第9話
空が、落ちてきた。
マカツの地に容赦なく降り注ぐのは、白銀の光矢による凄絶な豪雨だった。
それは物理的な矢などではない。神の絶対的な意志がそのまま苛烈な熱量へと変換された、消去の波動だった。光が触れた場所から、大地は硝子のように滑らかに溶け落ち、逃げ遅れた民たちは叫び声を上げる暇もなく、白い輝きの中に消滅していった。
「集まれッ! 俺の背後に隠れろ!!」
ニニギが咆哮する。
彼は鉄の大楯を地面に深く突き立て、その巨体を肉の壁として民たちを覆った。楯の裏に埋め込んだ黒い欠片が、降り注ぐ天の光を強欲に吸い込み、周囲に不気味な火花を撒き散らす。
ぎぎぎ、と鉄が悲鳴を上げる。
ニニギの腕の筋肉が、上空からの圧倒的な圧力に耐えかねて、ぶちぶちと不吉に断裂していく音が聞こえた。
「ニニギ、持ちこたえろ!」
「言われる……までもねえ! だが、このままじゃ……全員、焼き殺されるぞ!」
光の雨の向こう。空を覆う巨大な白金戦船の船首に、一人の男が傲然と立っていた。これまでの神兵とは、明らかに纏う気配の格が違っていた。
白い外套を羽織り、背中からは六つの光の翼が円環を成して生え出ている。その顔には、あの不快な面に張り付いた笑顔さえなかった。ただ、地上の虫けらを観察するような、冷徹なまでの「無」がそこにあった。
「……不浄なる種よ」
神軍の指揮官、アメノカグヤマが静かに右手を挙げた。
「一柱の同胞を害した罪。その血の一滴に至るまで、光の中に還してやろう」
カグヤマが指を弾くと、無数の光の雨が一点に収束し、ニニギの楯を真っ向から貫こうと巨大な光柱へと変貌した。
「が、はあぁッ!!」
ニニギが膝をつく。楯が熱で真っ赤に染まり、彼の両手の皮がじりじりと焼けて白煙を上げる。
その時だった。光柱の激しい渦中から、一条の黒い影が飛び出した。
「……貴様か。同胞を殺したのは」
カグヤマの乳白色の瞳が、わずかに細められた。
そこに立っていたのは、もはや人間の王ではなかった。
イワレビコの左腕は、今や巨大な黒い獣の爪へと変貌を遂げ、肩から首筋にかけて不気味な黒紋が脈打っている。黄金色に輝く左目は、神の光を真っ向から睨みつけ、その視線だけで大気を凍らせていた。
背負ったフツノミタマが、かつてないほど激しく鳴動する。それは歓喜だった。より強大な神の肉を欲する、剣のおぞましい渇き。
「……うるさいぞ、黒鉄」
イワレビコは掠れた声で呟いた。彼はまだ剣を抜かず、変質した黒い左腕を空へと突き出した。
――どおおおおんっ!
イワレビコの左腕から放たれたのは、絶対的な漆黒の衝撃波だった。
それは空を埋め尽くす光の雨を力任せにこじ開け、アメノカグヤマが乗る戦船へ向かって、暗黒の道を作り出した。
「ニニギ、民を連れて城の地下へ走れ!」
「イワレビコ! お前、一人で……!」
「行けと言っている! ……俺はもう、こいつを抑えきれん!」
イワレビコの全身から、底冷えする黒い霧が溢れ出した。彼は猛然と地を蹴った。
重力を無視したその跳躍は、まさに空を翔ける黒い稲妻だった。数千、数万の神兵が甲板から光の槍を放つが、イワレビコはそのすべてを、フツノミタマを抜かぬまま、黒い腕一本で叩き落とし、あるいは喰らいながら肉薄する。
「汚らわしい」
カグヤマが光の剣を抜き、迎撃の構えをとる。空中で、白と黒が激突した。
きん、という鋭い音が響いた後、カグヤマの光剣がイワレビコの胸を深く貫いた――はずだった。
「……何?」
カグヤマの表情が、初めて驚愕に引き攣った。
イワレビコは、自らの胸に突き刺さった光の刃を、黒い左手で無造作に掴んでいた。
焼ける音。血の蒸発する音。だが、イワレビコは歪んだ笑みを浮かべていた。血の涙を流しながら、獣の如く、獲物を捕らえた悦びに瞳を滾らせて。
「……捕まえたぞ、神め」
イワレビコの背後から、フツノミタマが独りでに固定具を離れ、彼の手の中に収まった。黒い刃が、戦船の白金の甲板を蝕むように黒く腐食させていく。
「さあ……怨念よ、渇きを癒やすがいい」
マカツの空が、真っ黒に染まった。
それは神へのただの反逆ではない。神という絶対の理をその肉ごと捕食しようとする、一匹の怪物の胎動だった。




