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後編

 『ほほえみの国』の演劇は、ハプニングも起こることなく、順調に進んでいきました。祥子の演じる『ほほえみの国の王女』は、劇中ずっと笑顔を絶やさずに、どんな意地悪をされてもへっちゃらといった感じでした。意地悪をする魔法使い役の江田先生も、意地悪をしながら内心はホッとしていました。


 ――よかった、この調子なら、祥子もしっかり劇をやりきるだろう――


 ですが、江田先生の予想は完全に裏切られることになったのです。劇は進み、魔法使いが最後の意地悪として、王女の母親に呪いをかけて、王女を見えなくする、『盲目の呪い』をかけたシーンででした。


「お母さま、お母さま、わたくしです。ほほえみの国の王女、ルミナスでございます。ああ、お母さま、どうぞわたくしのほうを見てくださいまし」

「ルミナス? 知らない子だね。ほほえみの国には、王女なんていないのさ。いいや、ここはもうほほえみの国なんかじゃない。見てごらん、まわりを。笑っているのは、お前だけ……えっ、ちょ、祥子ちゃん?」


 王女の母親役の女の子が、小声で祥子に声をかけました。祥子はもう笑っていませんでした。あとからあとから、涙がぽろぽろこぼれて、止まらなかったのです。無理に笑おうとしても、祥子は笑うことができませんでした。


「わたくしは……わたしは……」

 

 もはや声は出ませんでした。笑うこともできず、祥子はその場に崩れ落ちます。母親役の女の子は、おろおろするばかりです。観客たちも異変に気づいたのでしょうか。がやがや、ざわざわとざわめきの波が広がっていきます。


「まずい、いったん幕を下ろすんだ!」


 舞台の陰に隠れていた江田先生が、音響照明係の子にまくしたてます。係の子はあわててボタンを押そうとします。しかし、それを見た祥子が、必死で首を振ったのです。江田先生はハッとして、係の子の手を止めました。


「待て、待ってくれ!」

「でも先生、このままじゃ祥子ちゃんがあんまりですよ!」

「いいから待ってくれ! もう少しだけ、もう少しだけ……」


 ざわめきはどんどん大きくなっていき、観客たちの話し声まで、舞台に聞こえてきました。しかし、それをかき消すような大声で、祥子がセリフを続けたのです。しかしそれは、台本にないセリフでした。


「ママ、わたしは、悲しいよ! ママが見てくれないと、ママがわたしの笑うところを見てくれないと、わたし、笑えなくなっちゃうよ! もう二度と、笑顔を失いたくないのに、それなのに、ママ!」


 完全に台本にないセリフだったので、王女の母親役の子は、混乱してどう答えればいいかわからず、固まっています。江田先生は魔法使いの役のまま、思わず舞台に飛び出していました。


「あっ、先生!」


 音響照明係の子が止めますが、江田先生は構わず舞台へ、祥子の前へと立ちはだかったのです。王女の母親役の子は、もうなにがなんだかわからず棒立ちでした。


「しょ……ルミナス王女、それでは約束だ。君はもう二度と笑うことはできない。『笑顔の呪い』は、『悲しみの呪い』へ変わるだろう。……それでもいいのかい? 君はお母さんにもう一度ふりむいてもらいたかったんじゃないのかい? それなのに、『悲しみの呪い』をかけられたなら、君はもう二度と笑顔を探し出すことはできないだろう。それでもいいのかい?」

「……先生、そんな……」


 言葉を失う祥子に、江田先生はゆっくりと近づいていきました。祥子がおびえたように江田先生を見あげます。ですが、江田先生は祥子にだけ聞こえるような小声でささやいたのです。


「大丈夫。笑えるから。深呼吸して、それから、先生だけを見てごらん。祥子は、笑顔を探し出したじゃないか。大丈夫だよ、笑顔はもう二度と逃げたりしないから。祥子に帰ってきたんだよ。……さぁ、笑って」


 江田先生は魔法使いの杖をひょいっとかかげて振ったのです。そして、杖を持っていない手で、口のはしをイーッと引っぱったのでした。祥子は思わず笑っていました。


「……あ……」

「ほら、笑えただろう? 大丈夫、ちゃんと笑えるんだよ。祥子の笑顔は、お母さんにもきっと届くよ。だから……」


 先生は大げさに杖を振り回し、それからとどろくような大声でセリフを続けたのです。やはり台本にはないセリフでした。


「おのれ、ほほえみの国の王女め、まさか笑顔を取り戻すとは……。こうなればわたしは退散するしかない」


 そこまでいうと、江田先生はきびすを返して舞台裏へ戻ろうとしました。一瞬祥子をふりかえって、軽くウインクします。ハッとして、祥子は江田先生を引きとめました。


「お待ちください!」


 祥子に声をかけられて、江田先生はぴたりと止まって、大げさなしぐさでふりかえりました。


「なんだね? もうわたしには用はないはずだが」


 祥子の顔がほころびました。それは、ずっと練習し続けてきた、台本のクライマックスのセリフだったのです。もう祥子はためらうこともなく、自然な笑顔のまま、魔法使い役の江田先生に向けて思いを言葉にしたのです。


「あなたはわたくしに、本当の笑顔の意味を教えてくださいました。この国は、ほほえみの国は、つらいときも、悲しいときも、笑顔でいることを美徳とする国でした。でも、それは本当は笑顔でもなんでもない。心では笑っていないのですから。でも、あなたはそうではないと教えてくれた。笑顔とは、本当の笑顔とは、つらいときも悲しいときも、それを受け入れて、前を向こうとしたときに得られるものなんだって。わたしはあなたに教えられた。笑顔を探すことができたのです。……どうか戻ってきてください」


 魔法使いは、いいえ、江田先生は、祥子のもとへ歩み寄り、その手をぎゅっと握りました。それとともに舞台の幕が下りていきました。拍手は鳴りやまず、祥子は江田先生へと、もう一度笑いかけたのでした。

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― 新着の感想 ―
[一言] 生徒1人1人とこんなに真剣に向き合ってくれる先生と出会えて祥子ちゃんは幸せでしたね。 辛い時は泣けばいいのです。 希望を叫べばいいのです。 主張して、願いを叶えられるように自分も頑張れば良い…
[一言] 江田先生の全体を見回すことのできる大きな愛情が、祥子の心を救ったのですね。 悲しいかな、親子関係がうまくいってないご家庭は少なくないと思います。そして、それに踏み込む先生も昨今では減ってき…
[一言] この劇を通じて祥子ちゃんは少し成長できましたね。 お母さんが来られなかったのは残念。
2020/12/24 20:33 退会済み
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