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先手必勝

 かれこれ一年と半年以上、私はずっと我慢してきた。それは、私のような粗忽者を折角雇っていただいた恩もあるし、人生で初めての長期バイトという事もあった。何より、大学生という、何故か微妙にお金のかかる時期を食いつないでいかなければいけなかったのもある。そんな諸々の事情もありつつ、なんだかんだもめ事が嫌いな私は、不平や不満を愚痴りつつも、今まで何とかやってきた。

しかし、今日という今日はもう、限界だった。とうとう、堪忍袋の緒が切れてしまったのである。口にこそ出さなかったが、脳内で再生される言葉は呪詛のように、どす黒い渦を巻き、理性やら抑制やらを徐々にむしばんでいく。

 それでも、怒りに任せては負けだと思い、どうにか感情を抑えて帰宅し、このノートを開き、気持ちを落ち着かせようとしている、という訳である。だが、だからと言って別にまた泣き寝入りしようとか、面倒だから抱え込んでしまおうとか、生憎そんな気は毛頭ない。心を静め、立ち向かう為に、私はこうして筆を取っているのだ。記憶を抉り出し、事実を反芻し、脳髄に焼き付ける為に。

 

 さぁ皆さん、大変長らくお待たせしました。今まで後手に回ってきた私ではありますが、今回ばかりは先陣を切らせていただきます。華々しい開幕のファンファーレと、洒落込みましょう。



 今まででもかなり本気だった私がとうとう大噴火したきっかけは、昨日のバイトの際にいた社員の方の言動であった。昨日は普段いる社員の方が病欠と出張だった為、他の教室から応援で来ていた方だったのである。ところが、この人の態度が異常なまでに、本当に子どもに教える立場なのかと疑いたくなるぐらいに悪かったのだ。

「ねぇ、ちょっと、あれどこにあるの?」

 大学での講義を終え、急いでやってきた私に挨拶もなしにかけた言葉が、いきなりこれである。

「はい?」

「あれだよあれ。ほら、なんだっけ。書くやつ」

 書くやつ、と言われると、筆記用具の事だろうか。しかし、それは彼の目の前のペン立てにささっているので、よほど目が悪いとか天然だとか、そういう以外には有り得ないだろう。という事は、

「……報告レポートの事ですか?」

もしかして、と思い当たったので、言ってみた。

「そうそう、分かってるなら早く出してよ」

 すると、椅子にふんぞり返ったまま、こうだ。この人は、バイトを召使か何かだと思っているのだろうか。それとも、私を事務の方のバイトだと勘違いしているのだろうか。

「あー、そこ置いといて」

 しぶしぶ、棚の中から探し出してあげても、礼の一つ言いやしない。そのくせ、こき使っていた割に、私が

「あの、生徒さんが授業のスケジュールを変えたいと言ってるんですけど……」

と質問すると、こうきたものだ。

「何? バイトなのにそんな対応も分かんないの? 最初に言われたよね?」

 どうしてあんな事を言われなければいけないのか。訳が分からなかった。確かに此方はバイトだが、それにしたって馬鹿にし過ぎている。その前まで授業で、しかも授業でレポートまで出されてくたくたになっていたのもあり、一気に何かが切れた。

「許すまじ……」

 大体、そのような事務関係はよっぽどの事がない限り、いつもはその場で対応しているはずだ。それを、人が変わったからと言って突然人任せにするとは、あんな面倒くさそうな書類書かされる生徒さんの身にもなってあげてほしい。他教室からの応援だかなんだか知らないが、来る以上は此方の教室のルールに適応していただきたいものだ。それを、自分の事は棚に上げて、鬼の首を取ったようにここぞとばかりに説教するなど。大方、その直前にかかってきていた電話で謝りまくっていたから、その腹いせだろうが。やつあたりにも程があるというものだ。

 そして、極めつけはこの一言。

「え、何? まだいたの?」

 生徒に事情を説明し、教室の後片付けをして戸締りをして帰ろうとした私に向かって、あろう事かこのような暴言を吐いたのである。

「すみません、遅くなりました。生徒に先程の資料の説明をしていたもので、掃除するのも遅くなってしまいました。すぐ帰ります」

 一見丁寧な言葉であるが、これを疲れ果てて若干くまも出来つつある目に見つめられ、一切感情のこもっていない棒読みで言われてみてほしい。流石の上司も、これには気が付いたのか、

「あ、ああ。わ、悪かったね。お疲れ様」

慌てて先程の横柄な態度から、塾の講師らしい気遣いの溢れたものへと口調を変えた。

――今更取り繕ったって遅いんだよ。

 暴言は心の中だけに留め、カツカツカツとやや高いヒールから繰り出される威圧的な音をわざと大きく鳴らし、夜道を駆け足で進んだ。


 家に帰った私は、すぐさま日記帳を取り出すと、決意が冷めないうちに言葉を書き連ねていく。そして、覚悟を決めてから、机の一番上の引き出しを開けた。大事な物ばかりを詰め込んだこの空間。だからここだけは、あまり使わない所為もあり、整理整頓がいきとどいている。その中から、茶色い封筒に入った“重要書類”を取り出す。この日記と同じように少しずつ書きためていた、私の愚痴だった。

「ふっふっふ……」

 不敵な笑みを浮かべつつ、私はレポート用紙を取り出す。本来ならば便箋の方がよいのだろうが、まだ学生だし、そのぐらいは許されるだろう。パソコンにしないのは、私の本気を伝える為だ。手書きの字の方が恐ろしい事は、よく知られていると思う。

「出来た……」

 提出するにしてもしないにしても、こうやって対抗手段を持っているというのは気分が違う。差し詰め、護身用の痴漢撃退スプレー、といったところか。一アルバイトの言葉がどこまで届くかは分からないが、多少の火種ぐらいにはなるだろう。

 少しだけ枕を高くして、一限という悪魔との戦いに備え、その晩はとりあえず眠りにつく事にした。


 そんな訳で本日。病み上がりの上司の方には大変申し訳ないとは思うのだが、病状を悪化させてしまうかもしれない恨み辛みをにじませた、しかし私から見た事実を書き込んだレポート用紙を鞄に忍ばせてきたのである。

 嘆願書、とでも言えば良いんだろうか。名前はよく分からないが、多分そんなようなものであろう。

「こんばんは、逆木さん」

「こんばんは」

「昨日はごめんね。なんか迷惑かけちゃったみたいで」

「いえ」

 これだけの対応でも、いかに昨日の人が失礼だったかがよく分かる。そう、なんだかんだうちの教室の先生は敏腕なのだ。具体的に言うと、もめ事がもめ事にならないうちに処理してしまう天才なのである。

「あれでも、ここら辺で一番優秀な人なんだけどねー」

――あれが優秀、だと。

 ところが、見直しかけたのもつかの間、その言葉で、かろうじて残っていた最後の糸が切れた。わずかながらに残った、バイト先への信頼、という鎖が。


 もやもやした気分で授業をし、帰りがけに、私は鞄から例の封筒を取り出した。

「あの、これ」

「ん? 何かな? 改まって」

「私は、本気ですから」

 封筒を押し付けそれだけ言うと、踵を返し、私は逃げるようにしてバイト先を立ち去った。今頃、なんかの会議とかにかけられていたらどうしよう、とか考えながら。

 こうして、ついに恨み辛みがつまった嘆願書を渡してしまった。もう、後戻りはできない。


 そして、ここから本当の地獄も、幕を開けたのである。


ついに攻撃に打って出た逆木ではありますが、果たして上手くいったのか。

はたまた小娘の戯言だと、流されてしまうのか。

ここからはペースを上げて投稿したいところです……。出来れば。

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