闇を走る牙
「ごめんください、ギルドマスターはいますか!」
「あいつなら奥にいるよー。……おーい、出番だぜー」
ひょこ、と顔を出したハヤイに呼ばれて、食堂の方へ向かう。
あの声、クリュークさんの声だ。
冒険者組合で受付をしてるお兄さんで、ギルドを作る前や作った後や、今も、すごくお世話になっている人。メディナさんの上のお子さん、息子さんでもある。
田舎のレーネには職員自体少なくて、確か十人もいないくらいだったはずだ。フィルフィアだとかメ・レネだと非番含めて二十人近くいるらしいから、レーネの人員不足がよく分かる。
その中でも受付担当のクリュークさんは、ほぼ一人で冒険者相手の業務をこなしている。
この人は主だった在住ギルドの顔や名前を、端末なしでも把握しているだろう。
彼は男の僕から見ても好青年、というか立派なお兄さんで、ブルーが聞いた話では同年代の中では一番モテている、という話だ。それも納得できる。いつだって身なりは立派、物腰も柔らかくて、これで人気が出ないなんて方がおかしいって思うくらい。
そのクリュークさんがちゃんとしている身なりも崩し、髪もぼさぼさにしながら、ぜいぜいと息を荒らげて戸口にいる姿なんて、見たこともなければ想像したこともない。
逆に言うなら、これは何かが起きたということなのだ。
この人から普段を奪う、何かが。
「どうかしたんですか、クリュークさん……あ、ハヤイ、お水を持ってきて」
「任された!」
「い、いえ、結構です、これから宿の方に、行かないと」
げほげほと咳き込みながら、苦しげな声で話すクリュークさん。
その様子に、やっぱり何かあったんだ、と緊張が僕の中を突き抜けていく。僕らだけじゃなく宿――冒険者が多数いる場所に、話をしに行かなきゃいけないというのは尋常じゃない。
のんびりと依頼を張り出しているだけでは間に合わないことが、起きたんだ。
周囲に、一気に緊張が満ちる。
しばらく咳き込んでいたクリュークさんは、次第に事情を語りだした。
「実は、この近くの森で魔物が、大量に発生して……その、駆除を」
「近くの森っていうと、確かラルーがいるところですよね」
今もたまに、レインさんが狩りに出かける近隣の森を思い出す。
どちらかと言うと後衛にいるべき彼女でも、一人で狩りに出かけられるその森に、魔物らしい魔物は生息していない。いても獣、野犬や狼ぐらいなもので、それも相当奥の方へ行かないと痕跡すらお目にかからないようなものだ。あの森は、非常に穏やかな場所なのである。
ただ、クリュークさんの様子から、魔物が出たのがそういう奥地ではないことを、僕は何となく感じ取ってしまった。たぶん人の出入りが激しい場所に出たのだろう。
事の発端は一時間ほど前、ある狩人が獲物を探して森を移動していた時だったらしい。
仕掛けておいた罠に、見慣れないものがかかっていたのだという。黒いウロコの、大きなトカゲのようなそれの息の根を止めて、男はひとまず持ち帰って組合の事務所へと持ち込んだ。
獣ではないようだが、魔物かどうか判別がつかなかったからだ。
組合には魔物に関するデータベースのようなものもあり、そこに持ち込めば突然変異の新種でもなければすぐにでも判明する。それは一般にも広く知られた、組合でできることの一つ。
それはまさに、大正解とも言える選択肢だった。
彼が仕留めたトカゲはまさに魔物、しかもレーネ近郊にはいない種類だったのだ。
幸いにも新種の類ではなく、その種類はすぐに分かったのだけれど。
「あれ、それって」
その名前を聞いたハヤイが、怪訝そうな顔で腕を組む。
「たしかそれストラ近郊に生息域がある魔物じゃなかったっけ。この前、散々駆除作戦執行して疲れ果てたってねーちゃんがグチってた。詳しく話は聞いてねーんだけど、確か他のギルドと合同でやった大規模作戦だとかで、現地ではそこそこお祭り騒ぎになったっていう」
「はい、そうです……ただ、ここはストラとは距離が」
「つまり駆除作戦で逃げてきたようでもない、ってこと……か」
どういうことだ、とテッカイさんは小さくつぶやき、すぐに顔を上げた。
「まぁそこら辺は気にはなるが、そんなことより現状を何とかしねぇとヤバイだろ。報酬とかの相談も後回しだ。ブルー、仕込み途中だろうけど、今すぐにでも店閉めて出れるか?」
「大丈夫なのだ、テッカイ殿」
火を消してくる、と厨房へ駆け込んでいくブルー。
うぅん、こういう時に頼りになるのは、やっぱり場馴れしてるテッカイさんだ。僕だととっさの判断というのが、とっさというには数泊遅れてしまう。それは時として致命的なのに。
落ち込んでるヒマはないけど、もっと頑張らないといけない。
「クリュークさん、僕らも森に出ます。場所はどこですか」
「森の入口に到着したギルドから、場所を割り振って作業を開始してもらっています。あの森の実りがなくなると、レーネの息の音が止まってしまいます、だから」
よろしくおねがいします、と彼はいい、まだ少し息が乱れているのも構わず、次の場所へと走って行ってしまった。あのまま宿など冒険者がいそうなところを、回っていくのだろう。
それだけでも、緊迫した状況であることが伝わる。
さて、することは決まった。
一度工房を閉めて、準備をしたら森の入口へ。それが僕らの行動だ。
すでにウルリーケは荷物をとりに二階へ向かっているし、ガーネットも同様。レインさんやテッカイさんも、装備類を取りに向かったらしくもうここにはいない。
残ったのは常時装備携帯のハヤイと僕。
すぐにみんな戻ってくるからいいとして、あとは――。
「そんでよ、あんたどうするよ。オレら、これから緊急ミッションだけど」
「お留守番するほどの仲でもないし、どうしようかしらね?」
くすくす、とのんきに笑うリリスレッドさんだけだった。
さすがに連れて行くわけにもいかないし、ここでお別れになるだろうか。彼女だってせっかく別の世界に『旅行』に来ているわけなのだから、世界をあちこち見て回りたいだろうし。
そう思いつつ、僕は荷物の中に愛用する『武器』が入っているのを確認した。使い勝手のいい補助用の書物と、まだ火力の振れ幅が広くて不安定だけど攻撃転用できるやつ。
その所在と種類がちゃんとしていることを、改めて確認した。
「……書物で、戦うの?」
それを、リリスレッドさんは不思議そうに眺める。
僕らはもう慣れたけど、やっぱりこれって不思議なものなんだなと改めて思った。
「そうです、えっと、こう、読み上げたらその通りの現象みたいなのがバーっと」
「……へぇ」
面白そう、と言うようにその赤い目が細くなる。
口角が上がり、意味深な笑みが浮かんでいた。きらきら、しているように見える。赤い瞳がまるで宝石のように、それもカッティングをしたそれのように、きらきら、と煌めいて。
じゃあ、とリリスレッドさんは笑い。
「わたしも行くわ。大丈夫、自分の身は守れる程度には強いから」
なんてことを、当然という顔で言い出したのだった。




