40.ほどよい天才
胡坐をかいたまま、洋介はこちらに体を向けた。
「だれ、学校の人?」
洋介は首を縦に振った。
「あそこにいるってわかってたのか」
「神宮百貨店でときどき見かけるって、噂が流れてたから」
恥ずかしそうに目を反らす。
「ただの知り合いに向かって、走って行ったのか?」
「知り合いかすら、わからない。向こうが俺のことを覚えてるかどうか」
洋介の腹の音がぐうううと低く部屋に鳴り響いた。そういえばデザートを食べ損ねている。
「デザートなんだった?」ふいに乞うように、こっちを見上げた。
「なんだったかな。あ、ココナッツ饅頭」
「マジか。ココナッツ饅頭、好きなのに。おれの、誰が食ったんだよ」
「母さんかな」
「なんだよ、配なんかしてないじゃんか」
「勝手に出て行くやつの心配なんか、誰がするか。お前のココナッツ饅頭は、ジャンケンして、誰が食べるか決めたぞ」
「ひでー!」
「ひどいなんて言葉は自分に使えよ。急にいなくなったおまえを心配しないやつがあるか? 父さんと母さんの気持ちも、少し考えろ」
洋介はばつが悪そうに鼻をかいた。
「みんな洋介を信用してるんだ。すぐ戻るって言ったから、信じて待ってたんだ。自分のことに一生懸命になるのは良いけど、周りのことも考えろよ」
洋介は下を向いたまま黙ってしまった。
「それで、どうしてそんな子を追い掛けてったんだ?」
頭をかきながら、洋介は「兄ちゃんも、こっちに座って」と手招いた。
北高台中学校は、県下で比較的優秀な私立中学だ。私立ではまだ少ない共学校で、男女変わらない比率の生徒たちが、毎朝校門をくぐっている。
遠方から来た生徒のためには、学校のとなりに寮が完備されている。遠方からわざわざ受験にくる子供も少なくなかった。
北高台中学の上には、同系列の北高台高等学校がある。北高台高校は一流大学進学率六十パーセントを誇る名門校である。北高台中学の生徒たちは、クラスで上から三分の一ほどの成績であれば、エスカレーター式で同列の高校に進学することができる。高校からの受験となると入試の難易度が上がり合格することは困難になるが、比較的競争率も低く、入試も努力すればなんとかなる中学受験から突破していれば、要領が良く北高台高校にも入学可能だ。
若林洋介はどういうわけか、北高台中学に通うことになった。彼は小さいころからとりわけ努力もせずに、一通りをこなすデキスギ君であった。勉強などしなくても、テストで百点を取ることは当たり前である。小学校の幼稚な問題は、授業を聞いているだけで、苦労もなく暗記と理解を深めた。
六年生も終わりの三学期。ためしに受けたいくつかの私立中学校に、受験勉強も経験せず、ことごとく受かった。北高台など眼下にも置かない、さらに難関学校にも受かってしまった。
世の中には、ほど良い天才というのがいる。彼はエリート街道まっしぐらの難関中学に行くのではなく、ほどよい天才にちょうどいい中学校を選んだ。
迷うことなく決めたのは、自由な校風が気に入ったからなのか、はたまた家から一番近かったからなのかは、だれも知らない。自分の気持ちを父さんや、母さんに話すようなやつではない。おれにだって大した話はしない。




