守護者 前編
灰色の雲が空一面を覆っていた。
地平線の果てまで広がる荒野には草木すらほとんど生えておらず、風だけが乾いた岩肌を擦り続けている。吹き抜けるたびに低い音が鳴り、それはまるで、大地そのものが眠りながら呼吸しているようにも聞こえた。
その上空を、ポルト号は静かに滑空していた。
船内では駆動音だけが低く響いている。ヴァルデミリアンは片肘をつきながらモニターを眺めていたが、不意に眉をひそめた。
「……またか」
画面上に、一定周期で繰り返される微弱な波形が映し出されている。
自然発生するノイズではない。
人工的な信号。
しかも、この星の文明レベルでは到底発信できないほど精密な波形だった。
「随分と辺鄙な場所から飛ばしてるな」
ヴァルデミリアンは訝しげた。
後方の席で窓の外を眺めていたデミトリウスは、その言葉に反応するように視線を上げた。
「……この辺りには昔、一度来たことがある」
「昔?」
「五百年ほど前だ」
彼は静かに続ける。
「その頃は何もなかった。ただの荒野だったはずだ」
だが今、二人の眼下には巨大な建造物が存在していた。
山肌へ食い込むように築かれた黒鉄色の遺跡。
それは神殿というより、巨大な機械の残骸のように見えた。大地の内部から何かが露出してしまったかのような異様な姿をしている。
ヴァルデミリアンは口元を歪めた。
「五百年で随分派手なもんが生えたな」
しかしデミトリウスは笑わない。
彼はじっと遺跡を見つめていた。
「……記憶にない」
その声には、珍しく違和感が滲んでいた。
デミトリウスにとって、“知らない歴史”というものはほとんど存在しない。少なくとも、この星の内部に限れば。
だからこそ、その遺跡は異様だった。
まるで、自分の知らない間に過去そのものが書き換わっているような感覚があった。
遺跡の麓には小さな村が存在していた。
石造りの家々が肩を寄せ合うように並び、そこに住む人々は皆どこか静かだった。貧しいわけではない。だが、活気がない。まるで、村全体が何かを刺激しないように息を潜めているようだった。
二人が村へ降り立つと、年老いた村長がゆっくりと近づいてきた。
深い皺が刻まれた顔をしている。
「旅人か」
「そんなところだ」
ヴァルデミリアンが軽く答える。
老人は二人を見比べた後、ゆっくりと山頂の遺跡へ視線を向けた。
「あそこへ行くつもりなら、やめておいた方がいい」
「何かいるのか?」
老人はすぐには答えなかった。
風が吹き抜け、村の旗が小さく揺れる。
やがて彼は低い声で言った。
「神が眠っておる」
ヴァルデミリアンは鼻で笑う。
「神、ねぇ」
だが老人は笑わなかった。
「昔、この地へ星が落ちた」
その言葉に、デミトリウスが静かに視線を向ける。
老人は遠い昔を思い出すように続けた。
「夜空を裂いて、燃える光が落ちてきた。村人たちは世界の終わりだと思ったそうだ」
「だが、落ちてきたものは何もしなかった」
「……」
「女の形をしていたらしい」
ヴァルデミリアンの目が細くなる。
「その“神”は、燃えた大地の中を歩き、山へ入り、そのまま動かなくなった」
老人の声は静かだった。
「最初、人々は恐れていた。だが、それから妙なことが起き始めた」
「妙なこと?」
「空から来る災いが消えた」
老人はゆっくりと続けた。
「昔はな、この辺りには“空の狩人”が来ていたそうだ」
「空から現れ、強者を殺し、村を焼き、また空へ消えていく。誰にも止められなかった」
老人は山を見上げた。
「だが、“神”が眠ってからは消えた」
風が吹き抜ける。
「だから村人たちは、あれを守り神だと思った」
そこで老人は一度口を閉じた。
だが、その表情には微かな恐怖が残っていた。
「……ただ、古い文献には別のことが書かれておる」
「別のこと?」
老人は静かに呟く。
「ターガバンティ」
その名前を口にした瞬間、空気が少し冷えた気がした。
「侵入者を裁く者」
「神ではない。歴史を見守る者」
その夜、デミトリウスは一人で村の文献庫を訪れていた。
湿った紙の匂いが鼻を刺す。棚には大量の古文書が並び、そのほとんどが神話や祈祷に関するものだった。
“空より来たりし鉄の乙女”
“眠れる監視者”
“侵入者を裁く者”
記録を読み進めるうちに、デミトリウスの目が徐々に細くなっていく。
年代がおかしい。
三百年前の文献に、“五百年前から存在した”と記されている。
二百年前の記録には、“太古より神はそこにいた”と書かれている。
だが彼は知っている。
そんなものは存在しなかった。
五百年前、この場所には何もなかった。
神殿も。
石像も。
信仰も。
何一つ。
デミトリウスは静かに本を閉じた。
「歴史が……変わっている?」
それは世界による修正とは違った。
もっと外側。
もっと冷たい何かが、過去そのものへ手を加えている感覚だった。
同じ頃、ヴァルデミリアンは単独で遺跡内部へ入り込んでいた。
内部へ足を踏み入れた瞬間、彼は違和感を覚える。
壁面が石ではない。
金属だ。
しかもプレストル文明とも違う。
もっと静的で、冷たく、無機質な技術。
奥へ進むにつれ、遺跡全体が巨大な機械の内部であるかのように思えてくる。
やがて彼は最深部へ辿り着いた。
そこにいた。
巨大な女性型機械。
黒い装甲。
閉じられた瞳。
拘束された両腕。
まるで棺の中で眠り続ける騎士だった。
ヴァルデミリアンはゆっくりと見上げる。
「……お前がターガバンティか」
返事はない。
完全停止している。
だが、その瞬間だった。
ポルト号から発せられていた定期信号が遺跡内部で反響する。
低い振動音。
そして。
閉じられていた瞳に、赤い光が走った。
「……なるほど」
次の瞬間、遺跡全体が低く震え始めた。
石化していた表層が崩れ落ち、内部から黒い金属装甲が露出していく。
長い眠りから目覚めるように。
女性型機械は静かに起動を始めていた。




