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いたずらと放課後

 日時:正午過ぎ。場所:教室の窓際、席が5つ集まる場所。目的:いつも通り。

「ゲームセット」

「恵都、恵都。ちょっと待ち」

 恵都のお弁当は空。雄一が食べかけのパンを指した後、右手を開いたまま腕を伸ばした。

 待った、待った、待った。

 ご飯は掻き込むように。それじゃあ、パンは、どうなのかな。

 雄一の膨れ上がったほほの合間から二、三の形崩れてした言葉が漏れて詰まる。恵都も、里美も、洋子も。そして私も、笑った。

 二人が先を争って教室の扉を超えて行くのを見送ると、私は、小さなこま切りの果肉を箸でつまむと、洋子の前で旋回させてみた後、飲み下してみる。

「要の、いっつも、きれいなんだよね」

「そうかな」

 果汁が口に広がる。歯と歯をすり合わせながら、ふと、窓辺から先を覗いてみる。

 空では濃いグレーの沈みがちな空を押しのけるように、そう、上書きするように、濃い白の雲が湧き上がって来ているような気もする。

 雨、のち、曇り。

 まだまだみたい。まだまだ、雨の真最中みたい。

「それ。一つ頂戴」

「それじゃあ、私にも一切れ」

 交換。それが始まり。洋子の均整な顔が崩れて、笑顔がこぼれ落ちてくる。それから、大きく開かれた口が一切れの小さな円形の果実を飲み込んでしまう。洋子ののどが上下するのを待って里美が声をかける。

 私も、変わらない。同じように飲み込んで。

「そうそう」

 里美が口にしたのは、昨日、部活で先輩にいろいろ言われちゃったこと。一年生だけで少し集まって話していたら、先輩たちに、だって。

「そうそう。それそれ」

 また、始めから。

 そういうの、少し、嫌な気がしたのは、そうだな、入ってすぐのころだったかな。

 最上級生から最下級生。後輩がいたのにいなくなって、また先輩がいる。

 雨、のち、曇り。

 一昨日は晴れ渡った青空。昨日は晴れ間に曇り。

「要は、雨なのにご機嫌だね」

「そうそう。それそれ。気になる」

「そう。機嫌はね。そうだな。雨の日は耳に残るから」

「何が」

 里美が乗り出すように顔を近づけてくると短く揃えてある前髪がなびいて、雨の日でも変わらずにカラリと揺れる。黒目勝ち、元々大きな瞳が見開かれると、里美はとっても明るく見える。

 迷うように箸を彷徨せる仕草をやってみる。

 食べ進む。交換して、会話する。

「今日も体育館かな」

「季節だね。私はいつも体育館だから、よくわからないけど」

「ま、ちょっと狭い感じがするけど、洋子とも会えるし。いいか」

 洋子が、そうかなと、おどけた調子で頭を傾げた。それから足元をゆすって机を揺らす。それで、狭いかな、って言う。

 洋子がやるとなんだか本当に狭い気がしてくる。机と脚元の合間がなぜか、不安定に思えてしまう。

「そうそう。要は、今日は見に来ないの」

「今日は、わからないな。昨日は時間があったから」

 雨、のち、曇り。

 昨日は昨日。今日は今日。体育館の舞台上から洋子がきれいに飛び上がる姿を眺めたのを、私、覚えている。ひざを折り曲げるでもなく、わずかに木目調の板を押して、つま先から飛び立つように跳ねる。

 着地して、一歩、二歩。少し崩れた姿勢が立て直される。

「洋子が昨日みたいにかっこよく決めるとこ、また見せてくれるなら」

 お弁当のふたを手に取りながら、洋子に向かってそう口にしてみる。跳躍。着地。浮遊。それだけの動作がとっても似合って見える洋子。

「何。要。私は何時だって昨日みたく見せるけど」

「洋子。洋子。今日、やって見せてよ。要に見せたみたくかっこよくさ」

 里美が少しだけの笑い顔を作って洋子に向かってそう言うと、洋子が少しだけ困ったようになって、それでも、ばっちり、ばっちり、って口にする。洋子が腕を軽く振って見せるのを見ながら、私は、お弁当箱にきっちりとふたを閉める。

「ごちそうさま」

「あ、要」

「ごち」

 お弁当の容器を布でくるみ始めると、お昼を回ってしまった後の授業をどう乗り切ろうかと、今日の時間割を思い出してみる。科目は、大丈夫。今日の午後はそう苦しくもないかな。

「午後の授業だけど」

「そうそう。それそれ」

「嫌いじゃないけど、午後だからなぁ」

 雨、のち、曇り。

 窓辺から覗く運動場では小さな水溜まりがいくつも生まれて、凹みを作ってしまっている。ガラス越しに見る水たまりは、グレーの空の下、何も反射しているようには見えない。窓際から一本だけ覗く二階まで届きそうな桐の木から、しずくが何度となく零れ落ちて、鮮やかな繁りを見せている葉を弾かせる。

 雨の日は、少しだけ乗り切るのが楽な気がする。

 午後の始まりまで、もう少し時間がある。ほろほろと集まっている机の集落を見渡してみる。包みを広げて変わらないところもあるし、もう切り上げて話をしながら教室内でいろいろとやってみているところもある。

 なぜ集落なんて言葉を使ってみたのかは、午後の授業のことを考えていたから。前回の授業でちょっとだけ、先生が触れていたのを思い出したから。

 食事の後、少しだけ重くなった体を持ち上げる。

「ちょっと黒板消してくる」

「うん」

「じゃね、じゃあね」

 洋子がうなずいて、里美が遮るように声を出す。

 黒板に並んでいる。好磨先生の文字を確認した後、教室を見回してみる。一人、お弁当を開きながら、まだノートを開いているのは、いつも真面目な玖珠田君。

「黒板。消しますね」

 殴り書きで筆記具を走らせてノートを閉じる玖珠田君を見つめると、確認を取るため、声をあげる。

「いいですか」

「はいはい、はいはい」

 慌てるように言葉を詰め込むと、机の中にノートを投げ入れてお弁当のほうに向かい合う玖珠田君の姿を見て、里美が少しだけ笑っている。

「黒板」

 里美が左端から、私が右端から。

 大きく振り上げて体重を乗せて、消しちゃう。縦一列の細い線を残して、チョークの跡はきれいに消えちゃう。洋子は、チョークの粉がかからないように少し離れて、首を傾げている。里美は体から大きく手を伸ばして黒板消しを扇形にすべらせて消していく。色とりどりの粉。

 黒板の真ん中で里美が黒板消しをひっくり返して手の平で転がして見せる。

「黒板消しって言ったらさ。仕掛けてみたい気がしない」

「え」

 直列に並ぶ白いチョークの痕跡を見ていると、里美が思いついたように口にするから、問い返す用意も無くて、声だけを上げてしまった。

「何それ」

「何って。ほら、扉に仕掛けるの」

「要。分かる」

「さあ」

 仕掛ける。

 何だかおかしな響きがする。仕掛ける。里美がいたずらっぽく片眉を持ち上げて笑っているのを見ると、少しだけ不安で、そして、興味を感じる。

「だから、こうやって」

 里美が扉に近づきながら、腕を回す。一回転。黒板消しを回して持ち上げると、よっ、とつま先立ちに伸びをする。

 そうして教室の扉の合間に黒板消しが浮いちゃった。

「こうするでしょ」

「何がしたいの。里美」

 洋子に分からないこと。扉の合間にぎゅうぎゅう押しこめられた黒い長方形の縦じまから、パラパラと落ちる粉を追う洋子の視線。

「分からないかなあ」

 私は里美が不思議ないたずらっぽい顔のままでそう口にした後、笑い出してしまうのを不思議な気持ちで見るしかない。

 洋子は扉の先を気にして何度も瞬きしている。

「で、離れてね」

 洋子と私を制する里美の両腕。

 扉から離れる。離れる。離れると、離れると、離れると。

「里美。離れたけど、それで」

 教壇の辺りで待ちぼうけ。

「うん」

「何やりたいのかわからないなあ。あそこに」

 洋子がそう言って扉に締め付けられる黒板消しを指さしてみる。

「あそこ、黒板消しを挟むでしょ。それで。扉に隙間ができるけど。何、里美。あの隙間を通って出入りしてみよう、とか言うの」

「違う、違う。つまりね」

 里美のいたずらっぽい顔は変わらない。

 待ちぼうけ。里美がうなずいて見せる。雨の日。湿っているはずの廊下から騒がしい音が響いたのは里美の少し間延びしたような声が言葉の続きを漏らす前のことだけど。里美の企みは、言葉の前に結果が出ることになってしまったみたい。

 扉の金具がきしむ音がして黒い長方形が落下する。

 黒板消しが落ちていくのを眺めながら、そういうことなのか、とようやく納得。

 乾いた音がして真っ黒な髪の上に鮮やかなチョークの粉がふわふわと舞い上がるのを見る。洋子は苦笑い。里美は大笑いというほどでもないのだけど、いつも以上に可笑しそうな表情で床に転がる黒板消しを拾っている。

「こういうこと」

「はあ、何が」

 黒髪に積もった小さなチョークの跡を払いのけながら恵都が苦い顔をしながらも、半笑い。雄一が教室の入り口から入ってきて背中を叩いてみせる。なんだか、なんだか。そう。とっても可笑しくなってしまう。

「どうすればいい。雄一。どうだ。ちゃんと取れているか」

 恵都がお辞儀するように頭を下げて雄一に確認してもらっている間、里美はといえば、いたずらっぽい笑みも、もうおしまい、と右手に持った黒板消しをクリーナーで洗浄開始。甲高い音を立てながらクリーナーが吸い込む、吸い込む。

「恵都。大丈夫。大丈夫、もう完璧だって」

 私は、洋子との会話の流れを考えながら、雄一が髪を叩いている恵都に向かってそんな言葉をかけているのを見ていた。

「里美はどこからこういうことを考え付くのかな」

 洋子がそう口にするのを聞く間に、そわそわとする視線を漂わせてみる。

 雨、のち、曇り。

 お弁当の時間はどこの集落もお仕舞みたいだ。クリーナーの甲高い音が響き渡っている間もみんなそれぞれの会話に夢中みたいに見える。玖珠田君たちくらいかな。隣の席の坂井君と一緒に私たちが集まっているのを見ているのは。

 里美はどこか楽しそうでつまらなさそうにクリーナーが置かれた棚の真上に張られている時間割を眺めている。

「次、なんだっけ。里美」

「何。要」

 正午過ぎ。雨音が鳴る。里美が黒板消しを裏返して、時間割を確認する姿越しに窓の外を見る。雲間のグレーが白く、白く。純白の雲に押し返される時間が始まっているような気がする。

 雨、のち曇り。

 チャイム。

 授業。教室移動。行って、帰って。先週の授業との繋がりを思い出したり、思い出せなくてすごく集中して教科書をめくったり。

 午後の二限が終わると、好磨先生のホームルーム。

 外では雲間から、こぼれるような光線の雨が降り注いでいる。

 部活のことを考える。洋子に見に来ないかと誘われたことを何となく思い出す。私の部活。何となく始まって何となく終わる。

 目標を立てて進めましょう。

 始めのあいさつの言葉の中で先輩がそう口にした言葉だけはなぜだか今でも覚えている。

「雨の多い季節ですが」

 好磨先生の言葉が、ホームルームの締めにかかっているのを聞く。翌週の授業を確認する。家に持ち帰れる分量をかばんに入れたことを確認してしまう。

 雨、のち、曇り。

 水たまりを叩く音。自転車が水を跳ねて通り過ぎる。アスファルトのくぼみに果てるわけもなくじわりと気化するわけでもなくて残ってしまった水たまりを避けて歩く。校舎回りを一周回ってみる。部室までの、遠回り。運動部の部室の前を通りかかると見知った姿が目に入る。洋子。均整な腕が折り曲げられて、顔の横で右手が小さく振られている。同じように手を振って返してみる。

 洋子が先輩に注意されそうになるのをこっそりと笑ってみながら、校門に向かって歩いていると、玖珠田君と坂井君が歩いてくる。すれ違う。なんだか楽しそうに笑って歩いている。何かいいことでもあったのかも。

 雨の日はどうしてか踊りだしそうな感覚がする。歩幅が軽いような気がする。校門に並べられている樹木が輝いて見える。雨上がりに、トトトと雨露をこぼしてみたりしている。校門の外に向かう足がもう一本。ぶらぶらと漂う傘のつま先が路面に触れるでもなく、ふらふらしている。

 ぐるぐると遠回りして到着。

 部室へつながるドアの取手をつかむと切り替える。

「窓、閉めませんか。賦星先輩」

「換気中」

 小さな部室の小さな窓が開いている。

 いつもの位置にいつもの人。ドアが閉まる音と空気が抜けて行く感覚。ロッカーに背中をくっつけるように歩いてみる。部活用具を取り出して荷物をしまうと短い後ろ髪を持ち上げて整える様子もなく指先でかき回してみせる賦星先輩に向かって頭を下げる。

「元気よくね」

 元気よくは無さそうにそう口にする賦星先輩はいつも何かを見ている気がする。今日は狭い部室の中で大きな位置を占めているパイプ椅子に向かってお腹を預けて、小さな部室の小さな切り出し口の先を眺めている。先輩は部室では少しだけだらしない。集合までの合間とかそういった時間帯以外はいつもしっかりしているように思う。

「今日はどういう予定ですか」

 雨の日は少しだけいつもと違うことがありそうな気がする。賦星先輩が窓の外から私の目線へと視線を移して短考する。

「そうだな。要はどうしたいの」

「サッカー」

 私は短答してみる。

「グランドがぐじゅぐじゅなのに」

「なのにです」

「サッカーなの」

「そうです」

 賦星先輩はパイプ椅子をたなびく煙みたいに揺らせてみせる。

「要も入った時に比べて大分いい加減になったね」

 それから先輩は、笑い顔を振り向かせて私に向かって近頃お気に入りの言葉を投げかけてくる。

「ええ。今日は元気よくやってみました」

 小さな部室に小さな部活。

 賦星先輩がパイプ椅子をくらくらと揺らせて背中を反らす。金属音に、革が擦れる音がしてごそごそとロッカーが探られる。

「そうだな」

 賦星先輩は小さなノートを取り出して、小さな部室の小さな長机に差し出してみる。

「今日は、ちょっと面白いことがあるんだけど」

「何ですか」

「私たちとこのノートにはね」

 賦星先輩とは、近頃になってようやく頻繁に話せるようになってきたんだと思う。最初に先輩たちと会ったときには先輩がどういうものだったのかなんて、忘れちゃっていたし、昔のころの先輩とは少し違う関係のような気がしたから。

「小さな秘密があるの」

「何ですか」

 小さな部活の小さな部室の小さなノートの小さな秘密。小さな長机でふと洋子のことを思い出す。賦星先輩は少しだけ洋子に似ている。

「それをこれから作ってみようかなって」

「何ですか」

「要。聞いてないな」

「何ですか」

 小さな秘密。ふと長机の上に置いていた手が掴まれて引っ張られる。額を寄せ合って少しだけ掴みかかるようにして、顔が近づいて机が近づいて、寄せ合わされてしまう。少しだけあごの辺りが痛い。

「要。このノートには秘密があると決まっているの。信じるかな」

「信じ」

「信じるよね」

「信じます」

 返事より先に返ってくる言葉にびっくりする。賦星先輩の顔は近くで見ると、里美に似ているような、洋子に似ているような。それで結局は、誰にも似てないような。たぶん、賦星先輩の顔は賦星先輩のものなんだと思う。

「それじゃあ、始めてみよう。二人だけの秘密から」

 二人だけの秘密。顔を寄せ合って話し合う小さな秘密の話。

 ノートをめくる。

 紙が擦れる音、ページが落ちる音。

 二人だけで笑い合ってみる。

 雨、のち、曇り。

 曇り空はさらさらとした昼下がりの日光を遮って流れて行く。震えるような風任せの白い塊がさっきから変わらずに小さな枠の外から覗いている。

「今日は、賦星と島世が先か」

 扉が音を立てて開く。今河先輩だ。

「何をやっているのかな」

「秘密から」

 賦星先輩の口元が大きく割れて、今河先輩の口元が小さな声を漏らしてしまう。今河先輩が首をひねるのを見る私は、賦星先輩と今河先輩を見比べてしまう。

「何のことだか」

 どうしてだろう。そこには小さな秘密があるような気がした。

「ちょっとね。それでさ、要」

 賦星先輩は今河先輩が鞄を肩に覗き込もうとしてくるのを簡単に制してしまう。二人から始まる小さな秘密の話。

 雨、のち、曇り。

 始まりの日は、今日の天気に紛れて忘れてしまうかもしれないと、少しだけ心配になる。

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