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「この物件はお勧めです!広いし、この値段で新築なんですよ!」
「……」
「お気に召しませんか?だったらこちらなんてどうでしょう?平屋、一戸建て庭付き。地区年数は40年以上しますけど、状態はいいですよ」
「……」
無表情、無反応、無言。ああ、久遠さんだ。久方振りに見た久遠さんだ。いやまあ私には時折こんな状態だけど。
「…華ちゃん、助けなくていいの?久遠さん困ってるじゃ……」
「大丈夫だとは思いますけど、」
隣に座る未希子さんは、少し不安気だ。無理もないかもしれない。此方がたじろぐ程久遠さんは、全く持って1ミリも動かない。そんな久遠さんもすごいが、相手の方もすごい。久遠さんに怯むことなく、営業トークを展開している。爽やかな笑顔付きで。――久遠さんの眼前に鎮座するその人、名前を須藤さんという。綺麗なスーツをビシっと着こなし、髪は綺麗に撫で付けられ清潔感を全面に出している。未希子さん曰く、ご近所の奥様方にも人気らしい。顔も整っているし、ザ好青年!って感じだもんなあ。
そんな須藤さんは、おばちゃんと久遠さんが契約している不動産屋の新入社員。老けて見えると漏らせば「今年の春に東京の本社から来たのよ」と教えてもらった。つまりこっちの店では新入社員だけど、場数と経験はそれなりにある、と。
にしても田舎の小さな不動産屋だと思っていれば、東京の支店会社だったのか。
「…山に籠もる」
「は?…ああ、山奥のロッジなどがご希望ですか?うちは余りその手のものは取り扱ってないんですが……。いえ、まあ久遠さんがそこ迄仰るなら、ご要望通りの物件を探しますが」
…ロッジと久遠さんて全然似合わないな。にしてもこの須藤さん、圧がすごい。
「探さなくて、いい」
その一言を最後に、久遠さんは席を立った。スタスタと歩く久遠さんを、意外にも無表情で見つめる須藤さん。待ってください!とか言って追いかけるのかと思ったけど。なんて彼の顔を見ていれば、目があっい話しかけられた。
「追いかけなくていいの?」
「…私が、ですか?」
なんで?追いかけたってどうすればいいかわからないし、それに久遠さんは別に怒って席を立った訳でもなさそうだし。返事を返せば驚き顔の須藤さん。「付き合ってるんじゃ、」と呟いた彼に納得した。そりゃ彼女なら追いかける場面だもんな。まあ仮に私が彼女でも、多分追いかけないけど。
「違いますよー。久遠さんとはご近所なだけです」
「へぇ?」
ちゃんと最初に言ったんだけどな「近所に棲んでる葛城です」って。……そう言えば久遠さんの、とは言ってなかったかもしれない。
「久遠さんてどんなタイプ?」
「タイプ?」
「そう。まあ見た感じ和風が好きなんだろうけど。その中でも色々あるでしょ?風景とか風情とかに拘るタイプだったり、機能面のみ重視したり……そういうの」
「はあ」
久遠さんの、タイプねぇ……。風情に拘り…はあるんだろうか。景色を見て「綺麗だ」と言うことはあったけど。でも自宅の庭とかは、結構放置気味だしなあ。機能面は重視していたとしても、使えないから意味はないだろうし。台所がいい例だ。久遠さんのタイプって一体なんだろう。
「よくわかんないです」
「ああ、そう」
小さな溜息。顔には思いきり、使えないと書かれている。すいませんね、役に立てなくて。久遠さんがいいって言ってるんだから、探すの止めたらいいのに。…そうもいかないんだろうけど。私が役に立たないとわかった須藤さんは、矛先を変えた。
「未希子さん、先日の件考えて頂けました?」
「ええ。考えたんですけど、やっぱりこの家を手放すことは考えられません」
「え、手放す!?」
「そういう話が持ち上がっただけ。大丈夫よ、手放さないから」
そう笑顔で話す未希子さん。いや、そもそもなんで手放す話なんて……。そう問えば「ここを買い取りたい、って奇特な人が現れたのよ」「ここを?」「そう。なんでも和菓子屋の支店舗をここに創りたいらしいの」こんな田舎に態々店を出すなんて、道楽にも程がある気が……。
「葛城さん、もしかして知らない?」
「はい?」
「ここ、今年の冬からドラマの撮影地になるんだ。今は人が少ないけど、来年には人でごった返すよ」
え?ドラマの撮影地?ここが?おばあちゃんの所よりは発展してるけど、ここだって割と田舎だよ?
「田舎の話なんだよ。最終的には東京での話になるんだけどね。読んだことない?『ちらつく冬』って言うんだけど……」
「き、聞いたことぐらいなら」
結構な話題作だった気がする……。そういや友達が読んで「やばい!号泣した!」とか言ってたような。なに読んでもすぐ泣く奴だから、その時は適当に流したけど。あー、内容はなんて言ってたかな。
「私も読んだけど、すごいよかったのよ!」
「そういう訳で未希子さん、時間はまだあるのでもう一度ご検討ください」
「須藤さんの気持ちもわからなくはないんだけど……。期待はしないでね、私も豊さんも乗り気ではないから……」
どういう訳だ、と思った私は悪くない。未希子さんはここを売ったりなんかしない。この家は未希子さんと豊さん――未希子さんの旦那さんのために田中のおばちゃんが結婚祝いに贈ったものだもん。思いが詰まってるこの家を、売る筈なんかない。
「…僕はね、未希子さんのためにもなるんじゃないかなって思ってるんです」
「え?」
「ご近所からの視線に、耐えるのはしんどいでしょう?新しい場所で心機一転、生活してみては?」
「そ、れは……」
「悪くはない話なんです。向こうは貸家という形でもいいと言っている訳ですし。僕は、未希子さんに穏やかな生活を送ってもらいたいんです」
「……」
「未希子さん、」
そう言って距離を詰め、手を握る須藤さん。いやいやいやなにしてんの!?