推論
私の出番はそこまでのようだった。後でもう一度通読してみよう。そう思いながら台本を閉じる。
それにしても時代がかった演出に、時代がかった台詞に、時代がかった内容だ。
私は途中からベッドに身を横たえて、すすり泣くわけでもなく、そのまま、どうしてか、冷たい気持ちのまま、台本を眺めてみたんだ。
なぜのめり込めなかったのだろう。
理由を挙げればきりは無い。
第一. 魔女なんて漫画にもいない。
第二. そんな身持ちの堅い女なんて漫画にもいない。
第三. 望みの品がそう簡単に手に入る漫画なんてそうない。
第四. 地獄なんて漫画にも出ない。
第五. 短歌調なんて誰にもわからないし、季語が無い。
他にも通読すれば感じる問題点が一杯だと思う。全く、嫌になる怜静な私。演技が加わると違和感を消し去ることができるのだろうか、とか、一体、そんなことが可能なのだろうか、とか、そんなことを考えちゃうんだ。
台本の一行でも覚えて見ろと叱咤してもみるんだけどやっぱり駄目。何かのめり込めないものを感じながら、私は、気分転換の対象を求めていたんだ。
そんな時だ。私の目にノートが飛び込んできたのは。賦星先輩と私の小さな秘密。秘密のノート。
取り上げて、ぼんやりとベッドの上で見上げてみる。
『賦星真知子。私はすごい』
『島世要。私はすごくなりたい』
『秘密のノート第一条。秘密のノートはフルネームで』
先輩の殴り書き、そして、私の書いた言葉から始まった十条分。それから先輩が付け加えた一行。そしてそれから、秘密。秘密。秘密。そして、
『今河豊。別れる』
最後の行にそう書いてあるのは先輩の文字だろうか。そういえば先輩がいろいろ悩むそぶりを見せながら書いていたのは今日のことだっけ。
「へー。今河先輩。別れたんだ」
何気なく口にしてみて、それで、私は、自分でもびっくりするほど、間延びしたまま、もう一度読み返して、それから、口元で呟いてみる。
「今河先輩、別れた。劇のこと、かな」
ベッドからだらりと腕を投げ出してみながら、思考停止する私。一体、何のことなのだろう。今河先輩。別れた。別れた。
何を。誰と。何時。どこで。何のために。
What。Who。When。Where。How。
そうだ。そう。つまりこういうことだ。
私は、予習復習しなきゃいけないし、台本も読まなきゃいけないんだった。
だから、これは、つまり。
私が、一人で、今、部屋で、勉強する。
I will study soon in room。
ということでいいのかな。そうだ。それでいいに違いない。
そうだ。
私は、もう一度だけ秘密のノートを見直して、見直して、そうして、そうして、野次馬根性に負けてしまう。
「これ。今河先輩が付き合っていた人と別れたってこと、かな。でも、でも、それがどうして賦星先輩の秘密なの」
賦星先輩が秘密で楽しそうにしていて、それで、今河先輩が別れた。そこから導き出される結論を推論してみよう。私はベッドの上で髪を書き上げて見ながら、普段慣れない推理めいたことをやってみる。
推論その1.賦星先輩と今河先輩が別れた。
推論その2.今河先輩と賦星先輩以外の女性が別れた。
推論その3.今河先輩と男性が別れた。
推論その4.今河先輩が人間以外と別れた。
私は、推論を尽くしてしまうとそれが妥当なものかチェックし始める。
前提その1.賦星先輩は今日を通じて楽しそうだった。
前提その2.今河先輩と賦星先輩の間では笑い声が漏れていた。
前提その3.通常男性と男性は付き合わない。
前提その4.人間以外との別れもありうる。
私は、前提が誤っている場合を除いてしまうと、それから、順を追って考えてみる。
前提その1とその2から言えることは、今河先輩と賦星先輩がよっぽど変でない限り、推論その1の可能性は無いということだ。前提その3から言えることは推論その3の可能性が極端に低いということ。また、前提その2から言えることは、推論その2の可能性が低いことを意味している。
そこから導き出される結論はただ一つ。
ただ一つ。
…ただひとちゅ。
今河先輩はおそらくペットを亡くしてしまったに違いない!
「わけないから」
眠気がひどい。頭の働きが思っても見ない方向に向く。どうして間違ったのかは明白だ。機械的な選択法を使わないなら、推論その4と前提その4は外すべきだった。必要ないものだから。ただ、私は、どうしてだろう。前提からして疑いたくなっていたんだ。なぜなら、今河先輩は少しも普段と変わっていなかったのだから、あまり、別れたとか言われても、そうは思えなかったのだ。結局は、推論その2が妥当なのはわかるが、なぜ妥当なのかはわからないという感覚。私の経験と能力ではどうしてもわからないような気がする。
「明日。先輩にでも聞いてみよう」
さよなら今日。きっと会おう、明日。
瞳を閉じて。ただそれだけでいい。お休みなさい。
さよなら予習復習。きっと会おう、台本。