第20話 出征準備①
三月。春らしい空気が大陸東部を包んでいく中で、情勢は着実に動く。
「モンテヴェルディ子爵家より報告が届きました。王領東部において、第一王子派と第一王女派の武力衝突が始まったそうです。第一王子派が監視拠点としていた砦に、第一王女派の部隊が攻撃を仕掛け、陥落させたとのことです」
「うへぇ。冬が明けたばっかりなのに、もうそんなことしてるんだぁ。去年のうちから貴族を処刑したりしてただけあるねぇ。血の気が多いねぇ」
領主執務室を訪れたエイダンの言葉に、ウィリアムはげんなりした表情で答える。
「第一王女派としては、昨年に王都で派閥貴族の数名が処刑されたことへの報復を、先制攻撃の名目として掲げているそうです。一方の第一王子派は、昨年の処刑は謀反人たちへの刑罰であり、なおも第一王子への正当な王位継承を妨害し続ける第一王女派を武力で鎮圧すると宣言したとのことです。実質的に、両陣営とも完全な戦争状態に突入したと見るべきでしょう」
「……戦争状態かぁ。本当に始まっちゃったねぇ」
覚悟はしていた。備えも進めてきた。それでも、いざ国内で戦争が始まったという報告は、やはり重かった。戦火そのものは未だこの地から遠いが、だからこそ現実の重さに対して実感がまだ伴わず、心が浮足立つ。
「また、もう一点お伝えすべきことが……アルメリア侯爵領レアンドラにて、ミランダ・アルメリア侯爵閣下の名において、レスター公爵家を糾弾する声明が布告されているとの報告が入っております」
「レスター家を糾弾?」
「はい。周辺の貴族家と共謀して戦争の準備を進めるレスター家は、アルメリア家と、その同志である全ての貴族家にとって重大な脅威である。かつての動乱の時代、卑劣な行いをもってアルメリア王国を滅亡に追い込んだレスター家の蛮行をくり返させないために、アルメリア家は断固として対抗し、自家と同志たちを守る。武力の行使も辞さない。そのような宣言がくり返し布告されているそうです。市井の噂や商人たちによる情報共有、そして各貴族家の諜報員による報告などで、この布告はアルメリア侯爵領の周辺に広まっているものと思われます」
アーガイル家やバルネフェルト伯爵家のような主要貴族家は、どこも専任の諜報員を抱え、自領の周辺に配置して情報収集を行わせている。そこまでの人的余裕のない小貴族家も、お抱えの商人などに周辺情勢を探らせ、報告させている。
そうした者たちの働きもあって、ミランダによる布告は、既にアルメリア家の陣営やその外まで広まっているはず。おそらくはミランダ自身も、すぐに情報が拡散されることを見越してこのような布告を成している。
そして、彼女がこのような内容の布告をする理由も明らかだった。
「武力にまで言及したのかぁ……大軍を動員してレスター家の陣営と戦うための、大義名分作りだろうねぇ」
「それで間違いないかと存じます。おそらくはレスター家の側も、似たような理屈を喧伝して動員の口実を作っていることでしょう。あちらに送り込んでいる諜報員からの報告も、もう間もなく届くはずです」
レスター公爵領には、アルメリア侯爵領レアンドラのような際立って大きな都市がない。領地の東端、沿岸部に人口数万の都市が三か所あり、そのうち一つの港湾都市が領都と定められ、レスター家の拠点となっている。
アーガイル家の諜報員はその方面にも置かれており、レスター公爵クリフォードがミランダと同じような振る舞いをしているのであれば、その事実を報告するための書簡などがこのフレゼリシアに向けて運ばれている頃合いだった。
これまでも両家は互いの戦争準備について「深く憂慮している」「愚かな考えを改め、野蛮な挑発行為を直ちに止めるよう求める」などと非難し合っていた。が、「断固として対抗し、自家と同志たちを守る」こと、そのために「武力の行使も辞さない」ことをミランダが公式な布告という形で明言したのであれば、それは今までよりも大きく踏み込んだ政治的意思表示となる。
クリフォードも同じような意思表示をしているとなれば。ミランダとクリフォードそれぞれの意思表示が、互いに相手側に伝われば。それが最後の一押しとなり、両者は軍事行動に乗り出すだろう。自家の陣営を守り、大陸東部の秩序を維持するために……などと語りながら。因縁の敵であるミランダとクリフォードは、しかし開戦の口実作りという点に関しては、互いに相手の意図を読み合い、協力し合いながら望む状況を作り進めている。
「……じゃあ、いよいようちも出兵だね」
「はい。もはや、いつアルメリア家より要請があってもおかしくないものと存じます」
ウィリアムのため息交じりの呟きに、エイダンはいつも通りの生真面目な表情で頷く。
アーガイル伯爵領はアルメリア侯爵領とレスター公爵領を繋ぐ主要街道からは外れた位置にあるため、領内が直ちに戦場となる可能性は低いが、それでも最前線に近いのは確かであり、自領を守るためにも呼ばれたら速やかに戦場へ向かわなければならない。
「レスター公爵領からの報告をはじめ、新たな情報が入り次第、お伝えいたします」
「うん、よろしくねぇ」
エイダンは整った所作で一礼し、領主執務室を出ていった。
それから三日後、レスター公爵領も似た状況であることが諜報員より報告された。
そしてさらに一週間後。レスター家とその一派の軍事的脅威に共に対抗するため……という名目で、兵を出すようアルメリア侯爵家より要請が届いた。集結の期限は四月の末と定められた。
・・・・・・
アルメリア家の陣営の集結地点は、アルメリア侯爵領の北東端、ハイアット子爵領との領境の辺り。アーガイル伯爵領から見れば、南東側に目と鼻の先。
そのため、集結期限を考えるとある程度の時間的余裕がある。のんびりできるわけではないが、しっかりと準備をしてより万全の状態で出撃することが叶う。
アーガイル家から送り出す兵力は、領軍の半数である五百。任期制兵士から二百。そして徴集兵が千八百。合計で二千五百。領内の治安を維持したり、念のためにレスター公爵領との領境に監視と防衛のための兵力を張りつけたりすることを考えると、領外に送り出せる規模としてはこれが現実的な限度。
そのうち千八百の徴集兵は、フレゼリシア近郊に置かれた野営地へ続々と集合している。領軍騎士たちが各都市や村落へ招集命令を届け、優先的な従軍義務のある元任期制兵士の領民たちが、あらかじめ定められている人数、送り出されている。
到着した徴集兵たちは、正規歩兵たちの下で部隊分けされ、戦場で組織立って行動するための最終的な訓練を開始する。なかでも騎馬突撃への対抗を想定した長槍兵たちは、これまでよりもさらに実戦に近い訓練――領軍騎士たちを敵役として、騎馬突撃を迎え撃つ訓練に臨む。
「決してその場を動くな! 槍衾は部隊の全員が踏みとどまることで初めて効果を発揮する! 下手に逃げればかえって死ぬ確率が上がるぞ!」
長槍兵の一隊を鼓舞するのは、実戦で彼らを率いることになっている領軍歩兵部隊の古参士官。騎士としての叙任も受けているその士官は、アーガイル軍の戦術の要となる長槍兵たちを、こうして自ら鍛えている。
隊長の命令に従い、身長の倍以上もある槍を構えて並ぶ長槍兵部隊に迫るのは、騎士バーソロミュー率いる数十騎の騎士たち。彼らは三列の横隊を組み、馬首を並べて今まさに騎馬突撃を行っている。
一騎で五百キログラムを優に超える騎士が、数十騎集まっての突撃。馬が地面を蹴る音の波が、地鳴りのように伝わる。迎え撃つ長槍兵たちから見れば、まるで壁が迫ってくるかのような凄まじい威圧感。
その圧倒的な迫力を前に、しかし長槍兵たちは隊列を維持する。さすがに怖いのか、身じろぎをして動揺を見せる者も少なからずいるが、それでも槍を捨てて逃げ出すような者はいない。
長槍兵に十分に迫った騎士たちは、そこで馬首をめぐらせて方向転換する。槍衾の十数メートル手前で、次々に右あるいは左に向けて走る。
迫りくる騎馬の壁が消え、威圧感がなくなったことで、長槍兵たちの間には安堵の空気が漂う。彼らは安堵しながら、それでも槍は下ろさず、陣形も崩さない。
「……いいだろう! 槍衾を解いて休め!」
士官の許しを得て、任期制の兵士と徴集兵から成る五十人の部隊はようやく立ち上がる。緊張を解き、息を吐く。
「お前たちよくやった! 実戦でも今の勇気を発揮しろよ! 実際の戦場では、後ろからアーガイル伯爵領軍の誇る弓兵部隊も全力で援護してくれる! この槍衾を堅持すれば必ず敵を撃退できるだろう! 矢の雨を受けながら強固な槍衾と対峙すれば、敵の騎士たちは突入を諦めて去るかもしれないぞ!」
徴集兵たちを安心させ、鼓舞するように、士官は語る。
いよいよ本物の戦争に臨むことになる長槍兵たちに、騎馬突撃が迫ってくる経験をさせ、その威圧感に慣れさせ、実戦で逃げ出さないよう度胸をつけさせる。これはそのための訓練だった。
やや離れたところからその様を眺めるのは、親衛隊長である騎士ギルバート。領主ウィリアムに代わって訓練の進捗を確認しに来た彼のもとへ、騎馬突撃を終えたバーソロミューが近づき、下馬して声をかける。
「よう、親衛隊長殿。訓練の視察か?」
「ああ、そんなところだ……長槍兵部隊の完成度はどうだ? 見たところ問題ないようだが」
尋ねられたバーソロミューは、愛馬の首を撫でてやりながら長槍兵たちの方へ視線を向ける。
「さすがは長槍を任されてるだけのことはあるな。どの部隊も陣形を崩さずに耐えてみせた。逃げ出す奴も皆無だ。こっちもなるべくぎりぎりまで迫ったから、一度くらい敵前逃亡も起こるかと思ったんだがな」
「そうか、何よりだ。これも、前回の動乱の時代から軍制が維持されてきたからこそだな」
動乱が終わって比較的平和な時代となってからも、正規の領軍に加えて任期制の兵士を育て、戦時に質の高い徴集兵を動員できる体制を守り続けた。徴集兵たちが真面目に戦うよう、領主家は善政に努め、領内社会からの支持を保ってきた。特に重要な長槍兵たちに格別の栄誉を与え続け、十分な志願者が集まり役割を果たすよう苦心し続けた。
代々のアーガイル伯爵の六十余年にわたる努力。その結果として、新たな戦争を前にしたアーガイル家は質と量の両面で精強な軍勢を揃えることができている。
「おう。これだけの体制で戦うなら、少なくとも俺たちアーガイル軍が敗戦の原因になることはないだろうよ。勝因になることは十分あり得るだろうがな」
自信に満ちた笑みを浮かべて言うバーソロミューに、ギルバートも微笑を浮かべて首肯する。
おそらく万を超える軍勢が激突するであろう戦争、アーガイル軍の二千五百だけで戦況を動かすには限界がある。しかし少なくとも、アーガイル軍は故郷と民と主家を守るために、出し得る最大限の力をもって戦いに臨むことができる。現実に望むことのできる最良の状況が、周到な準備の末に形作られた。
「……」
騎士たちのもとへ戻っていくバーソロミューの背を見送りながら、ギルバートは考える。
これで、主ウィリアムのために全力で戦うことができる。アーガイル家が与えてくれる庇護と、ウィリアムが与えてくれる慈愛に応え、軍人としての存在意義を真に発揮するときがいよいよやって来た。
領軍将兵をはじめ、アーガイル伯爵家の家臣の多くは、代々が同じ職業を受け継ぎながら主家に仕えている。そうでない者たちは、能力を認められて一般平民の立場から登用されている。
そして、少なくともこの数代のアーガイル家当主は、善政を行う為政者として知られている。結果として、己の働きを正しく評価し、己や家族や財産や故郷への庇護を与えてくれる主に対する家臣たちの忠誠は厚い。
それは当代当主であるウィリアム・アーガイル伯爵個人に対しても。
先代当主ジルベールは継嗣の教育方針として、ウィリアムが幼い頃から家臣たちと接するように育てた。ウィリアムは領軍将兵を含む家臣たちに見守られながら育った。だからこそ皆、次期当主であるウィリアムの人柄をよく理解している。
穏やかで心優しく、繊細で、それ故に世間からは軟弱で頼りない貴族だと誤解されがちなウィリアムは、しかし実際は庇護者として持つべき資質を持っている。そのことを、ギルバートたちは知っている。
ウィリアムは決して勇ましい質ではない。分かりやすい威厳はない。領民たちが相手でも柔和な態度を崩さず、家臣、特に側近たちの前では素直に感情を露わにする。困難を前にすると動揺し、嘆き、ときに弱音を吐く。
しかし、彼は困難から逃げない。狼狽え嘆き弱音を吐きながら、それでも乗り越えるべき壁を乗り越えようと努力する。
次期当主として必要とあらば学ぶことを厭わず、幼い頃から猛烈に勉学に励んだ。多くの書物に触れるうちに読書そのものが彼の趣味となった。文武両道であらねばならないと先代当主ジルベールに言われれば、苦手な武芸や馬術の訓練にも臨み、次期最高指揮官として領軍の訓練にも参加した。肉体的には貧弱な彼は、辛い苦しいと嘆き、痛いと泣き、ときに嘔吐までして、それでも訓練を止めたいと言うことだけは一度もしなかった。
十八歳にして予想外に早く当主の座を継いでから、舞い込んだ膨大な政務に、ひいひい言いながらも向き合い続けた。巨大な責任に気圧されて大いに狼狽えながら、しかしやはり逃げることはせず、その重責に立ち向かい、あの細く貧弱な身体で運命を受け入れた。
そして今。己と家族、家臣と領民全ての命運を左右する決断を、彼は下した。想像するだけで心臓が潰れそうなほど重い決断を、しかし側近たちに丸投げすることなく、彼はアーガイル家当主として自らの名において下した。避け難い動乱から目を逸らさず軍備を整え、いよいよ始まる戦争に自ら軍を率いて臨もうとしている。
彼は逃げない。それを行動で示してきた。今もなお示し続けている。
そして彼は、家臣を不当に評したり粗雑に扱ったりすることは決してしない。領民たちに対して横柄に残酷に接したことは一度もない。いずれアーガイル伯爵領の主になる者として、子供の頃から皆に惜しみなく慈愛を振りまいてきた。成長し、真にアーガイル伯爵領の主となってからもそれは変わらない。
なれるかは分からないが、父のように自分もなりたい。代々のアーガイル家当主のように、自分も家臣や領民の皆を庇護し、皆と共に平和に幸福に暮らしていきたい。
努力を惜しまず、庇護下の者たちに慈愛を注ぎ続ける理由を、当主の座についたウィリアムはそのように語った。彼の言葉を疑った家臣はいなかった。
ひたむきに努力し続け、己の義務から目を逸らさず、そして善良であり続ける。そんな人物を主と仰ぐことができるのが、主に信頼を裏切られないと確信しながら仕えられるのが、軍人としてどれほど幸運で幸福なことか。
普段の彼の言動は彼の個性の一面に過ぎず、彼の本質ではないと、家臣たちは知っている。彼はずば抜けた傑物ではないかもしれないが、領外の余所者から領主貴族失格などと笑われていい人物ではないと、皆が知っている。
軍人は主のために命を懸ける。必要とあらば命を捨てる。
いじらしく善良で、家臣と領民を正しく庇護しようと努め、だからこそときに狼狽え嘆き弱音を吐く、守るべき愛すべき主。ギルバートたち領軍将兵は、アーガイル家の新たな当主となったウィリアムの決断に従って命懸けで戦おうと決意している。いざとなれば彼の盾となって死ぬことを覚悟している。ウィリアムは命を捧げるに足る主だと皆が認めている。ウィリアム自身が、その半生を通して皆に認めさせた。
その決意を行動で示す時が、軍人としての覚悟が本物であると証明するときが、ついに来ようとしている。アーガイル伯爵領の命運を左右する極めて重要な戦いを前に、出征する領軍将兵たちの士気は極めて高い。




