第21話 出征準備②
「――そう、問題ないならよかったよ。ご苦労さま」
フレゼリシア城の領主執務室。部隊集結と出征準備の進捗について報告を行ったアイリーンは、ウィリアムの労いの言葉に、軽く一礼して応える。
「この調子なら、出発の日時は予定通りになりそうだね?」
「はい。ロベルト様もそのように仰っておりました」
「じゃあ、決定かなぁ……アイリーンも大変だよねぇ、軍人じゃないのに戦場まで僕に随行するなんて」
「いえ、傍仕えとして当然の務めにございます。戦場においてもウィリアム様のお傍にお仕えできること、光栄の極みと存じます」
たとえ戦場であっても、傍仕えは主に付き従う。野営中の身の回りの世話、鎧の装着をはじめとした戦支度の手伝い、領軍隊長をはじめとした各方面との連絡役などを務め、副官のような役割を担う。究極的には護衛さえも務める。そのために、アイリーンには多少の剣術の覚えもある。
傍で主を支え、苦楽を共にすることで、いずれアーガイル家そのものを支える家令となる。父エイダンが若き日に辿った道のりを自分も辿る。アーガイル家に尽くすことが使命であると教育されたアイリーンにとって、傍仕えの仕事の全ては学びであり、修行であり、そして喜びだった。
「あはは、ありがとう。アイリーンがそれだけ意気込んでくれてるのなら、僕もますます頑張らないとねぇ……あ、ところでだけど」
「はい、何でしょうか?」
「ギルバートとの関係は、進展させなくていいの?」
問われたアイリーンは、彼女としては珍しいことに質問の意味を理解できず、思わず首を小さく傾げる。そしてすぐに主の言わんとすることを察し――僅かに頬が赤くなる。
「アイリーン、大丈夫?」
「はい、あの……畏れながら、いつ頃から気づいておられたのですか?」
「うん? えっと、そうだねぇ。何年か前から、アイリーンがギルバートに向ける視線を見て、多分そうなんだろうなぁと思ってたよ。それで、ギルバートの方もアイリーンに気があるみたいだから、二人ともどうするのかなぁと思って……」
「……左様ですか」
答えながら、アイリーンの心は落ち着かない。傍仕えとしての仕事に関しては常に冷静さを保つよう心掛けているが、個人的なことに関しては人並みに感情も動く。不意に内心を言い当てられれば動揺もする。言い当てたのが、幼い頃から世話をしてきた年下の主となれば尚更に。
「それで、僕としてはアイリーンには一人の人間として幸せになってもらいたいし、もちろんギルバートに対してもそう思ってて。いつ何が起こるか分からない時代になっちゃったし、家臣のそういう話を繋ぐのも当主の仕事のうちだし、今は僕がアーガイル家の当主だから、何か動いた方がいいのかなぁと思って。二人が幸せになって、側近家の関係が強固になるのなら、僕としても嬉しいから……だけど、余計なこと聞いちゃったかな?」
「いえ、そんな、決してそのようなことは」
申し訳なさそうな顔になるウィリアムに、アイリーンは慌てて首を横に振る。主の前で慌てることなど、本当に久しぶりだった。
「……彼に気持ちを伝えたいとは思っていました。ですが、ウィリアム様もご存知の通り私はあまり積極的な性格ではないので、なかなか行動に移せずにいました。今こうしてウィリアム様よりお言葉をいただいたことで、決心がつきました」
胸の内で気持ちと言葉を整理しながら、アイリーンは語る。
「彼に気持ちを伝え、彼との結婚について父にも相談します。戦争から帰ったら彼と結婚できるように話を進めるお許しを、閣下よりいただければ幸いです」
「うん、もちろん……あ」
そこで、ウィリアムは何かに気づいたような顔になる。
「でも確か、『この戦争が終わったら結婚する』とか、そういう帰還後の約束を戦争の前にするのはすごく縁起が悪いんじゃなかったけ。軍人たちの間ではそういう言い伝えがあるって、ギルバートから教えてもらったことがあるよ」
「そ、そうなのですか?」
ウィリアムの語った話に、アイリーンは目を小さく見開いて言う。
「……ごめんね、間が悪いときにこんな話をしちゃったね」
「いえ、そのようなことは……では、出征前の今は、後悔がないよう彼に気持ちだけを伝えます。求婚はまた後日、無事に帰還した後に」
「うん、それがいいかもね。二人を結婚させるためにも、ちゃんと勝って帰らないと」
はにかみながら言ったウィリアムに、アイリーンも微笑して頷いた。
・・・・・・
報告を終えたアイリーンは、別の仕事のために領主執務室を一旦離れる。
フレゼリシア城の廊下を歩きながら、主との先ほどのやり取りを頭の中でなぞりながら、自然と表情が綻ぶ。
「……」
他の家臣たちと同じように、アイリーンもまた、ウィリアムに強い忠誠心を抱いている。
もちろんそれは、ただ彼が持つアーガイル家の直系の血統のみに向けられるものではない。血統だけに心からの忠誠を誓う家臣など、世にどれほどいるだろうか。
良くも悪くも繊細で、弱音を吐きがちで、物事を後ろ向きに考えがち。それも彼の一面には違いない。しかし、努力家で善良な青年であることもまた彼の一面。それこそが彼の本質。
自分は彼が幼い頃から、彼の傍仕えとして付き従ってきた。彼が地道に努力を積み重ね、試練を乗り越えながら少しずつ成長していく様を、誰よりも近くで、誰よりも長く見てきた。領主として多忙だった彼の父ジルベールよりも近くで、彼が十二歳の時にやってきた伴侶ジャスミンよりも長く見守ってきた。
だからこそ、自分は誰よりも強い実感をもって彼の本質を知っている。彼は為すべき努力から決して逃げようとしない。困難な現実に怯み、現実の厳しさを嘆くことはあれど、その現実そのものから逃げはしない。
彼はあの繊細な、決して勇ましくはない心で、しかし躊躇なく現実を受け入れる。仕方ないとため息を吐きながらアーガイル家当主としての義務に臨み、会うのが怖いと呟きながら大貴族家の当主たちと会談し、どうしようと迷いながらも最後にはつくべき陣営を決め、死にたくないと嘆きながら全力で戦いに備える。
何故なら、彼は幸福な人生を求めるから。アーガイル家の治めるこの地で幸福に生きることを望むから。そして彼の幸福には、家臣と領民たちを正しく庇護することも含まれる。
勇ましさだけが強さの形ではない。ウィリアム・アーガイル伯爵は己の存在をもって、その事実を証明している。だからこそ、家臣たちは彼を強き主と認め、守り支える。
これが、ウィリアムと自分たち家臣を繋ぐ絆。何か劇的な出来事を経て結ばれたわけではない。そのような特異な出来事など起こらない、長らく平和と安定の続いたアーガイル伯爵領で、彼と家臣たちは時間をかけて信頼を築き、互いに絆を繋いだ。
ウィリアム・アーガイル伯爵。優しく慈悲深く、可愛らしくいじらしい、我らが主。父エイダンや、愛する人であるギルバートや、その他の家臣の皆と共に、守り支えるべき当主様。この忠誠と献身を、これからも貴方に。




