弱音を吐くということ
食堂に行くと、やかましい少年が一人増えていた。テーブルにはいつもの朝より量が多く見える朝食が並べられていて、その増えたぶんはきっと彼のためのものなのだろうと思う。
だけど、そう、だけど。
どうして彼がここにいるのかわからない。
徹夜明けの頭では理解できない何か重要なイベントがあり、それで彼が朝っぱらから工房にいるという結果を生み出したのかもしれないけど、やっぱり僕にはわからなかった。
金髪よりはおとなしい、という感じの色味をした茶髪の少年が。
「ちーっす」
ひらひら、と僕を見て手を揺らしている光景がどうしてそこにあるのだろう。
彼――ハヤイは、どうやら朝も早くから訪ねてきていたらしい。僕は起きていたけど気付かなかった。訪ねては来たけど、それはとても静かなものだったようだ。
昨日見た時と同じように、長めに伸ばした髪を俗に言うポニーテール風に結った彼の、右手に握られているのは二本の棒。片方の先端が少し細くされた、それほど長くない棒だ。
「あ、これオレの箸」
「マイ箸とか生意気なのだ」
「しゃーねーじゃん、こっちナイフとフォークばっかだし。あ、二つ向こうの国な、なんかアジアーンな感じで楽しかったぜ。まぁ、観光なし、馬の疲れとかガン無視じょーたいで街道突っ走ってもさ、あの国まで二ヶ月ぐらいかかるけどなー。やっぱめっちゃ遠いなー」
「そ、そう……」
キャラバンって、そんな遠くまでいくんだなと。
ぼんやり考えながら僕も椅子に腰掛ける。
一応、この『世界』の地図は手に入れたし目も通したんだけど、そういう名前の国という認識から先に行かない。やっぱり直接訪ねるべきなんだろうな、そんな余裕、今はないけど。
まず旅に使うお金だ。
帝国内だったら、組合を通じて預けたお金を引き出せるからいい。だけど帝国の外に組合なんてない。これはこの国だけの組織で、制度で。他所じゃ冒険者は蛮族と変わらないだろう。
普通、戦う力を持つのは騎士団のような存在だけだろうし。
いずれはやっぱり外に行きたいとは思うけど、キャラバンについていくのが最善かな。
国の前にまずレーネの外にでるべきかもしれない、けどね。
これに関してはもう少し、ちゃんとした構想を練っておかないと。……と、物思いからふと意識を現実に戻すと、こちらをじーっと睨むように見ているハヤイと碧眼と視線があった。
「おまえ、すっげー似合わねぇ、むっずかしーい顔すんのな」
「え?」
「んーや、何でもねーよ。それよりメシー、エサー、ごーはーんー」
「やっかましいのだ! それ以上喚くなら毛玉地獄で圧死させるのだ!」
「ブルーさん、どぅどぅ……あとそれご褒美ですから」
お玉を手に厨房から飛び出してくるブルーと、それを抱えて戻っていくガーネット。
いつも以上に賑やかな朝は、こうして過ぎていった。この若干疲れる賑やかさは朝で終わるはずだと、僕は思っていたんだけれど。世界は、そう優しくはなかったようで。
「つーわけで、これ借りてくな」
僕はそんな軽い一言と共に、ハヤイに工房から引っ張りだされた。
レーネの案内役、というお役目を与えられながら。
■ □ ■
明るく、淡い町並みに彼の黒は浮かんで見える。
楽しそうに歩く背中を僕は、ぼんやり見ながら追いかけた。案内役とはなったけど、そういえば彼はキャラバンを離れるとかで、先にこっちに来ていたはずだ。じゃあ、一週間ほどすでに滞在しているわけで、わざわざ案内をさせるほど知らないということはないと思う。
隠れたスポットでも案内してほしいのかな。
僕もあんまり詳しいわけじゃないから、どこまで期待に添えるだろう。
「なぁ」
ふいに、少し前を歩いていたハヤイが、身体をひねるようにこちらを振り向いて。
お前わりかし疲れてるよな、と。
時々よくわからない日本語を口にする軽い彼が、そんなことを言い出した。
それはレーネの中心部。いつか、友人に見捨てられるようにして置いて行かれた、あの場所に近いところ。普段通りかかる時も避けてしまう、あまり好きではない場所の近くでの言葉。
植物が多くて穏やかな、人々の憩いの場で言われた内容に、僕は一瞬戸惑った。
「それは、きっと……僕が、徹夜明けだからだよ」
笑顔を浮かべつつ軽く答えたけど、ハヤイの表情はマジメなまま。
さっきまで見せていたような、あるいは昨日見せていたようなあの笑顔は戻らない。
「なんかさー、顔が、固まってるっつーか、しかめっつら?」
すっと近寄ってきたハヤイが、僕の頬を掴んで左右に引っ張る。それから眉間をぐりぐりと人差し指の腹で押して、最後に両目の目尻を親指の腹でぐにぐにと動かした。
余計にしかめっ面になりそうで、振り払おうとするけど、その前にすっと間合いが開く。
数歩先でにこにこと、ハヤイが楽しげに笑った。
「こんな状況なんだしさー、にぃみてーにしかめっつらでいるこたーないぜ? 無理すんなっての。あの工房の連中はさー、ちょっと頼られたぐらいでポイ捨てするようにみえねーし」
「……にぃ?」
「あ、言ってなかったっけ? 昨日さ、オレと一緒にいたの、あれ全部きょーだい。オレ末っ子でねーちゃんがねーちゃん、がたいいいのが双子で、トキにぃが上、ウタにぃが下な」
「へ、へぇ」
言われてみれば、確かにトキさんと宴さんは似ている。
見た目というよりも雰囲気や、声と言った部分が。兄弟、それも双子なら納得だ。
トキさんと宴さんは黒に近い灰色の髪、アイシャさんとハヤイが淡い茶髪。全員が、おそらく話を合わせて決めたのだろう、宝石のように澄んだきれいな碧眼だ。
そう、とてもきれいな色の瞳だと思う。
そんな青が、僕をじっと見ていた。
「こんなことになった時もさ、にぃ達はあったりまえみたいな顔で、オレ達をひっぱってきてくれたんだよ。なんてゆーかさぁ、たぶんな、トキにぃやウタにぃにとっちゃ、下を面倒見るのってアタリマエっつーか。自分はそういうもんなんだって、わかってるっつーか」
たださぁ、とハヤイはつぶやいて。
「それってさー、時々さ、ちょびっと寂しいんだよねぇ」
「寂しい?」
「ん、なんかさ、オレらにはなーんもできねーのかなって。ちょっと寄りかかって昼寝できるような、そういう存在にもなれねーのかなって。何のためのきょーだいなんだよって、さ」
これって結構むなしいのだぜ、と。
茶化すように言うハヤイは、寂しそうな顔をしている。
結構どころじゃなく、彼はむなしいと感じているんだろう。頼られたいし、頼ってくれてもいいと思うのに、相手がそれを自らにゆるさないから何もできない、してあげられない。
一方的に何かしても、迷惑になるかもしれないし、とか。
いろいろ考えると何もできなくて、見ていることしかできなくなる。
「だからさ、オレとしてはもっとこう、泣き言戯言いろいろいってほしーわけよ。……ま、うちのにぃやねーちゃんにそんなの無理だけどさー。言ったらそのまま恥ずか死しそうだわ」
特にねーちゃんが、と言われ、確かに、と僕は答えた。
トキさんや宴さんは弱音を言いそうにないけど、それ以上にアイシャさんは死んでも口にしないと思う。そういう『弱さ』を、きっと何よりも嫌っているような人だ。
「にぃ達には言ってるかもだけどなー、オレには死んでもいってくんねーだろうし」
なんだかなー、とハヤイはため息。
順番としてはトキさん宴さんが一番上で、次がアイシャさん。自己申告の通り、一番下がハヤイとなっているようだ。ハヤイとほか三人の間は、結構離れているらしい。そうなると年の離れた末っ子弟は、とてもかわいかっただろうな。なおさら弱音なんて言えなさそうだ。
だけど、末っ子でも兄弟は兄弟、家族は家族。
当然のことながら、相手を心配したりするわけで。
そこに疎外感のようなものを感じると言うのだろうか、みんなも。
目を閉じ、我が身に置き換える。例えば――そう、ブルーが僕のように、いろいろ悩みとか問題があるのに飲み込んで黙っていたら、僕はそれに気づいた時にどう思うのか。
あぁ、とてもわかりやすい。
寂しいと、思う。