13.弟、先に行こうとする
白井は喉を鳴らして水を飲むと「用は済んだよね。今日はそろそろ帰ったら」と言い放った。
なにか、気に障ることでもしたのかと思った。突き放したような言い方だった。帰ろうと部屋を出るとき、「じゃ」とこちらを一目見てそっけなく言い渡された。
彼女は置いてあった本を取り上げると、机に立てて広げ、そのままページのあいだに顔を埋めるように、机に顎を乗せるのだった。そのまま顔を上げない彼女を尻目に、玄関から外に出たのだが、なんとなしに振り返ったら、あのサビ猫がちょこんと座っていた。
なぜ急に白井の愛想が悪くなったのかわからないが、今後、いつでも自分の部屋として、一室を求めてもいいのだ。おかしなことになったが、これまでは弟と同部屋で、料理の研究も思うようにいかず、台所も隠れて使わなくてはいけなかったし、食材代も限られていた。
白井の素性はよくわからないが、自由に使える部屋を提供してもらえて、食材代ももってもらえて、作ったら他人の食事になることはもっとも望んでいる形であり、常識ならありえない環境である。彼女は弾んだように「ラッキー」と口走っていたが、本当にラッキーなのはぼくだったりして。
「兄ちゃん、今日の晩飯どうする?」
振り返ると、弟の洋介が読みかけの漫画から顔を上げて、こっちを見ていた。なんだって弟の名前はまともなのだろう。恨んだことはないが羨ましいとは思う。
洋介がこんなことを聞いてくるのは珍しい。食事の仕方は二通りあるが、いつも家で適当に食べる選択しかしないのに。
「久しぶりにあっちで、食べたい気分なんだけど」
弟が手に持っているのは、青年誌の料理漫画だった。なんと珍しい。家では見かけたことがないので、友達から借りてきた漫画だろうか。
「まだ早くないか? お菓子、開けてしまった」
もう少し晩飯は先になるだろうと見越して、お菓子の袋を開けてしまったのに、報われない。洋介は面倒くさそうに深い息を吐いた。
「ああ、そんなの食べてるのが悪いんだろ、こんな中途半端な時間に。待てないからな。もう行くよ」
洋介は一人で勝手にぶつぶつ言い捨てると、漫画を置いて、上着を着始めた。兄の事情はまったく構わず、すぐにでも出発しそうである。昔はいつでも兄ちゃんと一緒じゃないといやだって言ってたくせに、いつの間になんでも一人でしようとするようになったのか。洋介はすでに玄関まで行き、靴を履いている。でも本当に一人で行くのかというと――。
「なにやってんだよ、少ししか待たねえからな。早くしないと置いてくぞ」
という声が玄関から響いてくるのである。やっぱりなあと思いながら、行く末を見守っていたぼくも、よっこらせと立ち上がり、上着のかかっているハンガーに手をかけた。
この季節は気温の変化が激しい。外は昼間とは違い、風が吹いて若干寒かった。薄暗い空に、街灯がすでに灯っていた。




