35話
バージル・ジョゼットという人物について――
ジョゼット公爵家の嫡男。眉目秀麗、英明果敢……バージル様に対する讃辞は噂を含めて飽きるほど耳にしてきたが、私にとっての彼は『ステラの兄』でしかなく、それ以上でもそれ以下でもなかった。いや、どちらかといえば苦手に分類される人だったかもしれない。彼が持つ煌びやかで圧倒的な存在感を前にすると萎縮してしまい、身の置き場に困ってしまうからだ。
そんなバージル様と短い間ではあったが、共に行動する機会を得たことで、私の一方的な苦手意識は改善されていった。美しい容姿にうっかり見惚れてしまうことはあるものの、以前のような近寄り難さはなくなった。
「いらっしゃい、リナ」
「ご機嫌よう、バージル様。本日はお忙しいなか、時間を作って頂きありがとうございます」
リシャール殿下とステラが私の家を訪問してから10日が経過した。まだ完全に本調子とは言えないけれど、沈んでいた気持ちはいくらかマシになった。
バージル様たちは相変わらず事件の後始末に追われていて忙しい。DP事件のあらましについては、殿下とステラが説明してくれたので理解はできているつもりだった。今のところ慌てて確認するようなことはなかったはずである。それなのに――――
私はいま、ジョゼット公爵家の屋敷を訪れていた。
「そろそろ落ち着いてきたから大丈夫だよ。君と話をするくらいの時間は充分に取れる」
ソファに腰を下ろして、一息吐く。何から話すべきだろう。勢いで来たはいいものの……もっとちゃんと会話の内容とか聞きたいことをきちんと整理しておけばよかった。とりあえず絶対に言おうと決めていた御礼だけは済ませておこう。
「さて、リナは私に何の用かな……なんて、こんな事を聞くのも白々しいね」
「えっ、あの……」
バージル様は眉を下げて微笑んだ。穏やかで優しさを感じる笑顔だけど、なんだか自嘲しているようにも見える……どうしてそんな表情をするのだ。
「殿下から話を聞いたんだろ? 全部……」
「はい。それで、私は……」
「リナが言いたいことは大体分かってる。結果的に君の家を救うことになったけど、私の卑しい心根にさぞ気味の悪い思いをしたことだろう。……すまなかった」
バージル様が私に頭を下げている。彼にこのようなことをされる覚えは全くない。これは何か酷い誤解をなさっているのではないだろうか。
「バージル様!! やめて下さい。私はあなたに感謝をしているのに……謝られることなどありません」
「感謝だと?」
「そうです。バージル様がいなかったらアルメーズ家は今頃レシュー家と共に取り潰しになっていたかもしれません。これが感謝せずにいられますでしょうか!!」
頭を上げて欲しいと、私は必死に訴えた。会話の切り出しに迷っていたけど、このままでは会話どころではない。
「……もしかして、知らないのか。殿下から聞いていない?」
「事件についてのお話なら伺いました。バージル様がアルメーズ家を救うために苦心して下さったことも……本当にありがとうございました」
勢い任せになってしまったけど、バージル様に御礼を伝えた。それなのに、彼は感謝の言葉を口にする私のことを心底意外だとでもいうような態度を取っている。
「今日、私がこちらにお邪魔したのは貴方に御礼を言うためです。そして、どうしてうちの家のためにあそこまでして下さったのか……理由を教えて頂きたかったからです」
「……理由。殿下は君に話していなかったのか」
「はい。それはバージル様ご本人から聞けと……」
バージル様は俯いた姿勢のまま言葉を噤んでしまった。先ほど唐突に行われた私への謝罪といい……もしかして、彼のこの反応はアルメーズ家を救った事と関係していたりするのだろうか。
お互いに無言のままどのくらい時間が経っただろう。私は彼の方から会話を再開してくれるのを待った。
「……アルメーズ家を救った理由か。それは……リナはステラの恩人だ。ジョゼット家は君に並々ならぬ恩義がある。だから……」
話の途中でバージル様はまたしても口篭ってしまう。眉間に深く皺をよせて……小さく舌打ちのような音まで聞こえた。
「いや、もうやめよう。当たり障りのない言葉で誤魔化すのは。君が今日うちに来たいと連絡してきた時に覚悟を決めたんだ……」
「バージル様?」
「リナリア。やはり、私は君から礼を言われるような人間じゃないよ。アルメーズ家を救ったのは事実だけど、それはステラの件で君に恩を返そうとか高尚な理由ではない。そもそもレシュー家の悪事を暴けた経緯から不純なんだよ」
礼を言う必要はないだとか、DP事件を解決に導いた功績まで貶すなんて……。バージル様は一体何に葛藤し、そこまでご自身を蔑むのか。
「私は意図的にレシュー家の評判を落とそうとしていた。家の力はもちろんの事、時には外部の情報屋まで駆使してレシュー家の粗探しをしていたんだ。その過程で偶然DP密売にレシュー家が深く関わっているのを知ることとなった」
逆だったのだと……
薬物事件の捜査をしていてレシュー家に辿りついたのではない。レシュー家の身辺調査をしていてたまたま知り得た事実だったのだとバージル様は語る。
「予期せずとんでもなくデカいヤマが見つかってしまい、流石に焦ったさ。けれど、この問題を公にすれば確実にレシュー家を潰せる。私の目的も成就するし、国のためにもなる。私はすぐに殿下に取引を持ちかけた」
「…………目的」
「ああ、さっき言っただろう。私はレシュー家を叩くためのネタ探しをしていたと。完全なる私怨で他家の内情を隅から隅まで探ったんだ」
バージル様はマルクやアニータを快く思ってはいなかった。それはDP事件の関係者だと知っていたためだと考えていた。でも、今の話だと事件について発覚するよりも前からレシュー家に対して悪感情を抱いていたという風に聞こえてしまう。
「……リナ」
「はい……」
「私は、君がマルク・レシューの婚約者であることが耐えられなかった。どうにかして婚約を反故にできないかと、毎日そればかりを考えていた。レシュー家を探って……マルク・レシューが婚約相手として不適切だと突き付けられるような欠陥が見つかれば良いと願っていた」
心臓の音が煩い。バージル様と張り込みに行った日……あの時、私設兵団のひとりが放った言葉を思い出してしまった。一度はあり得ないと投げ捨てた可能性が、再び私の頭の中を支配していく。
「なぜなら私は……君が、リナリア・アルメーズのことがずっと好きだった」




