語らざる子供達
その世界には、あるところに『神』が存在している。
記憶の神、草木の神、ヒトの神、死の神に命の神。ありとあらゆる存在に宿っている神々が世界を動かし、その歯車としてのみ存在する『眷属』を介して、彼らは世界を管理していた。
その『神』は、物語を司る存在だった。
物腰の柔らかそうな顔をした、細身の青年の形をした神だ。人が子供相手の寝物語に即興で作るものから、時代を超えて愛されるものまで、ありとあらゆる物語を司る神であった。
それがもっとも愛したのは【個】であった。個性、個別、そういうものをその神はことさら愛するようになった。最終的には愛するがゆえに、恐れすら抱くようになったのだ。
そして神は、自身の眷属から【個】を奪い、教えた言葉を延々と繰り返す、たったそれだけのことしかできない存在にした。他のことを与えない、無垢で歪んだモノにしたのだ。
それが、『語らざる子供達』という、神の子供たる存在である。
それに母はなく、ただ【父】たる神の力から生み出された。
神は、その子らから母という【個】すら奪ったのだ。
純粋に無垢、目が焼きつほど白く。何かを染めることをせず、しかし外からの言葉で簡単に染まり果てるような白。そういう形に作りなおした子に、神は非常に満足した。
彼が愛する【個】を有する子供達は、与えられた【個】のだけでしか生きられない。
同じ言葉を繰り返し、同じ物語を吐き出す。
そこから稀に生み出される、未知の【個】を愛した。それすらも父は、神は奪い去ってしまうのだけれど。その姿は歪だったが、他の神々は然程気にすることはなかった。
例えば、追憶――思い出を司る女神が、大昔に人の子と成した子供らの末裔に自らを染め付けて侵食し、その魂をねじ曲げて憑代にするように、神々はどこもそういうものだったから。
眷属、それはそう書いて『どうぐ』と読む存在。
神は力はあれど一つしかなく、手足となるモノがなければ世界を動かし管理はできない。
それゆえの、絶対的なまでに自分に従う『眷属』が作られたのである。
しかしある日のことだ、【父】たる神の元に一人の娘が生まれた。黒髪、赤い目、少しばかり毛色の異なる不具合のような【末娘】。通常なら間引きなかったことにするだろう。
ちょっとした気まぐれで、神はその娘を残すことにした。
気に入らなければ、また壊せばいいだけだからだ。
名前の無い【末娘】は特異な見た目に隠された内側に、生まれながら【父】に奪われているはずの【個】を有していた。特異で異質なのは見目だけではなく、中身も異質なものだった。
彼女は無意識にそれらを隠したが、隠し切れないものが滲んだゆえの見目であった。
それが明るみになれば最後、彼女はそれを奪われるだろう。存在のすべてで、【父】がいうところの、許されない大罪の償いをしなければいけなくなるだろう。
――あぁ、そんなこと、許せるはずがないの。
これはわたしのもの、誰にも侵させない。
白い指先で手繰り寄せた鈍色のナイフ、顔も感情も押し殺してその背に近づいて。
その日、【末娘】は神たる【父】を殺して自由となった。
■ □ ■
と、リリスレッドさんは語り終えて。
「そういうお話が成り立つ世界もあるのよ」
おしまい、と笑った。
ここは厨房の隅にある、休憩用の椅子とテーブル。
簡単なお菓子と紅茶を摘まみに、僕は彼女の話を聞いていた
どういう仕組みなのかは知らないけれど、そして彼女自身も詳しい仕組みはよくわかっていないらしいけど、世界を渡り歩く――自在にトリップすることができる力を持っている。
基本的には彼女一人だが、たまに知り合いを無理やり連れだしたりもするそうだ。
うまくやれば数人ほど運ぶこともできると言っているけど、疲れもするという。
だから彼女はこうも言った。もしも元の世界に戻りたいなら、こうなった元凶を見つけるほうが早いと思うわ、と。それは確かにその通りだったけれど、第三者から言われるとやはりそれしかないんだなという、覚悟のようなものが胸の奥に浮かんでくる。
その代わりに、ということで、今は彼女の旅の話を聞かせてもらっていた。
最後に話してくれたのは、八百万の神々を思いださせるような神の話。
「この話は知り合いが暮らしている――そうね、便宜上はわたしの『故郷』となっている世界の話なの。神話ということになっているけど、実際に『神の眷属』は存在するのよ」
「へぇ」
「例えば『追憶』を司る神は、地下に潜った眷属がいるの。彼らは『常夜の森』という場所の地下にある洞窟のような空間に住んでいて、選ばれた娘一人を『表』に出しているわ」
「娘? それが『憑代』ってやつですか?」
「そうよ。彼女らは自分を『墓守』と名乗っているわね。自分は思い出の墓守だから、と」
その世界にある『常夜の森』という場所には、思い出が流れ着くのだという。話を聞いた感じでは蛍のような光を放つそれは、人々が忘れてしまった思い出達なのだそうだ。
墓守はその管理をしつつ、森を守る者。
その思い出の光には、普通の人が触れることもできるらしい。
触れたら、思い出の光景を見ることも叶う、のだそうだ。といってもそれは断片的なものが多いらしくって、例えばプレゼントをもらって嬉しかった記憶とか、そんな感じらしいけど。
「どんな感じなのかな……」
「さぁ。わたしはそこには行ったことがないからわからないわ。だけどその森には旅人も足を踏み入れるようだから、害を与えてくるような悪いものではないのではないかしら」
触れて痛いなら避けるでしょう、と彼女はいう。
確かにそうだ。聞けば森の外には街道が通っているらしいし、なら触れるだけで痛くなるものが漂う森をわざわざ通り抜けるのも不自然。たぶん幻想的な場所なんだろうな、と思う。
どんな感じなんだろうか、どういうふうに見えるのだろうか。
いけるものなら、ちょっと行ってみたい気がした。
「それにしても熱心ね。わたしの話は、だいたいその世界の常識から逸脱してしまっているみたいだから、聞いた人によく狂人のレッテルをはられてしまうのだけど」
「いや、僕はたくさん物語を知らなきゃいけなくて、みんなの役に立つために」
「語り部、なのよね。あなたも」
「はい。……まだ、全然至らないんですけどね」
「あなたの身に宿る『語り部』の理がどういうものかわからないけど、おそらくコツ次第でどうとでも成るのではないかしら。少し長くなるけれど、そもそも語り部というものは――」
リリスレッドさんが何かを言いかけた、その時だった。
遠くから、扉が破壊されたかのような大きい音を立てて開いたのは。




