捕らわれてしもうたのです。
「全員で写れる?」
「自撮り棒を伸ばしたら、いけるんじゃねーの」
鬼どもは長い棒を手にしております。
わらわは知らぬ顔をして、逃れようとしました。
されど、鬼どもがわらわをにらんでおります。
「無視かよ! 京都の人が冷たいって、ガチで本当だったな」
「あれは、都市伝説かと思ってたわ」
「ぶぶ漬けでもどうどすか? とか言って、客を追い出すやつだろ」
ああ、わらわは鬼に食われてしまうのでしょうか。
死ぬるのはいやですぞ。
わらわはこの異なる世で、わらわと結ばれる運命の男に逢はねばならぬのです。
「……祓うてくだされ」
わらわは、神仏に祈りました。
ここにおるのは、人を殺めて食らう鬼、すなわち餓鬼でありましょう。
神仏に助けを乞うて、餓鬼どもを祓うてもらうのです。
「祓いたまえ、餓鬼どもを」
わらわは、大きなる声で祈りました。
「このおばさん怖っ、俺らのことを『ガキどもっ』だって」
「払えって? スマホで写真撮るだけなのに、金を要求するの?」
「観光客を食いもんにする商売かよ」
鬼どもは、散り散りになりて逃げていきましたぞ。
わらわは、鬼どもを祓う術を心得ました。
もう恐れずともよいのです!
さてさて……。
わらわがこの異なる世へ参ったのは、わらわと結ばれる運命の男に逢ふためでございます。そのような男は、いずこにおるのでしょう?
ぐうう
わらわの腹より、音がいたしました。
ああ、恥ずかしや。
朝より何も食うておらぬために、わらわは飢えております。
この異なる世には、人はおらぬのでしょうか。鬼ではなく、人が住む里を見つけねば。
人里には、旨いものがあるはずにございます。
おお、あれは!
わらわの近くに、童がおりますぞ。年の齢は……十ほどでありましょうか。
何やらよい匂いのするものを、食うておりますぞ。
あの童は、鬼ではないようですな。なぜなら、人の衣をまとっておるのです。
白き小袖に、赤い袴の姿。わらわの住んでおった世では、帝のおそばで宮仕えする女どもがまとう衣でありました。その衣によく似ておりますぞ。
それに童の顔は、鬼どもとは違い、血で汚れておりませぬ。
「もし、童よ」
わらわは、問うた。
「そなたは、何を食うておるのですか」
「ピッグカツ」
童が言うたのは、食うている物の名でしょうか。
わらわの知らぬ言の葉です。
「ひくかつ?」
陰陽師の言うておった『とんかつ』に、音が似ておりますね。
それにしても、よい香りがいたします。
「知らないの? 駄菓子だよ、ピッグカツっていう」
童が何と言うておるのか、わらわにはわかりませぬ。わらわのよく見知った衣をまとっておりますが、わらわと同じ日本語を話さぬのでしょうか。
「欲しいんだったら、あっちでくれるよ」
童は、わらわの袖を引いていずこかへ導こうとしております。
これは運命でしょうか。
【8/12 話の順序を入れ替えました】
姫君◇二 と 男子◆1 を入れ替えました。視点が頻繁にコロコロ変わると、わかりづらかったでしょうね。今まですみませんでした!
【おことわり】
チャラくてマナーの悪いレイヤーさんは、現実にはいないと思います。
それから、京都の人が冷たいというのは、たぶん都市伝説です。
話をわかりやすくするために、悪者にしちゃいました。失礼しました。