株式投資一憂
白い外壁にブラン・ピエール・ドゥ・ロンサールが1000個以上の蕾を膨らませ、遠くから画眉鳥の声が響く。
日経平均株価が史上最高値を更新する中、主人は自分のポートフォリオに一喜一憂していた。僕はあふぅ〜とあくびをしながら、そんな主人を眺める。ヘタクソ。だってさ、世間は株価が上がってウハウハ、喜色満面だろうに。なんで「一憂」があるわけ。
「政宗くん、ちょっと、お留守番してて。株主総会行ってくるから」
「わん」
主人はそう言って、僕にハーネスとリードをつける。? おかしい。お留守番と言えば、大抵、そのまま放置のはずなのに。これじゃ、おでかけスタイル。なんだっけ、株主そーかいって。
「今日もかっこいいねー。似合うよ。政宗くん、好き」
「わん」
僕は、毛足が長いラフコリーって大型犬。主人の愛を一身に受けてスクスク育った。朝から晩まで夜中まで一日中、ほぼ主人といっしょに過ごしてる。だから、お留守番が本格的と分かったとき、ちょっと泣いてしまった。
「わうーわうーわうーわうー、わうーわうーきゃん、きゃん、わうー」
主人は僕をペットホテルに預けて旅行へ行った。別れで泣くのはまあ、一種の儀式みたいなもの。主人の姿が見えなくなると気分は収る。お店のお姉さんに可愛がられ、一緒にお留守番をするお尻からいい匂いのする女の子のわんことすぐに仲良くなった。
僕には「遠見」という特殊能力がある。主人を思うゆえに目覚めてしまったのだろう。どれだけ離れていても主人の様子が分かる。
僕の視界に、主人の姿が浮かび上がる。主人は、いくつも並ぶ背もたれが高いイスに腰掛けて小さな窓から空を眺めていた。そして、夜は1人、枝豆やら刺身、からあげを食べ、ビールを飲んでいた。旅先で羽を伸ばしている主人を遠目に見ながら、僕はお店のお姉さんから貰ったいつものドッグフードを美味しく戴いた。
次の日、主人は大きなホールに入っていった。何かを係の人に見せると、なぜか一般の席ではなく、別の場所に案内されていた。控室のような小さな部屋にテーブルを挟んでイスがある。
「渡辺様、長年に渡り弊社の株式を所有してくださり、真に感謝しております。実は、本日最後に発表することがございまして……」
主人の正面に座って喋っているのは、白髪が混じったおじさんで、めっちゃ平身低頭だった。
「株式分割、ですか?」
と主人。例えば、60万円の株が30万円と30万円に分かれることらしい。主人のそばにいて、なんとなくそういった知識を覚えてしまった。
「はい。それが、今回、3分割で更に株主優待を拡充する予定です」
3分割。例えば、60万円の株だったら20万円と20万円と20万円になる。株主優待ってのは、おまけが貰えるってこと。でもって、この場合、今まで60万円で株主優待を貰えてたのが、20万円でも株主優待を貰えることになるらしい。けれど、主人の顔は一瞬で曇った。株主優待ってのは、1人に1つ。60万円分持ってても、6000万円分持ってても1つだったのが、20万円でも1つになる。
主人の眉間にぴきっ一瞬シワが寄った。けれど、すぐガラスみたいにパリンパリンの笑顔になった。
「そうですか。方針を変えられたのですね」
「長年応援してくださった株主様には申し訳ない限りです。ですが、昨今の原材料費高騰や人件費、光熱費の高騰を受け、資金を集めるためには、この方向へ舵を取るしかございませんでした。大量保有の渡辺様には、これまで以上に我が社の製品をお贈りさせていただきます。株主様割引の冊子も特別に多く。ですから、何卒、ご理解のほどをお願いいたします」
遠見していて、僕には今ひとつ、白髪混じりのおじさんがなぜ申し訳なさそうに頭を下げているのか、主人がなぜ一瞬眉間にシワを作ったのか分からなかった。ま、いーや。寝よ。昨晩は、お尻のいい匂いの女の子わんこに会えたのは良かったんだけど、主人がいなくて寂しくて、寝不足だったんだ。
夕方、主人が迎えに来た。
「わんわんわんわんわんわん」
どうも僕って、嬉しいと大声ではしゃいじゃうんだよね。好きと嬉しいが爆発して尻尾が動き過ぎてちぎれそうになる。
家に到着した途端、主人は床の上に座り込み、ソファにもたれて脱力している。そんなに疲れたんだっけ? 昨夜、美味しそうにいろいろ食べてビールも飲んでご機嫌だったじゃん。
なんだか心配になって、僕は主人の隣に座って顔を覗き込む。と、主人は僕の首を抱きしめてきた。
「政宗くん。酷い。配当株だったのに。優待株にシフトするなんて。くそっ。これまで2回も株式分割あったけど、配当がいいから人気があってすぐにがんがん上がって、元の値段になったのに。もう買ったときの何倍にもなってるお宝株なのに。いっぱい持ってたのに」
僕が株に詳しくなったのは、こーやって主人が僕に漏らすから。主人は株について喋る相手がいない。人間界の株ってのは、そーゆーものらしい。
「くーん」
僕は慰めの声をかける。主人は僕を抱きしめたまま続ける。
「もうね、利益が頭打ち。海外進出はしないってか、できないだろうし。国内じゃ市場は飽和状態。次の株式分割の後は、前みたいに上がらない。きっと、株を買う層がガラッと違ってくる」
「くーん」
「分割した後にも優待を出すってことは、その分、配当が減るってことじゃん。いくら特別に割引券くれるってったって、今までだって使いきれなかったんだもん。そんなに使えないよ」
「くーん」
「株主総会、怒ってる人、いっぱいいた」
株には配当がある。銀行や郵貯にお金を預けたときの利息みたいなもの。例えば、60万で1万5000円とか配当が貰えていたとする。それが株式分割されると、単純に考えれば(20万で5000円)×3なんだけど、今回、優待拡充に資金が使われる。株主優待には送料も必要になるから。(20万で配当1500円)×3くらいに激減するかもしれない。
もちろん、株価も配当も僕の脳内の仮定だけどさ。
仮に600万円分持ってたとすると年間15万円の配当を見込んでいたのに、それが4万5000円の配当になってしまう。……会社の偉い人がわざわざ事前に挨拶に来るほど、主人はこの株を大量に保有している。実際のダメージは、僕の計算の比じゃないはず。
株主優待は基本1人に1個。偉い人は特別になんかくれるって言ってたけどさ、たぶん主人が欲しいのは配当=現金。
「明日、売ろ。この株、下がる」
ああ、一憂だね。もうすぐ薔薇が咲くから、それ見て元気出してよ。それよりお土産は?




