輝き町友愛銀座商店街
翌日美緒がやって来た。そして美緒の父親と同じに一方的に捲し立てた。
「私は一生懸命にやりました!奥様に死なれた人となんか一緒になったら苦労すると散々言われたけれど、苦労を覚悟で来てみれば息子は意地が悪い。思いやりも礼儀もない。あんな子供は私の手には負えません。貴方も私のことなんか少しも見てくれず、無責任に子供を私に押し付けるばかり。もう沢山です!嫌なことばっかりだったわ。別れてください」と言って、連れて来た目つきの悪い弟と二人で荷造りをして出て行った。美緒がお押しかけて来てから4ヶ月の間の出来事だった。
「速かったな!」焼き鳥のうまひまが八尾の父親のグラスにビールを注ぎながら言った。
「何が?」
「またまた。惚けちゃって。女房に逃げらるまでの期間の短さの記録だよ」
「女房じゃあないよ」
「まあ、俺はあの子を女房にするのはどうかと思っていたよ」とスーパーどっちも。
「何でよ?いい人そうだったのに」と首を突っ込んで来たのは「生花チェランキ」の主人。
「まあ、お互いのコミュニケーション不足ってところかな?」八尾の父親が答えた。
「あんたの場合、コミュニケーション以前の問題よ」
「どう言うことかな?」
「大体センテンスが短すぎるんだ。ぶっきらぼうなんだよ。あんたの主な日常用語はこれでしょ」
「飯」「食べる」「いらん」「来い」「風呂」「寒いぞ」「暑い」「お茶だ」「大介 宿題は(時に名前を省略)」
「もっと食え」「食い過ぎだぞ」「医者へ行け」「遅い」「とっとと行け」「好きにしろ」
「これだけで1年間を賄えるんだものな」
「まあ、そうだな」八尾の父親は笑った。そしてこの結婚がダメになったことを心から喜んだ。
庭子は八尾の4ヶ月の苦境を全く知らずに過ごしたていた。それは八尾が笑っていたからだ。
「あの時学校があって本当によかったなあって思ったんだ。泉先生に小言を言われることだって温かく思ったな」
そんなに辛い時を笑って過ごせた八尾だから、恋人の死を飲み込んで冗談なんかが言えるのだ。
「ダーティーのコーヒー 奢るぜ」
「え?」
「おお、行って来い」
八尾の父親が八尾の言葉を聞きつけて、笑顔で促した。
八尾くんのお父さんは、八尾くんの悲しみを知っているから、笑顔で行って来いなんて言うんだわ。
でもいつか同級会の帰りの八尾からのお茶しない?が今日実現するとは思ってもいなかった庭子だった。店は「ダーティー」だけど、良しとしよう。
「友利は暇だろ?」
言い方は気に入らないが、八尾くんの事情が事情なのだから許そう。庭子は笑顔を作ってみたが頬が引き攣ったので、いつもの真顔に戻した。
喫茶ダーティーは1本裏道に入ったところにあり、目の前に小さな公園がある。そのお陰で店の中に入るとその窓から見える木々がまるで自然の中の1軒家のように見せてくれる。いい雰囲気なのだ。店の名前がダーティーなのは間違いからその名前になったのだと言う。本当なら「喫茶ダンディー」だったのだが、頼んでいた看板屋、チラシ、タウン情報誌に至るまでが喫茶ダーティーと書いてしまたのだ。
流石にショックだったマスターだったが、新たにすべてを作り直すのも大変だと思い、まあダーティーだって悪くないかと思い直すことにしたのだという。
ダーティーのマスターはコーヒーに並々ならぬ情熱を持っていた。豆は自分の舌で味わって選びに選んだ逸品だという。またコーヒーカップもセットで揃えたものは置いていない。みんな一つ一つをマスターが選んだもので、ダーティーオリジナルブレンドを頼むと、
「今日はどのカップにいたしましょう?」と、気取った調子で聞いてくる。
もし、ブルーマウンテンなどちょっと高いコーヒーを頼むとマスターは、それならこのカップでお召し上がりくださいと言って、自ら選んだブルーマウンテンにぴったりなコーヒーカップで出してくれるのだ。
それがどうしてぴったりなのか客にはさっぱりわからないし、どうでもいいのだが、マスターが思うところの極上のサービスらしいのだ。マスターは客を正面から見ず、肩先に客を置くような位置に立ち、やや肩越しに顔を客に向ける。それがマスターの美学らしい。
オリジナルブレンドの客が、たんぽぽの花のカップを選ぶと
「かしこまりました。黄色いたんぽぽのカップでございますね。明るい春の日差しを一身に受けて咲き誇るお花が、今日のあなた様にぴったりだと、私も思いますよ」
そう言いながらマスターはまるで女王陛下にお出しするかのように、恭しくコーヒーを置くのだった。
だが、本当の見物は、客から注文を受けた後のマスターなのだ。
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