輝き町友愛銀座商店街
家の裏手の道から1キロくらい行った先に、今は放置されている自動車修理工場があり、息子が積み上げられたタイヤに登ったり隠れたりする光景が父親の脳裏に浮かんでいた。息子はここが一番好きだと言っていた。その場所は高台になっていて、そこに上って町を見下ろすと道が川のように見えるんだと大介は言っていた。そこは大介と大介の亡くなった母親の秋乃と3人でピクニックに行った場所だった。
秋乃は「ここ、素敵でしょう? 誰も来ない穴場よ。ここから町が見下ろせるのよ。桜の木が3本もあるの。春になったらここでお花見をしましょうよ」と言っていた。春の花見はせぬままに妻は逝ってしまったが。
積み上げられたタイヤに座る息子の後ろ姿を見て、父親は安堵した。
時計を見ると午後2時を回っていた。
「大介」
父親は八尾の隣に腰を下ろした。
「どうした?」
「どうも」
「怪我をしたんだってな?」
「ん・・・」
「なんでも父ちゃんに言えよ」
「あら〜大ちゃんこんな所にいたの? 嫌だわあ、汚ったないところねえ。うわあっゴム臭い」
「ついて来たのか・・・」父親が不機嫌な声で言った。
「あら、心配して来たんですよ」
すると八尾が「お前なんか入ってくるなっ」と怒鳴った。
美緒は微笑みを浮かべながら「そんなひどい事を言わないで、大ちゃん。大ちゃんは時々酷い癇癪を起こすのよ。甘やかされて育っちゃったのね、きっと」
父親は息子が癇癪を起こしたところなど一度も目にしたことがない。甘やかされて育った?父親の頭に血が上った。
「美緒さん、大介と二人にしてくれなか?」
「あなたも随分大ちゃんに甘いのね。私は泉先生と相談しながら、これからの大ちゃんのことを考えているんです!このままだったら大ちゃん・・・・・」
「このままだったら何だ!お前に大介の何がわかるんだ!大介は俺の子だ!余計なことをするなっ!お前は帰れっ!」
父親が怒鳴った。しかも、いつも一言二言しか言わない父親がこんなに沢山の言葉を一度に使って怒鳴ったのだ。八尾もびっくりしたが美緒も驚いたようで、愛想のいい笑みが美緒の顔から消えた。綿菓子のような優しく愛らしい笑顔が消えると、美緒の顔は冷たく氷ついた塊のように見えた。
父親はこの顔を息子は毎日見続けて来たのかと思った。そして恐ろしさを覚え迂闊だったと反省した。
美緒はくるりと背を向けると、荒々しく自動車修理工場を出て行った。
「父ちゃん、俺、本当の母ちゃんがいい!」八尾が言った。
「俺もだ」
「・・・・ええ?」
「父ちゃんも、母ちゃんがいいぞ」
「うん!」
「母ちゃんは最高だったな!」
「うん!」
「母ちゃんがいないって、最高に悲しいな!」
「うん。めちゃくちゃ悲しい!」
父親と息子はタイヤの上に並んで座って、一緒に泣いた。
ゆっくりと陽が落ちて、街灯の灯が灯った頃、二人はようやく立ち上がり父親が
「大介、ラーメン食べるか?」と言った。
「母ちゃんそっくりだね」今日初めて見せる笑顔で、八尾が言った。
店に戻ると焼き鳥うまひまが、「やっと帰って来たよ〜」と言いながらヘナヘナと椅子に座り込んだ。
「おっ忘れていた。悪い悪い」
「酷いね〜 バイト代もらうよ」
「少しは売ったのかい?」
「売れた売れた。あんた、儲かってるねえ。あんまり客が来るもんだから、途中でスーパーどっちもにも助っ人に入ってもらったのよ。どっちもが客にどうしてうちのスーパーで野菜買わないのって聞いてたよ」
「こっちの方が新鮮だって言ってたかい?」
「ピンポ〜ン」
「どれだけ売れたのかな」
「知らん。途中でわからなくなっちゃってさ、適当な値段で売ったから」
「で、どうなったのよ!」スーパーどっちもの社長が半分降ろしたシャッターをくぐりながら入ってきて聞いた。
「何が」
「何だよ、美緒ちゃんだよ。えらい剣幕で帰って来てさあ、大荷物持って出て行ったぜ。
うまひまが声をかけたんだよ」
「そう。美緒ちゃん、旅行かい?ってさ。美緒ちゃんの返事は簡潔だったな」
「うん。うるさいっ だったからな」
「美緒ちゃんの形相見たら、普通旅行だなんて思わんでしょう?」
「いや、僕はスーツケースを見たのよ。あれは旅行カバンて言うんでしょ?」
八尾はテーブルに置かれた書き置きを見つけた。
「実家に帰ります」とだけ書いてあった。
翌日の早朝、電話が鳴り響いた。
「・・・まだ6時半じゃないか!誰だ?!
「八尾さんですかね?」
「そうですが」
「私、美緒の父親の梅里といいますがねえ」
「あ、これはご無沙汰しております」
「ご無沙汰なんかどうどうでもいんだがね。あんた、大概にしてもらわなきや敵わんですよ。せっかく娘が親切で家に入ってやったのに恩義のないこと甚だしいですよ。呆れ返りますわ。娘は別れて欲しいと言ってます。
普通なら慰謝料もらってもいい話ですよ、これは。娘はまだ若いのにバツ2ですからね!可哀想に!!近いうちに残りの荷物を取りに行かせますからね。引き止めたってダメですよ。下手に引き止めたら、あんた、訴えますからね」と一方的に言って電話が切られた。
誰が引き止めるか! 美緒は、父親にはどんな話にして伝えているのか想像がつく。婚姻届けを出していなくてよかったと思った。